
ポーランド南部にあるクラクフ市は、14世紀後半から16世紀後半までの2世紀に渡りポーランド王国の首都として栄えた街だ。
東欧を回るバスルートとして都合のいい位置にあるというだけの理由で、ポーランドの滞在地にクラクフを選んだが、来て初めて、クラクフがポーランドで重要な意味をもつ都市であると知った。
滞在先のホステルは、築100年は過ぎていると思われる重厚な建造物の2階ワンフロアーを改築し活用されている。ツーリストインフォで得た地図やパンフには、歴史的建造物を含め、王国時代の城壁に囲まれた古都の姿を未だに残した古い街並や博物館が数多く紹介されていた。

ポーランドでは珍しく第二次大戦の戦災を免れたため,ポーランド王の居城であったヴァヴェル城、旧市街、コペルニクスが学んだポーランド最古の大学ヤギェウォ大学などがほぼ当時のまま残されており、中心部の旧市街全体が中世の歴史と芸術をそのまま伝えている。対照的に、数年前に再開発された中央駅隣りにオープンした「ギャラリア」と呼ばれる駅ビルには、世界的に名を馳せるブランド・ショップや賑やかなファストフードが軒を並べ、そのコントラストに唖然とするほどだ。

そして、近郊に世界遺産に指定された世界最大級の地下岩塩採掘場と、第二次大戦中のユダヤ人強制収容所のあったアウシュビッツがある。
日常的に「岩塩」を愛用しているので、世界遺産になるほどの岩塩採掘現場の様相に興味を惹かれたが、「アウシュビッツ」と聞いた時には、気持ちが大きく揺れた。
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↑世界遺産のヴィエリチカ岩塩坑。坑内地下100メートルに掘られた教会。シャンデリア、祭壇、壁の彫像、全て岩塩でできている。壁を爪で削って舐めると本当に塩辛い。

↑ヴァヴェル城の河畔で真剣にチェスの勝負に挑む人々

↑3つのテーブルが、勝負のチェス板で満杯
東欧を回るバスルートとして都合のいい位置にあるというだけの理由で、ポーランドの滞在地にクラクフを選んだが、来て初めて、クラクフがポーランドで重要な意味をもつ都市であると知った。
滞在先のホステルは、築100年は過ぎていると思われる重厚な建造物の2階ワンフロアーを改築し活用されている。ツーリストインフォで得た地図やパンフには、歴史的建造物を含め、王国時代の城壁に囲まれた古都の姿を未だに残した古い街並や博物館が数多く紹介されていた。

ポーランドでは珍しく第二次大戦の戦災を免れたため,ポーランド王の居城であったヴァヴェル城、旧市街、コペルニクスが学んだポーランド最古の大学ヤギェウォ大学などがほぼ当時のまま残されており、中心部の旧市街全体が中世の歴史と芸術をそのまま伝えている。対照的に、数年前に再開発された中央駅隣りにオープンした「ギャラリア」と呼ばれる駅ビルには、世界的に名を馳せるブランド・ショップや賑やかなファストフードが軒を並べ、そのコントラストに唖然とするほどだ。

そして、近郊に世界遺産に指定された世界最大級の地下岩塩採掘場と、第二次大戦中のユダヤ人強制収容所のあったアウシュビッツがある。
日常的に「岩塩」を愛用しているので、世界遺産になるほどの岩塩採掘現場の様相に興味を惹かれたが、「アウシュビッツ」と聞いた時には、気持ちが大きく揺れた。
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↑世界遺産のヴィエリチカ岩塩坑。坑内地下100メートルに掘られた教会。シャンデリア、祭壇、壁の彫像、全て岩塩でできている。壁を爪で削って舐めると本当に塩辛い。

↑ヴァヴェル城の河畔で真剣にチェスの勝負に挑む人々

↑3つのテーブルが、勝負のチェス板で満杯