朝日新聞に掲載される人生相談「悩みのるつぼ」から。
パートで彼に会えることが全て 3児の母が恋して悪い?
レトリックとは単なる文章の修飾にとどまらず、発見の機能を有するというのが古代からの見解だが、まさにこの相談者の文章を目にすることで例えば僕などは乙女心、恋心というものの一端を理解することができる。「足が震えるほど」というのは比喩であると同時に、相談者自身がそのように足を震わせている自分に気が付いたという事実の告白でもあるだろう。もしかしたら、このときがきっと自分の恋を自覚した転機だったのだ。
勉強になる。
回答者の上野千鶴子の方は、それは恋ではなく単なる片思いだと断じ、「あなたの視界に入っている世間は狭すぎます」と相談者の未熟さを指摘する。そだねー。
しかし、自分の気持ち(この世で一番分かりにくいもののひとつ)を的確に文章で表現できる彼女なら、あまり心配する必要もないのではないかと思う/思いたいのだが。
なお、新聞に掲載される人生相談の文章は原文の通りではなく記者が適切にアレンジしているものでは、という疑念もないではないが、過去の記事を読む限りでは回答者はその字句に依拠して回答を組み立てている様子なので、あまり邪推する必要はないと私は考えている。
パートで彼に会えることが全て 3児の母が恋して悪い?
ゆっくり話すことはないのですが、1秒でも目が合ってあいさつできれば、足が震えるほどうれしい。
でも、彼とは一瞬すれ違うことがあるかどうかも分からないのですが、その一瞬のために化粧品をそろえ、新しい服と靴を買いました。
レトリックとは単なる文章の修飾にとどまらず、発見の機能を有するというのが古代からの見解だが、まさにこの相談者の文章を目にすることで例えば僕などは乙女心、恋心というものの一端を理解することができる。「足が震えるほど」というのは比喩であると同時に、相談者自身がそのように足を震わせている自分に気が付いたという事実の告白でもあるだろう。もしかしたら、このときがきっと自分の恋を自覚した転機だったのだ。
勉強になる。
回答者の上野千鶴子の方は、それは恋ではなく単なる片思いだと断じ、「あなたの視界に入っている世間は狭すぎます」と相談者の未熟さを指摘する。そだねー。
しかし、自分の気持ち(この世で一番分かりにくいもののひとつ)を的確に文章で表現できる彼女なら、あまり心配する必要もないのではないかと思う/思いたいのだが。
なお、新聞に掲載される人生相談の文章は原文の通りではなく記者が適切にアレンジしているものでは、という疑念もないではないが、過去の記事を読む限りでは回答者はその字句に依拠して回答を組み立てている様子なので、あまり邪推する必要はないと私は考えている。