北アルプス登山ー薬師沢小屋~太郎平へ 2018.8.18 8:00am
・毎年、盆が近づいてきますと、北アルプスに登れるということで
ワクワクしてきます。
普段は、和泉の低山を歩いていますが、盛夏だけは違います。
登山は、私は専門じゃありませんので、足腰を鍛錬するような頻度では
山登りはしていません。
アルプスに登りたければ、足腰を鍛える。
普通は、そうなんですけれど、私の場合は
勿論ですが、低山歩きもして、筋力を付けることは2000m級登山準備として
行っていますが、
本当は、意識の力(氣の威力)を使っています。
つまり、足・手のみを鍛えるのは、山は足が丈夫でないと登れないという心配があるからです。
しかし、太極拳をやっている方ならわかると思いますが
身体には、意識のスイッチをONにするだけで、氣の力で
胴体の深部筋を足の力に流す、つまり背中の筋肉を歩く=登るのにつかうというテクニックがあります。
それを証明するために、私はアルプス登山を始めたんです。
一年目は上手くいきませんでしたが、その失敗を徹底的に分析して
太極拳の技術をどうやったら、本格登山に活かせるかを1年間準備してやった結果。
2年目からは、筋肉痛もなく、10時間~13時間くらい北アルプスをアップダウンしても大丈夫にしました。
意識を極めることは、これ極意なり・・・というように
身体は鍛えることは否定しませんし、もちろん必要です。
でも意識を使うと、省エネで登れるんです。
でも人はなかなか信じきれないんです。それは意識の力より、実体の力(筋力信仰にちかい)に頼り切っちゃうんです。
意識すると、外の世界(自分意外にも・自分自身)に作用を及ぼせます。
太極拳だけじゃないです、合気道でも何でも極めたら、身体に対する常識が180度かわるんですって。
でも殆どの人は、健康体操とかスポーツとしてしか意識しないでやっていますので、
もったいないと思います。
でも、人それぞれですからそれはそれでいいんですけれど。
私は、基本アレンジクラスや上級アレンジクラスで
身体と意識=氣の作用を教えているんですよ。
ですから、定期的な練習というものは当会ではないんですよ。
練習じゃないんです、すべては本番、本気なんですよ。
練習しているようでは、人生の時間の無駄遣いです。
人生は練習じゃないでしょう。
練習というのは幻なんです、すべては本気という"氣"の世界なんです。
・毎年、盆が近づいてきますと、北アルプスに登れるということで
ワクワクしてきます。
普段は、和泉の低山を歩いていますが、盛夏だけは違います。
登山は、私は専門じゃありませんので、足腰を鍛錬するような頻度では
山登りはしていません。
アルプスに登りたければ、足腰を鍛える。
普通は、そうなんですけれど、私の場合は
勿論ですが、低山歩きもして、筋力を付けることは2000m級登山準備として
行っていますが、
本当は、意識の力(氣の威力)を使っています。
つまり、足・手のみを鍛えるのは、山は足が丈夫でないと登れないという心配があるからです。
しかし、太極拳をやっている方ならわかると思いますが
身体には、意識のスイッチをONにするだけで、氣の力で
胴体の深部筋を足の力に流す、つまり背中の筋肉を歩く=登るのにつかうというテクニックがあります。
それを証明するために、私はアルプス登山を始めたんです。
一年目は上手くいきませんでしたが、その失敗を徹底的に分析して
太極拳の技術をどうやったら、本格登山に活かせるかを1年間準備してやった結果。
2年目からは、筋肉痛もなく、10時間~13時間くらい北アルプスをアップダウンしても大丈夫にしました。
意識を極めることは、これ極意なり・・・というように
身体は鍛えることは否定しませんし、もちろん必要です。
でも意識を使うと、省エネで登れるんです。
でも人はなかなか信じきれないんです。それは意識の力より、実体の力(筋力信仰にちかい)に頼り切っちゃうんです。
意識すると、外の世界(自分意外にも・自分自身)に作用を及ぼせます。
太極拳だけじゃないです、合気道でも何でも極めたら、身体に対する常識が180度かわるんですって。
でも殆どの人は、健康体操とかスポーツとしてしか意識しないでやっていますので、
もったいないと思います。
でも、人それぞれですからそれはそれでいいんですけれど。
私は、基本アレンジクラスや上級アレンジクラスで
身体と意識=氣の作用を教えているんですよ。
ですから、定期的な練習というものは当会ではないんですよ。
練習じゃないんです、すべては本番、本気なんですよ。
練習しているようでは、人生の時間の無駄遣いです。
人生は練習じゃないでしょう。
練習というのは幻なんです、すべては本気という"氣"の世界なんです。