鉱石ラジオ

艦これ二次創作小説同人
C105 日曜日 西地区 せ-27b(西2ホール)

劇場版総集編【前編】メイドインアビス 旅立ちの夜明け

2019-01-04 17:55:09 | アニメ
立川シネマシティ Cスタジオ 9:40-11:45

シネマシティ名物の【極音】上映で、例えばレグの火葬砲は数割増しでド迫力だし、不動卿オーゼンがリコやレグに喰らわせるデコピンが本当に痛そうに聞こえる。当然、好き嫌いは分かれるだろう。だが、これはこれでお勧めだ。Cスタジオの比較的小さめのスクリーンで見られたのも良かった。
因みに同じ時間帯に一番広いAスタジオでは「ボヘミアン・ラプソディー」が上映されていた。そだねー。

ところで、今回このブログのタイトルは公式の映画のタイトルからそのまま引用してきているのだが、これは少しおかしくないだろうか。

> 劇場版総集編【前編】メイドインアビス 旅立ちの夜明け

もし、今これを読んでいるあなたが中学三年生で、東京都立高校の国語の入試に「これらの用語を用いてもっとも適切と思われる映画のタイトルを考えなさい」などという試験問題が出題されたとしたら、どう解答するだろうか。
僕の考える模範答案はこうである。

> 劇場版メイドインアビス 総集編【前編】夜明けの旅立ち

元のタイトルには旧都知事の石原慎太郎が「都立大学」を「首都大学東京」と改名したのと同じ、中二病の少年少女が背伸びをしているような痛々しさ、気恥ずかしさを覚える。旧都知事にしてもそうだが、もう少し大人サイドにシフトしても良い。格好良くしようと工夫を重ねた挙げ句に訳がわからなくなって最悪の選択をした、としか思えないのだ。あるいは、制作サイドにケチ臭い横やりが入ったのである。今後の展開に不安を残す、そんな幕開けとなった。

あとね。
「旅立ちの夜明け」という場合、それは物語全体の始まりであることを強調している訳だけれども、それだと「旅立ち」も「夜明け」も同じことしか意味しないので何だか壮大っぽいタイトルの割に詰まらない効果しか生んでいないと思うんだよね。これを逆に、と言うか、日本語的に正しい順序に戻して「夜明けの旅立ち」とすると、これは文字通りリコとレグの旅立ちの場面を直球で表現することになる。そして今回のエピソードの中ではリコとレグの旅立ちは二回訪れる。一度目はシギ―とナットに見送られてオースの街を旅立つとき、二度目はオーゼンの試練を経てシーカーキャンプから旅立つとき。二度目の旅立ちはラストシーンでもあるんだよね。だから強調されるべきは「夜明け」よりも「旅立ち」の方なんだ。これから壮大な冒険に出発すると言うのにほんの僅かな仲間だけにしか見送られることのない、もの寂しい旅立ち。その寂しさを表しているのが「夜明け」なんだ。だから、言葉の選択は正しい。順番が違うだけ。
言葉は正しく用いたいな。

開場前に物販を一通り見たが何も買わなかった。リコとレグは主人公だもの、仕方ない。しかし前編なら一番の注目はオーゼンかマルルクではないのか。それなのに物販にオーゼンとマルルクの姿はなく、まだ登場していないナナチのグッズが並んでいる。しかも脱いでいるナナチだ。僕もナナチは大好きだが、特に好きなのは初登場時のフルアーマーのナナチだ。それなのにフィギュアといいアクリルスタンドといいクリアケースといい、世のナナチは皆脱いでいる。相手は年端もいかない女の子なんだから無闇に脱がしたらいかんだろうに(と言いつつ、リコの全裸シーンがカットされていたのはいかにも残念だった)。
ふと気が付けば唯一購入したパンフレットにもすでにナナチのことが書いてある。もしかしたらこのパンフレットは前編と後編で共通なの? 一冊だけなの?
予算が足りなかったのだろうか?
「メイドインアビス」って、もしかしたらすっごく「貧乏」な作品なのでは?

さて今回の【前編】はテレビシリーズの第一話から第八話まで、すなわちレグ登場から監視基地を出発するまでのまとめだ。劇場版の冒頭では導入部、つまりテレビ本編では過剰な中二病的倒置法を多用したために分かり難くなってしまった時系列を整理したり、エンディングでは次の主要登場人物となるナナチの愁いに満ちた表情が描かれたり、と新作の要素もなくはないが、主要なエピソードでは新作はないようである。むしろシーカーキャンプでマルルクの男の子らしさを強調する場面が割愛されていたのは残念だった。

これでも自分はファンのつもりだが、物販やパンフレットの惨状から窺い知る「貧しさ」を目の当たりにして、こんなに良いアニメなのに何で人気が出ないんだろう、とお正月早々悲しい気分になった。

コアなファン向けの作品だった。
コメント
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