狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

光と闇

2020年11月01日 | 聖書
“あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。“
(第一コリント10:13)

わたしたちは、罪があるために、光である神様に背を向け、真っ暗な暗闇の中に生きています。

“悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されること恐れて光の方に来ない。“
(ヨハネ3:20)

ですから、わたしたちは、壁にぶつかったり、人とぶつかり合い、傷だらけです。 しかし、今から2000年以上も前に、神の御子イエス様が、この地上に、人間として生まれて下さり、わたしたちの全ての罪を負って、十字架にかかり、わたしたちの身代わりとなって、罪の罰を受けて下さいました。 ですから、わたしたちは、悔い改めてイエス様を救い主として受け入れれば罪が許されます。 罪が許されたなら、わたしたちは、もう、神様に背を向けていなくていいのです。 暗闇では、道も出口も見つけることはできません。 けれども、神様に向きなおれば、その光によって出口を見つけることができるのです。

“あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。“
(詩篇119:10)

“光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。“
(ヨハネ1:5)

あなたは、まだ、闇を愛し続けますか?


(礼拝メッセージ、要約)

夕暮れ時

2020年11月01日 | 生活
先週末、夏時間から冬時間に変わり、日本との時差が8時間になりました。
そのせいで、日暮れも早くなりました。わたしは、家の窓から外を見て、日が暮れ始めてくると、なぜか、非常に切ないような、頼りないような、嫌な気持ちに襲われます。 段々と暗くなっていくのを見たくないので、まだ十分に明かりがとれても、さっさとカーテンをしめて、部屋の電気をつけてしまいます。
それに反して、朝、まだ、陽がのぼらないうちに起きるのは好きです。自分の1日が 24時間以上になったようで、何だか得した気分になります。 明るくなってしまうと、残念に思います。 まあ、起きられないことも多いのですが。

そういえば、先週の礼拝メッセージで、光について話していました。 次回は、そのメッセージを要約してみます。

(Semakimo)