今でも、一応、しまぬきを温めたい思いはあるんです。
頭のなかでは次のスカーフ、その次の帯、そして・・・
その又次の「しまぬき」まで決まっているんです。
ああ!情けない!
身体はついてきません!
それでも雨でない日は
散歩に出ては、春を待っています。
春隣ナズナ空向き2ミリ花
梅一輪一輪だけの暖かさ アハハ!
幸せの予感今年も鳶が舞う
この句、ずいぶん前につくりました。
自分では気に入っていたのですが
そのすぐ後、娘が孫を連れて
逃げ帰ってきました!
以来、鳶が舞うのは嫌いです。
あらあ!黄水仙にも!春がきた!
そろそろ私の織りも思いだけでなく
動き出さなくては・・・・。
ちなみに娘は元気なアラフォー女子してます。
大雨で、家の中に避難していた
サワガニ一家にご飯粒をあげました
ネット検索でご飯粒が大好きと知って
おっかさんは見てる間に食べちゃって、
子ガニ達は
ご飯粒の取り合いで騒いでいました!ふふ!
毎日、水草をかき分け、覗いております。
今回の織りの経糸を枠にとっています。
茶色ばっかし!
いえいえ、私の仕事が遅いんです。
今回の縞建ては
うーーん・・わっっかるかなあ?無理だろうなあ!
何回も書いたり消したりしてしまった
でも、久しぶりにしまぬきを温める(おさらいする)ことに。
今回温めるのは染(色)!
濃い茶と、濃い緑と、グレーと藍の4号(濃紺)・・と絹!
これで着られる着尺(少しでも薄くて軽い物)を目指しています。
ところが、私の糸は32羽の筬用ぐらいしか紡げないのよ。
どう工夫するか・・・・
購入糸しかないふっとい藍の糸を緯糸に使わず
せめても・・・と
自分の糸を播磨藍さんで染めてもらったの。
さて、”どすこい”の着物になるか、
ちょっとは着やすい布になるか、
半年先を期待していてくださいな。
サワガニ一家にご飯粒をあげました
ネット検索でご飯粒が大好きと知って
おっかさんは見てる間に食べちゃって、
子ガニ達は
ご飯粒の取り合いで騒いでいました!ふふ!
毎日、水草をかき分け、覗いております。
今回の織りの経糸を枠にとっています。
茶色ばっかし!
いえいえ、私の仕事が遅いんです。
今回の縞建ては
うーーん・・わっっかるかなあ?無理だろうなあ!
何回も書いたり消したりしてしまった
でも、久しぶりにしまぬきを温める(おさらいする)ことに。
今回温めるのは染(色)!
濃い茶と、濃い緑と、グレーと藍の4号(濃紺)・・と絹!
これで着られる着尺(少しでも薄くて軽い物)を目指しています。
ところが、私の糸は32羽の筬用ぐらいしか紡げないのよ。
どう工夫するか・・・・
購入糸しかないふっとい藍の糸を緯糸に使わず
せめても・・・と
自分の糸を播磨藍さんで染めてもらったの。
さて、”どすこい”の着物になるか、
ちょっとは着やすい布になるか、
半年先を期待していてくださいな。
しまぬきが気になりだしたのは、ずいぶん昔
丹波布伝承館で伝習生の2年目に入った頃のことでした。
訳あって、康子先生が退任され、指導者がいない状態の時、
自分たちで勉強、研修してくださいとのこと・・・・。
私は、前の年康子先生のお宅で見せて貰った「天保年間の縞帳」や
康子先生達と訪れた、東京の日本民藝館で触れた
柳宗悦氏が集めた、多くの「古い丹波布」が、復興後の丹波布とは
雰囲気が違うことが気になり、
当時の町役場の助役に「復興前の布を勉強したい」と伝えた。
返事は「自分でやってください。」・・役場は復興後の丹波布を
伝承するだけなんだ・・・今の私一人では、とうてい無理・・
結局、2年目は、何にも勉強らしいものは出来ずに、
それでも、卒業展の作品は問屋さんに買って貰って、
自分で織った着物と帯で修了式に参加しすることができた。
その後は、紡いで染めて織って、染めて織って、染めて織って。
昨年病気で座れなくなるまでは、それなりに織っていた。
それなりにと言うことは、進歩は・・あやしい。
病気で家にいると、夫が織機を作る為、集めた資料があった。
その中の『上村六郎染色著作集 六』を読んでいて、
「青垣町では、現在は丹波布を復興して、或る程度売り出している。
この標本は、その後復興された丹波布ではなくて、私蔵している
昔のもっとも美しい丹波布を 小谷次男君に特に頼んで昔通りの
美しい感じのものに、そのまま復元してもらったものである。
記してもって感謝の意を表したい。」
という文章を見つけた!
上村氏も復興前の「もっとも美しい丹波布」(しまぬき)と
復興後の丹波布の違いを感じておられたのだ!
これを見つけて、私のしまぬき熱が再び上がってきた。
そこら中の資料を探し、聞き。いつか、(しまぬき)を
昔の人のように、紡いで、染めて、織ってみたいと思っている。
丹波布伝承館で伝習生の2年目に入った頃のことでした。
訳あって、康子先生が退任され、指導者がいない状態の時、
自分たちで勉強、研修してくださいとのこと・・・・。
私は、前の年康子先生のお宅で見せて貰った「天保年間の縞帳」や
康子先生達と訪れた、東京の日本民藝館で触れた
柳宗悦氏が集めた、多くの「古い丹波布」が、復興後の丹波布とは
雰囲気が違うことが気になり、
当時の町役場の助役に「復興前の布を勉強したい」と伝えた。
返事は「自分でやってください。」・・役場は復興後の丹波布を
伝承するだけなんだ・・・今の私一人では、とうてい無理・・
結局、2年目は、何にも勉強らしいものは出来ずに、
それでも、卒業展の作品は問屋さんに買って貰って、
自分で織った着物と帯で修了式に参加しすることができた。
その後は、紡いで染めて織って、染めて織って、染めて織って。
昨年病気で座れなくなるまでは、それなりに織っていた。
それなりにと言うことは、進歩は・・あやしい。
病気で家にいると、夫が織機を作る為、集めた資料があった。
その中の『上村六郎染色著作集 六』を読んでいて、
「青垣町では、現在は丹波布を復興して、或る程度売り出している。
この標本は、その後復興された丹波布ではなくて、私蔵している
昔のもっとも美しい丹波布を 小谷次男君に特に頼んで昔通りの
美しい感じのものに、そのまま復元してもらったものである。
記してもって感謝の意を表したい。」
という文章を見つけた!
上村氏も復興前の「もっとも美しい丹波布」(しまぬき)と
復興後の丹波布の違いを感じておられたのだ!
これを見つけて、私のしまぬき熱が再び上がってきた。
そこら中の資料を探し、聞き。いつか、(しまぬき)を
昔の人のように、紡いで、染めて、織ってみたいと思っている。