一昨日の根室フットパスでのこと。
昼食後に広大な牧場に入り込んでから、方向を失ってしまった。
200円で購入した簡単なルートマップに従ったつもりだったが、目当てのキッシング・ゲート(出入りゲート)が見えてこない。
見渡す限り牧場と森林で、遥か遠くに牛舎の屋根と時おり車が通る道路が微かに見えるだけ。
ゲートを求めて彷徨うばかり。
ひとつ向こうの丘の上で数十頭の牛が草を食んでいる。
牧場主が、見回りに来てくれれば方向を聞けるのだが。
疲れてきた。
牧場で遭難とは、笑い話にもならない。
・・・ふと気づくと牛を食んでいた牛たちが移動し始めた。
もしや、牛舎に帰る時間かもしれない。
彼らの動きを見れば、この牧場の出口がわかるはず。
期待した。
こちらの方向に来るようだから、そのまま後についていけばちょうどいい。
牛たちは、やや早歩きでこちらに向ってくる。
後ろの牛の中には、駆け足でくるものもいる。
まだ3時過ぎだが、雨が来そうな空を察知して牛舎に向う習慣なのかもしれない。
牛は賢いのだ。
え? 何?
あなたたちは、どうしてここで立ち止まるの?
牛舎はどこ?
やめて、そんなに近づかないで。
牛たちが目指していたのは、牛舎ではなかった。
20頭近くの牛が目の前に集合し、肩を寄せ合い、こちらをじーっと見ている。
何を期待してやって来たのだろう。
彼らの食べ物は、辺り一面に有り余るほど生えているはずなのに。
牛に方角を聞いても、もちろん答えてはくれない。
お互いに期待していたものが得られない、悲しい状況になった。
仕方なく、前進することを諦めて、元来た方向に戻ることにした。
引き返すことならできる。
ところが、牛たちは列を成してゆっくりとついて来る。
くぼ地の水場で牛は諦めて引き返すと思ったのだが、
しばらく、集団で立ち止まった後、意を決したように歩みを進めた。
何を期待してついてくるのだろう。
こんなに遠くまで引っ張ってしまったら、牧場主は困らないだろうか。
私は諦めて戻るのだから、みんなも諦めて戻ってよ。
とうとう、丘を二つ越え、最初のキッシングゲートまで来た。
有刺鉄線の出入口を人の手で開閉するようになっている簡易ゲートだ。
さすがの牛たちも、有刺鉄線の入り口操作はできない。
恨めしそうな顔をしたオスの牛たちが、鉄線のゲートの前で頭を並べてこちらをじっと見ていた。
牛を何十頭も引き連れて牧場を歩くのは不思議な気分だ。
彼らは、何を期待していたのだろう。
人間の姿に反応し、何かを得るまで、どこまでも後を付いて行く習性があるのだろうか。
途中で、彼らを戻すにはどうしたらよかったのだろうか。
インドやネパールの路上でのんびり過ごす牛は、夕刻になると飼われている家にちゃんと戻っていく。
見知らぬ人についていく姿はあまり見なかったのだが。
牛たちの不可解な動きに気を取られていたおかげで、
牧場を彷徨った徒労感を知らずに元の場所に戻った。
牛たちに感謝。
昼食後に広大な牧場に入り込んでから、方向を失ってしまった。
200円で購入した簡単なルートマップに従ったつもりだったが、目当てのキッシング・ゲート(出入りゲート)が見えてこない。
見渡す限り牧場と森林で、遥か遠くに牛舎の屋根と時おり車が通る道路が微かに見えるだけ。
ゲートを求めて彷徨うばかり。
ひとつ向こうの丘の上で数十頭の牛が草を食んでいる。
牧場主が、見回りに来てくれれば方向を聞けるのだが。
疲れてきた。
牧場で遭難とは、笑い話にもならない。
・・・ふと気づくと牛を食んでいた牛たちが移動し始めた。
もしや、牛舎に帰る時間かもしれない。
彼らの動きを見れば、この牧場の出口がわかるはず。
期待した。
こちらの方向に来るようだから、そのまま後についていけばちょうどいい。
牛たちは、やや早歩きでこちらに向ってくる。
後ろの牛の中には、駆け足でくるものもいる。
まだ3時過ぎだが、雨が来そうな空を察知して牛舎に向う習慣なのかもしれない。
牛は賢いのだ。
え? 何?
あなたたちは、どうしてここで立ち止まるの?
牛舎はどこ?
やめて、そんなに近づかないで。
牛たちが目指していたのは、牛舎ではなかった。
20頭近くの牛が目の前に集合し、肩を寄せ合い、こちらをじーっと見ている。
何を期待してやって来たのだろう。
彼らの食べ物は、辺り一面に有り余るほど生えているはずなのに。
牛に方角を聞いても、もちろん答えてはくれない。
お互いに期待していたものが得られない、悲しい状況になった。
仕方なく、前進することを諦めて、元来た方向に戻ることにした。
引き返すことならできる。
ところが、牛たちは列を成してゆっくりとついて来る。
くぼ地の水場で牛は諦めて引き返すと思ったのだが、
しばらく、集団で立ち止まった後、意を決したように歩みを進めた。
何を期待してついてくるのだろう。
こんなに遠くまで引っ張ってしまったら、牧場主は困らないだろうか。
私は諦めて戻るのだから、みんなも諦めて戻ってよ。
とうとう、丘を二つ越え、最初のキッシングゲートまで来た。
有刺鉄線の出入口を人の手で開閉するようになっている簡易ゲートだ。
さすがの牛たちも、有刺鉄線の入り口操作はできない。
恨めしそうな顔をしたオスの牛たちが、鉄線のゲートの前で頭を並べてこちらをじっと見ていた。
牛を何十頭も引き連れて牧場を歩くのは不思議な気分だ。
彼らは、何を期待していたのだろう。
人間の姿に反応し、何かを得るまで、どこまでも後を付いて行く習性があるのだろうか。
途中で、彼らを戻すにはどうしたらよかったのだろうか。
インドやネパールの路上でのんびり過ごす牛は、夕刻になると飼われている家にちゃんと戻っていく。
見知らぬ人についていく姿はあまり見なかったのだが。
牛たちの不可解な動きに気を取られていたおかげで、
牧場を彷徨った徒労感を知らずに元の場所に戻った。
牛たちに感謝。
学校の授業の題材に使ってみるのはどうですか?「牛さんたちは何を考えてあとをつけたのか」、大人よりも子どもたちの発想、想像力の方が、なるほど!、そうかも!、がたくさんありそうです。
クロモジさんの発想もユニークですね。学校の先生にとっての教材は、世の中にたくさんころがっているのですが、今の学校はどうもそういう余裕がないようで残念です。