久しぶりに邦画を見た。
是枝 裕和監督作品の「DISTANCE」
是枝監督といえば、
最近カンヌで日本の少年が受賞した「誰も知らない」の監督ですね。
みていくと、なんとなく見たことがあるタッチだなぁと思ったら、
意外にも彼の作品はみていたらしい。
おしゃれーな人たちがたくさん出ていて、空気感あふれる映像。
だけれど、社会問題がテーマになっているので、それだけに終わっていないのだが。
個人的感覚ではヨーロッパでは受けがいいだろうな的作品。
機会があればどうぞ。
面白い手法です。
きっと台本渡されてないんだろうなって感じです(笑)
是枝 裕和監督作品の「DISTANCE」
是枝監督といえば、
最近カンヌで日本の少年が受賞した「誰も知らない」の監督ですね。
みていくと、なんとなく見たことがあるタッチだなぁと思ったら、
意外にも彼の作品はみていたらしい。
おしゃれーな人たちがたくさん出ていて、空気感あふれる映像。
だけれど、社会問題がテーマになっているので、それだけに終わっていないのだが。
個人的感覚ではヨーロッパでは受けがいいだろうな的作品。
機会があればどうぞ。
面白い手法です。
きっと台本渡されてないんだろうなって感じです(笑)
いまだ消化し切れていないのですが、ここ数日私の頭を占拠していたこと、
考えたこと、いま、この感覚でいることを忘れないようにしたいので、結論は出なくても、
行動にしてみようと思い、キーをたたき始めました。
日ごろ、私は色々な方のブログに遊びに行かせていただいています。本当にたくさんの人々の暮らしの一部を見せていただいて、毎日が驚きです。
そして、今日この頃は色々なことを考えさせられることが多いです。きっと、ブロガーの皆さんがまじめにブログというものに取り組んでいるからでしょう。
今日私がすべきことはきっと伝えること、広げることだと思っています。それが本当に望まれているのかは実のところ自身がないのですが・・・
これを読まれる方に何かを期待することは間違っているとは分かってはいるものの、知っておいて欲しい、理解して欲しいと強く望みます。(一部不快な思いをさせてしまう表現かもしれません)
先日のことです。
ビッグママさんの『妖精が見える子供』の記事「怒り・・・そして悲しみ・・・より」の本文で、ビッグママさんより感謝の気持ちを書いていただきました。
思ってもみなかったことで、最初に読んだときは本当にびっくりいたしました。
ビッグママさんの双子の天使のうち、ジューくんは自閉症です。
彼女のブログに全てが書かれています。症状が気づき始めてから、自閉症という障害を自分の息子が持っているということを受け入れるまでの葛藤などがかかれています。
私の周囲に障害をもつ存在はいません。そして、今までの人生の中で福祉やボランティア活動に携わったこともありません。見てみぬふりをしてきたのかもしれません。
ブログをはじめてから、色々な活動をされている方々のお話を聞かせていただくことも増えました。いままで、ボランティアということに少なからず抵抗がありました。いつだって虚無感に駆られてしまうのです。たとえば募金を集めたところで、確かに役に立つかもしれない。だけど、その恩恵を受けるのはほんの一握りの人たち。そう思うと、行き届かなかった人たちへの申し訳なさを感じずに入られませんでした。
ただ、最近少し捕らえ方が、ほんの少しずつですけど、変わってきました。ビッグママさんのブログにコメントを残される多くの方々の中にも障害をもつ家族がいらっしゃる方や、ご自身が障害をもっていらっしゃる方々がいらっしゃいます。
みなさんの生の声を聞かせていただき、みなさんが求めていることがどういうものなのか、おぼろげにも理解することができてきました。
そして、皆さんが求めていることが、必ずしも障害を抱える家族が求めている全てではないということも同時に他の方から学びました。
そして、今後、娘が成長するにつれ、色々な人間を見ていくことでしょう。
娘が一人歩きをしたときに私が一言彼女に教えておきたいことは、
誰に対しても、「おはよう」を言いなさいということです。
相手が誰であっても。嫌いないじめっ子でも、嫌いな近所の叔母さんでも、言葉の喋れない人でも、とにかく挨拶をすれば、何かの一歩につながるであろうと信じたいと思ってます。
そして、私は本当にジューくんやリンちゃんが幸せそうに見えます。そう思わせるためには見えないビッグママさんの努力や苦悩がいっぱいいっぱい詰まっているんですね。
いつかアダンがジューくんやリンちゃんにむかって、おはようをいえる日が来るのを夢見てやみません。
また時がたつにつれ、私の感情は変化していくでしょう。今はこれくらいのことしかできません。
お互いに一声の勇気が持てる日がくるのを祈ります。
勝手に紹介してしまいますが、最近あったお話をひとつ。
ある男性がバスに乗っていて、お年寄りのおばあさんが停車ボタンを押そうと手を上げてて、
届かなさそうだったので、
「押しましょうか」
といって、ボタンを押したそうです。当然バスは隣のバス停で止まりました。
しかし誰も降りませんでした。
バスの運転手さんに
「降りる人はいませんか」
といわれ、おばあさんがその男性を指差して、
「この人が押したんじゃぁ」
といわれてしまったそうです。
せっかく勇気を振り絞ってとった行動があだとなってしまった彼はきっと
もう二度と声をかけるもんかと思ってしまったかもしれませんね。
だけど、ちょっとしたヘルプをしたいという気持ちは持ち合わせているんです。
もし、困ったときに助けが欲しいとき、近くにいた人がそんなエピソードを持っていたら、
きっと、声をかけてもらえないかもしれません。
そうしたら、一言声をかけて、すみませんが、ドアを押さえてもらえますかと、いってみると、
きっとその人は快く押さえてくれるでしょう。
一声の勇気。
そんな声が飛び交う世界になっていくように願いながら、
私は目の前に荷物を落とした人がいたら、拾っていくだろうし、
エレベーターに乗りそこなりそうな人がいたら、ドアを押さえていきます。
相手が誰であれ。
LINK to :『妖精が見える子供』
Special thanks to :ビッグママさん、ぶんぶくちゃがまさん、cinyatさん
考えたこと、いま、この感覚でいることを忘れないようにしたいので、結論は出なくても、
行動にしてみようと思い、キーをたたき始めました。
日ごろ、私は色々な方のブログに遊びに行かせていただいています。本当にたくさんの人々の暮らしの一部を見せていただいて、毎日が驚きです。
そして、今日この頃は色々なことを考えさせられることが多いです。きっと、ブロガーの皆さんがまじめにブログというものに取り組んでいるからでしょう。
今日私がすべきことはきっと伝えること、広げることだと思っています。それが本当に望まれているのかは実のところ自身がないのですが・・・
これを読まれる方に何かを期待することは間違っているとは分かってはいるものの、知っておいて欲しい、理解して欲しいと強く望みます。(一部不快な思いをさせてしまう表現かもしれません)
先日のことです。
ビッグママさんの『妖精が見える子供』の記事「怒り・・・そして悲しみ・・・より」の本文で、ビッグママさんより感謝の気持ちを書いていただきました。
思ってもみなかったことで、最初に読んだときは本当にびっくりいたしました。
ビッグママさんの双子の天使のうち、ジューくんは自閉症です。
彼女のブログに全てが書かれています。症状が気づき始めてから、自閉症という障害を自分の息子が持っているということを受け入れるまでの葛藤などがかかれています。
私の周囲に障害をもつ存在はいません。そして、今までの人生の中で福祉やボランティア活動に携わったこともありません。見てみぬふりをしてきたのかもしれません。
ブログをはじめてから、色々な活動をされている方々のお話を聞かせていただくことも増えました。いままで、ボランティアということに少なからず抵抗がありました。いつだって虚無感に駆られてしまうのです。たとえば募金を集めたところで、確かに役に立つかもしれない。だけど、その恩恵を受けるのはほんの一握りの人たち。そう思うと、行き届かなかった人たちへの申し訳なさを感じずに入られませんでした。
ただ、最近少し捕らえ方が、ほんの少しずつですけど、変わってきました。ビッグママさんのブログにコメントを残される多くの方々の中にも障害をもつ家族がいらっしゃる方や、ご自身が障害をもっていらっしゃる方々がいらっしゃいます。
みなさんの生の声を聞かせていただき、みなさんが求めていることがどういうものなのか、おぼろげにも理解することができてきました。
そして、皆さんが求めていることが、必ずしも障害を抱える家族が求めている全てではないということも同時に他の方から学びました。
そして、今後、娘が成長するにつれ、色々な人間を見ていくことでしょう。
娘が一人歩きをしたときに私が一言彼女に教えておきたいことは、
誰に対しても、「おはよう」を言いなさいということです。
相手が誰であっても。嫌いないじめっ子でも、嫌いな近所の叔母さんでも、言葉の喋れない人でも、とにかく挨拶をすれば、何かの一歩につながるであろうと信じたいと思ってます。
そして、私は本当にジューくんやリンちゃんが幸せそうに見えます。そう思わせるためには見えないビッグママさんの努力や苦悩がいっぱいいっぱい詰まっているんですね。
いつかアダンがジューくんやリンちゃんにむかって、おはようをいえる日が来るのを夢見てやみません。
また時がたつにつれ、私の感情は変化していくでしょう。今はこれくらいのことしかできません。
お互いに一声の勇気が持てる日がくるのを祈ります。
勝手に紹介してしまいますが、最近あったお話をひとつ。
ある男性がバスに乗っていて、お年寄りのおばあさんが停車ボタンを押そうと手を上げてて、
届かなさそうだったので、
「押しましょうか」
といって、ボタンを押したそうです。当然バスは隣のバス停で止まりました。
しかし誰も降りませんでした。
バスの運転手さんに
「降りる人はいませんか」
といわれ、おばあさんがその男性を指差して、
「この人が押したんじゃぁ」
といわれてしまったそうです。
せっかく勇気を振り絞ってとった行動があだとなってしまった彼はきっと
もう二度と声をかけるもんかと思ってしまったかもしれませんね。
だけど、ちょっとしたヘルプをしたいという気持ちは持ち合わせているんです。
もし、困ったときに助けが欲しいとき、近くにいた人がそんなエピソードを持っていたら、
きっと、声をかけてもらえないかもしれません。
そうしたら、一言声をかけて、すみませんが、ドアを押さえてもらえますかと、いってみると、
きっとその人は快く押さえてくれるでしょう。
一声の勇気。
そんな声が飛び交う世界になっていくように願いながら、
私は目の前に荷物を落とした人がいたら、拾っていくだろうし、
エレベーターに乗りそこなりそうな人がいたら、ドアを押さえていきます。
相手が誰であれ。
LINK to :『妖精が見える子供』
Special thanks to :ビッグママさん、ぶんぶくちゃがまさん、cinyatさん
昨日、仕事を終えて、保育園にアダンを迎えに行くと、
保育園の入り口には積み重ねられたお団子とススキが飾られていたそして、すぐの部屋の暗がりには大きな案山子があった。
「そうか、今日は十五夜だ。」
保育園とか学校はこういう行事のリマインダーとしては大変役にたつ。
ともすると、会社に毎日出ていたら、その日が何日で何の日で、何曜日かなんて
気にも留めなくなってしまう。
だから、これを機会にちょっと中秋の名月について調べてみたら、
なんと、名月の名所に深川が入っている。新しい我が家から見える名月はおつな物なのかも!と
少し元気になったので本文をご紹介。
中秋の名月
その他にも色々たくさん中秋の名月に関係することが書かれていたので、もっとごらんになりたい方はこちらから
あと、案山子については十五夜とはまったく関係なく、この金曜、土曜日と保育園の近くの
案山子祭りに出展するらしく、比較的年齢の高めな園児が作成したものと思われる。
帰るたびにアダンは
「案山子さん、こわい。」
といっている。
昨日は残念ながら、保育園を出た後、暗い空を見上げてもどこにも
お月様の姿は見えなかった。
ちょっと寂しくなった。
保育園の入り口には積み重ねられたお団子とススキが飾られていたそして、すぐの部屋の暗がりには大きな案山子があった。
「そうか、今日は十五夜だ。」
保育園とか学校はこういう行事のリマインダーとしては大変役にたつ。
ともすると、会社に毎日出ていたら、その日が何日で何の日で、何曜日かなんて
気にも留めなくなってしまう。
だから、これを機会にちょっと中秋の名月について調べてみたら、
なんと、名月の名所に深川が入っている。新しい我が家から見える名月はおつな物なのかも!と
少し元気になったので本文をご紹介。
中秋の名月
中秋の名月を観賞することは、9世紀末から10世紀初頭にかけて中国より伝来した行事と 考えられています。それでは、なぜこの時期の月に関心が集まったのでしょうか。
月は、その運動によって毎日ほぼ同じ割合で空を西から東へ移動しますが、これを月の出る時刻で みると、平均で1日51分ずつ遅くなっていきます。ところが、秋分前後になると、その約半分ほどの 遅れしか生じなくなるような日が数日あり、これに近い満月(つまり中秋の名月)の頃でも、月の出は かなり早めに変化していますので、それほど待たずに月を拝むことができるというわけです。しかも、 月の出の間隔が短くなるばかりでなく、地平線からの月の高さも高過ぎず低過ぎず、ほどよい高さに かかるため、天候の影響さえ考えなければ観月に適した季節であることがよく分かります。
ただし、観月の慣習が一般庶民にまで広まったのは江戸時代になってからのようで、江戸では隅田川の 河口近くや深川、品川、高輪、駿河台あたりが月見の名所として知られていたことが当時の文献に 表れています
その他にも色々たくさん中秋の名月に関係することが書かれていたので、もっとごらんになりたい方はこちらから
あと、案山子については十五夜とはまったく関係なく、この金曜、土曜日と保育園の近くの
案山子祭りに出展するらしく、比較的年齢の高めな園児が作成したものと思われる。
帰るたびにアダンは
「案山子さん、こわい。」
といっている。
昨日は残念ながら、保育園を出た後、暗い空を見上げてもどこにも
お月様の姿は見えなかった。
ちょっと寂しくなった。
ここ数日頭を占拠している言葉のひとつ。
「全てのことは自分にだって起こりうる。」
いつも遊びに行く妄想系「ヨーグルトキック」のオータさんが今日書いていた記事で紹介されていた実話です。
日頃ニュースで騒がれいる、オレオレ詐欺の実体験話です。
読んでいて、実に巧妙な手口で、正直驚愕した。
ニュースで紹介されている事例はごく一部分の手口しか紹介されていないので、
「こんな詐欺に引っかかるなんて・・・」
と、他人事でしたが、自信ないです。
だまされそうです。
とにかく、1人で抱え込まずにまずどなたかに相談していったんクールダウンするようにしましょう!
ってここで標語をあげてもあれなんですけど、ひやりとしたので、皆様におすそ分け。
そして本日のおすそわけっと言うことで
《本日のメニュー》
1.鶏ささみのしそチーズ巻き
2.プチトマト&サラダ菜
3.高菜飯
《鶏ささみのしそチーズ巻きの作り方》
1.鶏のささみに包丁をいれ、薄く延ばす。包丁の背でたたいて、できるだけ薄く肉を延ばしていく。固い筋があれば取っておく。
2.1で平たくしたささみ肉に軽く塩コショウをふり、しそ、チーズをのせてくるくると巻く。
3.巻いた肉を小麦粉、溶き卵、パン粉の順番で衣をつけ、熱した油でじっくりと揚げる。
TB to:「オレオレ詐欺の手口」ヨーグルトキック
「全てのことは自分にだって起こりうる。」
いつも遊びに行く妄想系「ヨーグルトキック」のオータさんが今日書いていた記事で紹介されていた実話です。
日頃ニュースで騒がれいる、オレオレ詐欺の実体験話です。
読んでいて、実に巧妙な手口で、正直驚愕した。
ニュースで紹介されている事例はごく一部分の手口しか紹介されていないので、
「こんな詐欺に引っかかるなんて・・・」
と、他人事でしたが、自信ないです。
だまされそうです。
とにかく、1人で抱え込まずにまずどなたかに相談していったんクールダウンするようにしましょう!
ってここで標語をあげてもあれなんですけど、ひやりとしたので、皆様におすそ分け。
そして本日のおすそわけっと言うことで
《本日のメニュー》
1.鶏ささみのしそチーズ巻き
2.プチトマト&サラダ菜
3.高菜飯
《鶏ささみのしそチーズ巻きの作り方》
1.鶏のささみに包丁をいれ、薄く延ばす。包丁の背でたたいて、できるだけ薄く肉を延ばしていく。固い筋があれば取っておく。
2.1で平たくしたささみ肉に軽く塩コショウをふり、しそ、チーズをのせてくるくると巻く。
3.巻いた肉を小麦粉、溶き卵、パン粉の順番で衣をつけ、熱した油でじっくりと揚げる。
TB to:「オレオレ詐欺の手口」ヨーグルトキック
先ほど紹介いたしました原美術館。
2年程前に行ったときにアメリカの映画俳優兼監督、アーティストのヴィンセント・ギャロが、美術館関係者とともに中庭にいた。
ミーハーな私はこっそり近くにいって、何を話しているのかを聞いていた。
もちろん全て英語だったので、だいたいのことしか聞き取れなかったのだが、
まず、美術館をとても褒めていた。ここで展示される作品についてもいい作品が多いとか、建物も結構有名な建築家が建てていたので、そのことも折に触れながら、ぐるりと庭を見渡すように、
身体を360度回転させていた。
そして、ふと立ち止まって、怪訝な顔をして、一言つぶやいた。
「この建物が全てを台無しにしている。」
このときのことがあったので、私はこのブログのカテゴリーに「景観のゴミ」を作ったのだが、今までここの景色を紹介できずにいたので、今日ようやく胸の奥のつかえが取れた感じがする。
人間はやはり、
自分たちで築き上げたものを自分たちで破壊しつつあるんだ。
そういう考えを持ちたくはないのだけれど、やはり、視界にこんな大きなものが立ちふさがってしまうと、
せっかくのたたずまいも台無しになってしまう。
残すべきものを守っていきたいと、強く願う今日この頃。
2年程前に行ったときにアメリカの映画俳優兼監督、アーティストのヴィンセント・ギャロが、美術館関係者とともに中庭にいた。
ミーハーな私はこっそり近くにいって、何を話しているのかを聞いていた。
もちろん全て英語だったので、だいたいのことしか聞き取れなかったのだが、
まず、美術館をとても褒めていた。ここで展示される作品についてもいい作品が多いとか、建物も結構有名な建築家が建てていたので、そのことも折に触れながら、ぐるりと庭を見渡すように、
身体を360度回転させていた。
そして、ふと立ち止まって、怪訝な顔をして、一言つぶやいた。
「この建物が全てを台無しにしている。」
このときのことがあったので、私はこのブログのカテゴリーに「景観のゴミ」を作ったのだが、今までここの景色を紹介できずにいたので、今日ようやく胸の奥のつかえが取れた感じがする。
人間はやはり、
自分たちで築き上げたものを自分たちで破壊しつつあるんだ。
そういう考えを持ちたくはないのだけれど、やはり、視界にこんな大きなものが立ちふさがってしまうと、
せっかくのたたずまいも台無しになってしまう。
残すべきものを守っていきたいと、強く願う今日この頃。
マルタご愛読ありがとうございます。
最近アップ状況が遅れており、皆様のご期待に沿えず
誠に申し訳ございません。
ここ数日思うことがあり、
そのことで脳内が占拠されております。
ですので、そのことの整理がついて、まず記事に残してから、
マルタの再スタートを切らせてください。
そんなに時間はかからないとは思いますが、もやもやしたまま先に進めたくないのと、
先に、そのことを記事にしたところで、マルタの内容が変わるわけではないのですが、
妙な感じで、先にこのことを書いてからではないと先に進めない!という、
思いが発生しております。
日々の記事はアップしていきますので、
皆様、遊びに来てくださいね。
よろしくお願いいたします。
koko
最近アップ状況が遅れており、皆様のご期待に沿えず
誠に申し訳ございません。
ここ数日思うことがあり、
そのことで脳内が占拠されております。
ですので、そのことの整理がついて、まず記事に残してから、
マルタの再スタートを切らせてください。
そんなに時間はかからないとは思いますが、もやもやしたまま先に進めたくないのと、
先に、そのことを記事にしたところで、マルタの内容が変わるわけではないのですが、
妙な感じで、先にこのことを書いてからではないと先に進めない!という、
思いが発生しております。
日々の記事はアップしていきますので、
皆様、遊びに来てくださいね。
よろしくお願いいたします。
koko
久しぶりに原美術館に旦那様とアダンと3人で出かけていった。
私はこの美術館が大好きで、特に何が展示されてるかを確認もせずに大学の頃から、
気が向いたときに足を運んでいた。
大学の頃、課題でこの美術館の敷地を利用して、美術館を設計したこときっかけで、敷地調査に出向いたのがはじめての出会いであった。
こじんまりとした個人の邸宅を美術館にしたこの原美術館は、規模もそれほど大きくなく、庭も残されており、庭にはいくつかの彫刻やらオブジェが無造作に展示されている。庭にはカフェがあり、晴れた日には芝生で食事もできる。また、食事をしなくても、頼めば庭でアダンを放流することも可能である。
本当は新宿御苑の広い芝生の上で、アダンを裸足で遊ばせたかったのだが、天気があまりよくなかったので、原美術館に連れて行くことにした。
今回の企画展は奈良 美智氏の作品だった。
彼の作品はありとあらゆるところで紹介されているので、名前は知らなくとも、作品を見れば、ああ、と思う方も多いだろう。
以前から知ってはいたものの、あまり個人的には興味がわかなかったうちの1人だ。
だけど、台湾へ行ったときに、現代美術館で(休館日だったので、中は見てない)行われていたグループ展でも、彼の名前が表示されていて、だんだん、作品を見てみようかという気持ちになり、
今回訪れた理由のひとつでもある。
表現するのは難しいのだけれど、彼の醸し出す色彩はとても繊細で淡い色合いが多い。モチーフは子供が多いのだが、その子供の表情が独特で、そこにファン層を連ねる理由になっているのだろう。
だけど、やはり、
痛かった。
いまだ、彼の作品を消化し切れていない状態である。
中にはファンシーな作品もあり、空間に草花をモチーフにした紙細工が床にちりばめられ、子供が横たわり、壁に、彼の彫刻がいくつかかけられていて、そこだけは何だか、ファンタジーの世界のようで、アダンも1階から見てみたり、階段の踊り場から、覗いて、興奮していた。
子供中心の休日だけれども、やはり、自分たちも楽しみたいから、
きっとこれからも、美術館やギャラリーや芝生には頻繁に行くであろう。
写真:原美術館 庭園にて。アダンと旦那様。
私はこの美術館が大好きで、特に何が展示されてるかを確認もせずに大学の頃から、
気が向いたときに足を運んでいた。
大学の頃、課題でこの美術館の敷地を利用して、美術館を設計したこときっかけで、敷地調査に出向いたのがはじめての出会いであった。
こじんまりとした個人の邸宅を美術館にしたこの原美術館は、規模もそれほど大きくなく、庭も残されており、庭にはいくつかの彫刻やらオブジェが無造作に展示されている。庭にはカフェがあり、晴れた日には芝生で食事もできる。また、食事をしなくても、頼めば庭でアダンを放流することも可能である。
本当は新宿御苑の広い芝生の上で、アダンを裸足で遊ばせたかったのだが、天気があまりよくなかったので、原美術館に連れて行くことにした。
今回の企画展は奈良 美智氏の作品だった。
彼の作品はありとあらゆるところで紹介されているので、名前は知らなくとも、作品を見れば、ああ、と思う方も多いだろう。
以前から知ってはいたものの、あまり個人的には興味がわかなかったうちの1人だ。
だけど、台湾へ行ったときに、現代美術館で(休館日だったので、中は見てない)行われていたグループ展でも、彼の名前が表示されていて、だんだん、作品を見てみようかという気持ちになり、
今回訪れた理由のひとつでもある。
表現するのは難しいのだけれど、彼の醸し出す色彩はとても繊細で淡い色合いが多い。モチーフは子供が多いのだが、その子供の表情が独特で、そこにファン層を連ねる理由になっているのだろう。
だけど、やはり、
痛かった。
いまだ、彼の作品を消化し切れていない状態である。
中にはファンシーな作品もあり、空間に草花をモチーフにした紙細工が床にちりばめられ、子供が横たわり、壁に、彼の彫刻がいくつかかけられていて、そこだけは何だか、ファンタジーの世界のようで、アダンも1階から見てみたり、階段の踊り場から、覗いて、興奮していた。
子供中心の休日だけれども、やはり、自分たちも楽しみたいから、
きっとこれからも、美術館やギャラリーや芝生には頻繁に行くであろう。
写真:原美術館 庭園にて。アダンと旦那様。