来週予定されているプロジェクト会議についてのレクがありました。
今年で足掛け4年目に入る目標を達成するための幹部会議です。
「目標値を達成すべくプロジェクト」についての会議なのですから、普通に考えれば、取組んだ結果から今後の方策を練り直す会議になるはずです。
たとえば、<取り組みの結果→反省と考察→課題の再設定→取組み具体策>等の手順に従って議論を重ねる場が想定されるのですが、なぜか、このプロジェクト会議は、毎回、数値結果報告と今後の取り組み方針が書類に整えられ、担当者がそれを読み上げるというおきまりの儀式で終わります。
目標値がかなり高いため、結果は毎年やや及ばないのですが、「どうして達成できなかったのか」の原因追求がされません。
なので、当然のことですが、数値報告の後に、毎年同じような次回取り組み項目が並び、前年の項目に「より一層の」とか「さらに」というような修飾語がつきます。
「せっかくですから、何か『プロジェクト』を起こしませんか。 そのために新たな予算や人員が必要なら、提案に乗せてみて」
と、にこやかな笑顔で提案してみましたが、心優しく素直な担当者たちは、困ったような表情でお互いに顔を見合わせ、
「出席者が喧々諤々議論し、新しい方策を創り上げるという幹部会議の経験はなく、イメージがわかないのです」と。
うーん、重症です。
今年で足掛け4年目に入る目標を達成するための幹部会議です。
「目標値を達成すべくプロジェクト」についての会議なのですから、普通に考えれば、取組んだ結果から今後の方策を練り直す会議になるはずです。
たとえば、<取り組みの結果→反省と考察→課題の再設定→取組み具体策>等の手順に従って議論を重ねる場が想定されるのですが、なぜか、このプロジェクト会議は、毎回、数値結果報告と今後の取り組み方針が書類に整えられ、担当者がそれを読み上げるというおきまりの儀式で終わります。
目標値がかなり高いため、結果は毎年やや及ばないのですが、「どうして達成できなかったのか」の原因追求がされません。
なので、当然のことですが、数値報告の後に、毎年同じような次回取り組み項目が並び、前年の項目に「より一層の」とか「さらに」というような修飾語がつきます。
「せっかくですから、何か『プロジェクト』を起こしませんか。 そのために新たな予算や人員が必要なら、提案に乗せてみて」
と、にこやかな笑顔で提案してみましたが、心優しく素直な担当者たちは、困ったような表情でお互いに顔を見合わせ、
「出席者が喧々諤々議論し、新しい方策を創り上げるという幹部会議の経験はなく、イメージがわかないのです」と。
うーん、重症です。