★57回目も、奈良屋町エリアからです。
57.【西方寺前町】さいほうじまえまち(奈良屋町10)その9
【西方寺前町】さいほうじまえまち
●「流」:土居町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町10
●碑文:はじめ西方寺浜といい櫛田宮神輿潔め山笠棒洗いなどこの浜で行う のちに門前町となり食料品日用雑貨の店多し
●案内:西方寺山門の水右側にあります。お寺を探せば大丈夫です。
●地図:http://l . . . 本文を読む
★56回目も、奈良屋町エリアからです。
56.【旧古渓町】こけいまち(奈良屋町10)その8
【旧古渓町】こけいまち
【旧古渓大同庵内博多近隣古図】
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町10
●碑文:大徳寺117世住職古渓上人配流の仮寓大同庵があった 魚問屋多く古渓水(井戸)は火災除けとして霊験あらたか
●云々:天正16年京都大徳寺の僧古渓和尚が秀吉に博多に流されて2年後帰京 . . . 本文を読む
★55回目も、奈良屋町エリアからです。
55.【旧芥屋町】けやまち(奈良屋町12)その7
【旧芥屋町】けやまち
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町12
●碑文:糸島郡芥屋から来た魚問屋があった
●云々:糸島郡の芥屋村から来た猟師が納屋を作った所から付いた名なのですね。
●案内:マリンホテル新館の斜め向かいにあります。町内の掲示板の下になります。
●地図:http://lin . . . 本文を読む
★34回目は、冷泉町エリアからです。
今回は、石碑が移転した関係での修正版です。
34.【旧大乗寺前町】だいじょうじまえまち(冷泉町7)
【現在の場所です】
【移転前の場所です】
【旧大乗寺前町】だいじょうじまえまち
●「流」:土居町流
●居所:福岡市博多区冷泉町7
●碑文:律宗の大乗寺前芝居小屋宝玉舎があった
●云々:夜になると、屋台が出ます、BAR形式の屋台もあって、賑や . . . 本文を読む
★54回目も、奈良屋町エリアからです。
54.【旧釜屋番】かまやばん(奈良屋町9)その6
【旧釜屋番】かまやばん
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町9
●碑文:芦屋の釜師たちが住んでいた
●云々:「どふづき藤兵衛」とか言う釜鋳師が居たところから付いた名のようです。
鍋鋤鎌鍬などを造る芦屋の釜師が住んでいたところですね。
●案内:喫茶店「ALPS」のお店の前にあります。 . . . 本文を読む
★53回目も、奈良屋町エリアからです。
53.【旧下市小路】しもいちしょうじ(奈良屋町14)その5
【旧下市小路】しもいちしょうじ
●「流」:呉服町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町14
●碑文:太閤の博多町割の基本線になった町 博多大商人はこの町筋に集った
●云々:1587年(天正15年)の太閤町割りの時に始めて綱張りをした所なので一小路
と名づけられたんですね。
●案内:蔵本 . . . 本文を読む
★52回目も、奈良屋町エリアからです。
52.【旧萱堂町】かやどうまち(奈良屋町7)その4
【旧萱堂町】かやどうまち
●「流」:呉服町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町7
●碑文:博多七堂の一つ萱堂山光西寺が町名の由来魚腹地蔵をまつる
●云々:古くは、甘萱道と言うお堂があってその名が町名になったようです。
光西寺は明治5年に廃寺となっているようですが、聖福寺に属していて本尊が
. . . 本文を読む
★51回目も、奈良屋町エリアからです。
51.【旧奥小路】おくしょうじ(奈良屋町6)その3
【旧奥小路】おくしょうじ
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町6
●碑文:天正年間すでにこの町名あり 太閤博多町割以前の町
●云々:肥前国大川野岩屋城主の鶴田越前守の末子鶴田宗悦(惣右衛門)が博多入りし
秀吉より賜った屋敷跡あたりになるようです。
●案内:奈良屋小学校の脇にあり . . . 本文を読む
★50回目も、奈良屋町エリアからです。
50.【旧奈良屋番】ならやばん(奈良屋町1)その2
【旧奈良屋番】ならやばん
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町6
●碑文:練酒の奈良屋九郎兵衛がいた 神屋宗湛の屋敷跡が現小学校
●云々:1587(天正15)年豊臣秀吉が焼野原となった博多の街を見て、家臣の石田三成
に命じて町の復興したのち、博多の豪商「神谷宗湛」がその秀吉の遺徳 . . . 本文を読む
★49回目は、奈良屋町エリアからです。
49.【旧蔵本番】くらもとばん(奈良屋町)その1
【旧蔵本番】くらもとばん
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区奈良屋町
●碑文:太閤朝鮮出陣の時 兵糧の米倉があった
●云々:「福博古図」では、昔この町に津内(博多)の収納蔵があったのでこの名になった
との記述があるようです。また、大阪から山中山城主・山口玄番が此処に奉行と
してき . . . 本文を読む
★48回目は、須崎町エリアからです。
48.【旧下鰮町】いわしまち(須崎町)
【旧下鰮町】いわしまち
●「流」:須崎流
●居所:福岡市博多区須崎町
●碑文:宝暦二年七月この町名藩許となる 七軒魚問屋があり 博多繁昌の一翼をになう
●云々:寛政3年に、それまで中洲の北側にあった「古御船入」(長崎警備の御用船の
船溜りが、浅くなったため、この地に造られたようです。
その後は、 . . . 本文を読む
★47回目も、古門戸町エリアからです。
47.【旧浜小路】はましょうじ(古門戸町4)
【旧浜小路】はましょうじ
●「流」:土居町流
●居所:福岡市博多区古門戸町4
●碑文:西方寺浜への狭い道路 幕末頃より道巾広くなり酒造 油 生蝋の問屋軒をならぶ
●云々:博多七小路(市小路・中小路・金屋小路・奥小路・古小路・対馬小路)のひとつです。
土居町から西方寺浜への道路沿いになるんですね。 . . . 本文を読む
★46回目も、古門戸町エリアからです。
46.【旧対馬小路】つましょうじ(古門戸町3)その2
【旧対馬小路】つましょうじ
●「流」:須崎流
●居所:福岡市博多区古門戸町3
●碑文:この町の海岸に対馬藩の屋敷があった
●云々:天正15年対州宗対馬守義智が秀吉に願い出て、30軒を賜って蔵本としたとの
記述が「福博古図」に記述されているようです。碑がある位置は「対馬小路町中」
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★45回目は、古門戸町エリアからです。
45.【旧行町】ぎょうのまち(古門戸町1)その1
【旧行町】ぎょうのまち
●「流」:土居町流
●居所:福岡市博多区古門戸町1
●碑文:空海上人 東長密寺を建て勤行
●云々:「続風土記」では、上下の2町に分かれていたようです。
由来は、弘法大師がこの地で「行」をしたので勧業ノ町(ごんぎょうのまち)と
言ったそうです。「福博古図」では、 . . . 本文を読む
★44回目も、中洲中島町エリアからです。
44.【旧浜新町】はましんまち(中洲中島町5)その2
【旧浜新町】はましんまち
●「流」:現在は中洲流という
●居所:福岡市博多区中洲中島町5
●碑文:昔 野菜市で賑わう
●云々:天保改革の一環で造った銀札(藩札)を発行した政策で天保5年、中島町の北側筋の
埋築地を浜新地として、茶屋や芝居小屋、角力(相撲)、富くじの興行を藩の施策と
. . . 本文を読む