狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

ビデオゲーム

2018年12月26日 | 聖書
「木が南風や北風で倒れると、その木は倒れた場所にそのまま横たわる。」(伝道者の書11:3)

「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(2コリント6:2)

ニコラスは、ビデオゲームに夢中でした。ゲームのボタンを押すニコラスの両手の親指の動きは止まる事なく、一生懸命、敵の攻撃をかわしていました。と、急に顔を上げ、「残りの命はあと、五個!」と、言いました。
これは、そのゲームで敵に殺されても、あと五回、生き返り、敵に挑戦できるということです。

これは、単なるビデオゲームの話です。もしニコラスがゲームで負けても、また、最初からやり直す事ができます。ただ、ボタンを押しさえすればいいのですから、簡単です。けれども、人間の一生は、こうはいきません。

しかし、こういったビデオゲームには、生と死を軽視するようになる危険性を孕んでいます。いつでも、人生のやり直しができるような思いになるのです。けれども、現実は違います。人生は一度きりです。死んでから、やり直すことはできません。死は、人生の終わりであり、誰もそれを避けることはできません。

私たちの人生は、唯一無二のものです。けれども、誰も、その寿命の長さを知ることはできません。この人生は、私たちにとって、死後の永遠をどこで生きることになるかを決める、非常に大切なものなのです。なぜなら、この地上で生きている間にこそ、神様の救いを受けることができるからです。

神様は、私たちを救うため、その御子なるイエス様を与えて下さいました。読者の方々、どうか今この地上で生きている間に、是非、正しい道をお選びになって下さいますように。

「私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。」(2コリント5:20)

(Buena semilla より)