Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

私は領地と領海と、そして領空で出来ている。

2021年05月26日 00時17分50秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

この話を以前にした覚えがないので

いや、してても再びしますが

私は一応、武と和の道を修める者でして。

極めてはいませんが。

と、いうか私に年齢で極めてる人は変態だと思うので。

まぁ、取り敢えず

自己解釈が可能な程度は修めています。

そんな話は結構どうでも良くて

武と和の道を修めていると

自然と、と言いますか

一般的な人よりも「無想」を得意としています。

分かりやすく言うと「雑念を除く技術」でしょうかね。

まだ分かりにくい気がしますが。

方法としては黙想ですね。

人間、完全に何も考えない事は不可能です。

これは、若輩者の経験則ですが。

黙想を自分なりの言葉で説明するなら

何も考えない事を考える行為でしょうか。

意味不明ですよね。

言葉として表すなら

「何も考えちゃダメだ!」

と、いう声を頭に満たすんです。

すると、昨日の晩御飯のことなんてすっかり頭にありません。

それが黙想です。

あくまで私の解釈ですが。

ようやく本題です。

安定の前置き長し。

嫌な事、忘れたい事、目を背けたい事。

もちろん、私にもあります。

時に押しつぶされそうなほど。

そういった時はご存知の通り

か、不明ですが

執筆すらままなりません。

そんな時の私の最終一歩手前程度手段である黙想です。

この黙想で私は

私の中にある小さな世界の自分の名を持つ領域から

排他的経済水域的な場所に

嫌な事、忘れたい事、目を背けたい事を置くのです。

はっきり申し上げましょう。

何の解決にもなりません。

現実逃避に過ぎない。

ただし、私は決して永遠ではない。

逃避を繰り返した果てに必ず最期がある訳ですから。

いずれ解決します。

今は、いまはあらゆる手段で逃避すれば良いんです。

この領地と領海と、そして領空で出来ているような

そんな私が持つもので。

              それでは bye! Konemy

最期に書く物語は決めている。

2021年05月21日 18時43分27秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近、滞っていたので

普段は気の向くままに書いていますが

今回は「書く」という確かな意思を持って書いております。

私は趣味を問われると大体、以下のように答えます。

読書・執筆

元々、それほど好きなものではありませんでした。

読書は児童書籍を嗜む程度。

作文なんて全然書けない。

小学生の頃は国語が大の苦手で。

得意なのは理科でした。

国語よりかは算数の方が出来ていたと思います。

簡単に言えば「理系」でした。

小学生如きで分類するのはアレですが。

曖昧なまま過ごした中学。

国語もそれほどひどい訳ではありませんが

数学が出来る訳でもない。

理科と社会はそこそこ出来ました。

英語は語りません。

中学から通学に一時間近く掛かるようになりまして

その時間を私は読書に充てました。

それほど好きでは無かった読書ですが

一冊の本当の出会いが大きったでしょうね。

紛れもなく人生を変えられた一冊です。

『告白』湊かなえ 先生 著

ここでは多くは語りません。

ただ、間違いなく私の人生を変えた一冊でした。

この本と出会った頃でしょうか。

私は本格的に執筆を始めました。

実は初めて物語を書いたのは小学六年生。

内容としては

小学校のロッカーから過去にタイムスリップしてしまい

ほんの出来心で歴史を変えてしまい

現代に帰ってきたら核戦争が起こっていた!

主人公は自らの過ちを正すために再び時を駆ける……。

的な。

だいぶ昔に書いたものですし

原本残ってませんから定かではありませんが。

日本史を初めて勉強した小学生あるあるですね

タイムトラベルモノに憧れるのは。

話を戻して。

本格的に執筆を始めて書いた処女作の題はなかなか衝撃。

『同級生を◯したい』(一応、伏せ字にしておきましょう)

Googleで完全一致検索で探せば出てきます。

初めて書いたものではなく、何度か書き直したものですが。

この一作を書き上げて、私はある決意をしました。

最期に書く物語を決めたのです。

来るべき日が来たら私はその物語を書く

と。

あれから長い月日が経ちました。

未だ、一文どころか題すら決まっていません。

いませんでした。

今日。

私はこの物語の一文を書き出します。

              それでは bye! Konemy



当人の自己責任

2021年05月19日 13時04分23秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

少し前。

久しぶりに中高の同級生とお話しする機会がありました。

現在、私の同級生が集まって繰り広げられる話は大体決まっています。

近い将来の話です。

遂に夢を語れなくなる時期な訳です。

当然のように私も聞かれました。

ただ、私は堕落した身。

言葉に詰まりました。

さて。

少しだけ昔話をします。

このブログを開設する少し前。

中学は三ヵ年皆勤でした。

当時から「学校に行くのが絶対正義だ!」なんて言われていた訳ではありませんが

それでも休まずに学校に行く事は評価されていました。

それは今もですかね。

成績は中の上。

「良」といったところでしょうか。

高校も中学同様、三ヵ年皆勤でした。

まぁ、一応進学校でしたから三年の年明けは数回しか登校がありませんでしたが。

生徒会には所属しませんでしたが、その下部組織の要職に就き

生徒会が公に行えない・行わない庶務を担当していました。

簡単に説明すれば、先生の雑用係といった便利屋ですね。

学校行事では賞を獲得したり、所属していた団体で大会に入賞したり。

成績は上の下あたり。

「良」と「優」の狭間くらいで卒業しました。

長々と、かつ簡単に私の中高六年間を話しまして。

言いたかった事は「真面目で優秀に見えていた」という事です。

堕落した今とは全くといって違って。

まぁ、今は「真面目」でも「優秀じゃない」だけですが。

真面目ってのは一定以上の優秀さがあって初めて求められるものです。

ただ真面目なだけなら、それは無能より使えない。

話を戻しまして。

言葉に詰まる私に対して、同級生はこう言ったのです。

「お前は作家になると思っていた」

このブログをお読みになってる方は馬鹿げた話だとご理解頂けるだろう。

ただ、中高時代

「真面目で優秀に見えていた」時代から

確かに、私は小説を何本も書いていました。

趣味でしたが。

なれるものならなりたいですよ。

作家に。

夢であった事は事実ですから。

当時の物差ならばすごい事だったのかも知れない。

いいや。

私の書いた小説は「書かれたもの」に過ぎません。

言葉を理解する誰もが可能な「書く」という行為をした結果に過ぎないのです。

誰もが可能なのにそれをしないだけ。

可能なのだから、やる事を強制されれば出来るんです。

何もすごい事なんかではない。

認めるべきはその「書かれたもの」ではなく

「書いた」という事実なんです。

努力ってやろうと思えば誰でも出来ると思うんです。

ただ、誰もが出来るものではない。

そういう事です。

「お前は作家になると思っていた」

真面目で優秀に見えていた故に、私の駄文が良いように脚色されたのでしょう。

「言葉」・「文」を金にする難しさは日々感じていますよ。

小学生の頃に語っていた夢は「政治家」

それも「内閣総理大臣」

馬鹿げている。

中高に抱いていた夢

「作家」

無理だと気づいたんじゃない、無理にしたんだ。

今。

夢?何それ。

でも、抱いて叶えた人が一人でもいるんだから

叶えられないのは当人の自己責任なんでしょうよ。

分かってる。

分かっているから諦めるんだ。

これ、別に暗い話ではないよ。

              それでは bye! Konemy