70年前 (昭和18年2月)私は小笠原村扇浦字番外5番地の1で生まれた。
2歳になったころ戦争がはげしくなり強制疎開で東京へ。
軍属だった父とは離れて暮らすことが多かった。後に北海道で仕事中亡くなった。
35歳くらいの母は島を離れて苦労したもよう。
小笠原返還は昭和43年その2年前に母は望郷の思いを胸に帰らぬ人に。
私は21歳。返還の時にはすでに所帯を持ち一人の子持ちになっていた。
それから島へ帰る余裕もなく(20年前に一度島を訪れたが)今回の訪島はもう行かれない
年齢のためかとても印象が強いものになった。
竹芝桟橋から島まで1000k。小笠原丸6700tの船で26時間30分の道のり。
交流会なので島の人たちの歓迎会が夜開かれた。
翌日は
偶然ホテルの真ん前が私の生家のあった空地でした
20年前の時見たガジュマルの木が倍になっていた。
船着き場も今は石ころだけ
かにのお宿
めじろも住んでいる。
朝食を済ませて仲間とレンタカーで島内めぐりに。
コペペ海岸
小笠原コーヒーの畑と店
当日は豆が無くなっていて外国のコーヒーだったのでパス。
コーヒーの木
ちゃぼさん・肥料担当
そのあとは町へ
メイン通りはみせも少なく静。
買い物を終えて夕陽を見に三日月山展望台へ。
時期によってはクジラを見ることができるそうだ。
夕陽はいまいちだった。
お許しを。
コメントはそのままにしておけば良かったのに
知りませんでした。背景の色を抜いていただいた写真ですが、ピクチャーに保存して使おうと思いましたら
アップロードしたときに壊れていました。
仕方なく別のメジロを載せました。