千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

大弐と少弐

大宰府の最高長官は「大師」て昨日書きました。
実質大師はおかず太宰大弐の清盛が最高長官でありました。
ばってんが清盛も九州におるわけでは無かけん
実際の仕事はその下の役職、九州の御家人が少弐ていう官位で
実権ばもっとりました。

もともとは武藤一族やばってんが少弐氏て名乗り
九州の戦国時代にもこの名前が出てきます。

元寇の時の倭国の大将軍「少弐景資」の活躍は有名ですね。
相手の大将に矢ば射とめた功績のお方です。
元寇は神風に助けられたって言いますが最初のは
鼻から様子見で元軍は予定通り撤退したごたります。
2回目の時も実際は九州の御家人連合軍が命張って守り抜いたとですよ。
日蓮さんが拝んだけんやぁありまっせんぜ・・

のちに九州探題に就任した渋川氏の援護と称して周防の大内氏が
じわじわ攻めてくるとば大友氏(豊後)やら宗氏(対馬)との
連合軍で立ち向かいますと。
大内氏に降伏して一時滅亡してのちに再興したとは良かばってん
今度は戦国時代台頭してきた肥前の龍造寺氏に再び滅ぼされてしまいましたとさ・・

その辺の筑前の歴史は本編に書いとるけんそれも読んでみてね。

大河もすぐ博多と結び付けてしまうおいしゃんです(^^♪

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