また一人、今の焼津を支えてきた巨星が逝ってしまった。
片山啓太郎さん。
焼津漁協の中核メンバーとして、焼津漁港を『日本一の・・・』という冠を獲得・維持してきた、偉大なる先輩だ。
啓太郎さんは、自分の叔父と同級生ということもあり、小さい頃から本当によく遊んでもらった。
トレードマークのスーパーカブに乗って遊びに訪れる啓太郎さんを待ちかまえては、カブの荷台に乗せてもらい、焼津の街中を走り回った記憶は、昨日のことのように鮮明だ。
自分がUターンして焼津に戻ってきた頃から、啓太郎さんもどんどん出世していき、市場部長を務めていた頃は、TV中継が必ず入る焼津漁港の初競りで、画面の中央に必ず『ヨォ~』と声をかける姿があった。
青年会議所時代に様々な形で焼津のまちづくりに関わっていたときも、『まさのり、おめぇ~な・・・』で始まる様々なアドバイスや、身内だからこそ言える『おめぇ~ばかやろ~・・・』で始まる愛の鞭を戴いたりと、年齢を重ねても、本当によいお付き合いをさせていただいてきた。
そんな啓太郎さんも、昨年一杯で現役を退き、今年の正月にお酒を酌み交わしたときには、『まさのり~、あったかくなったらゴルフやらざ~な』と、第二の人生を本当に楽しみにしている様子だった。
そして5月。
啓太郎さんとゴルフをしたいと思っていた焼津人は何人もいて、声をかけるとみんな二つ返事で「楽しみにしているよ」と答えてくれた。
メンバーも集まり、ゴルフ場の予約も済んで、いざ啓太郎さんに連絡を取ったところ『まさのり~、わり~&わり~、おら~入院しちまっていて、今は、ちぃ~っとゴルフはできないだよ~。治ったら、おらの方から声をかけるで、これに懲りずに誘ってくりょ~や』との返事が。
この時は、『また誘ってくれ』と言っているんだから、大した病気でも無かろうと高をくくっていたのに、この電話が啓太郎さんとの最後の会話となってしまったことが、本当に悔やまれる。
ちなみに、写真のゴルフバッグは、啓太郎さんが『まさのり~、いつまでそんなにおぜ~バッグ使ってるだぁ~。おれん、くれてやらぁ~』と言って、啓太郎さんのバッグを頂戴したものだ。
昨日のゴルフコンペでは、啓太郎さんの御加護(超ラッキー連発)の御陰で、準優勝することができた。
しかしながら、優勝までさせてくれないところは、啓太郎さんの『あとは、おめぇ~が努力しろよ』というメッセージに違いない。
啓太郎さんとの思い出(Blogでは書けない?)は尽きないが、焼津を愛する気持ちを少しでも引き継いで、これからも頑張っていきたい。
合掌
片山啓太郎さん。
焼津漁協の中核メンバーとして、焼津漁港を『日本一の・・・』という冠を獲得・維持してきた、偉大なる先輩だ。
啓太郎さんは、自分の叔父と同級生ということもあり、小さい頃から本当によく遊んでもらった。
トレードマークのスーパーカブに乗って遊びに訪れる啓太郎さんを待ちかまえては、カブの荷台に乗せてもらい、焼津の街中を走り回った記憶は、昨日のことのように鮮明だ。
自分がUターンして焼津に戻ってきた頃から、啓太郎さんもどんどん出世していき、市場部長を務めていた頃は、TV中継が必ず入る焼津漁港の初競りで、画面の中央に必ず『ヨォ~』と声をかける姿があった。
青年会議所時代に様々な形で焼津のまちづくりに関わっていたときも、『まさのり、おめぇ~な・・・』で始まる様々なアドバイスや、身内だからこそ言える『おめぇ~ばかやろ~・・・』で始まる愛の鞭を戴いたりと、年齢を重ねても、本当によいお付き合いをさせていただいてきた。
そんな啓太郎さんも、昨年一杯で現役を退き、今年の正月にお酒を酌み交わしたときには、『まさのり~、あったかくなったらゴルフやらざ~な』と、第二の人生を本当に楽しみにしている様子だった。
そして5月。
啓太郎さんとゴルフをしたいと思っていた焼津人は何人もいて、声をかけるとみんな二つ返事で「楽しみにしているよ」と答えてくれた。
メンバーも集まり、ゴルフ場の予約も済んで、いざ啓太郎さんに連絡を取ったところ『まさのり~、わり~&わり~、おら~入院しちまっていて、今は、ちぃ~っとゴルフはできないだよ~。治ったら、おらの方から声をかけるで、これに懲りずに誘ってくりょ~や』との返事が。
この時は、『また誘ってくれ』と言っているんだから、大した病気でも無かろうと高をくくっていたのに、この電話が啓太郎さんとの最後の会話となってしまったことが、本当に悔やまれる。
ちなみに、写真のゴルフバッグは、啓太郎さんが『まさのり~、いつまでそんなにおぜ~バッグ使ってるだぁ~。おれん、くれてやらぁ~』と言って、啓太郎さんのバッグを頂戴したものだ。
昨日のゴルフコンペでは、啓太郎さんの御加護(超ラッキー連発)の御陰で、準優勝することができた。
しかしながら、優勝までさせてくれないところは、啓太郎さんの『あとは、おめぇ~が努力しろよ』というメッセージに違いない。
啓太郎さんとの思い出(Blogでは書けない?)は尽きないが、焼津を愛する気持ちを少しでも引き継いで、これからも頑張っていきたい。
合掌
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