「役立たずっ」
怒鳴り声に智子ははっと顔を上げた。
机にもたれて少しうとうとしていたらしい。
「どうしたの?」
それに気づいて先輩のかおるがカルテをチェックしながら聞いて来た。
石田かおるは夜勤の時の智子のパートナーだ。
「す、すみません」
「いいよ、いいよ。疲れてんだからさ。
ただしナースコールにはちゃんと出てね。
ところでなんか嫌な夢でも見たの? うなされてたよ」
かおるがカルテを棚に戻し隣に座った。
「覚えてないけどどんな夢か大体わかってます。
以前勤めてた病院の師長に怒鳴られる夢――」
「なんかドジ踏んだか?」
かおるの軽口に智子はしゅんと頭を下げた。
「いえ、その――わたし、いまだになぜかわからないんですけど、ずっといじめられてて」
「ええっ? 師長に?」
「それとみんなから――」
「別にどんくさいわけでもなく、ちゃんと仕事もこなせるのにね。あなた大人しいからうっぷん晴らしにされてたのかも。だから辞めたの?」
智子はうなずいた。
「そういうやつどこにでもいるよねー。きっとあなたの後には別の誰かをターゲットにしてるわよ。辞めて正解っ。で、ここに勤めたのも正解っ。ここにはわたしみたいに優しい先輩がいるし」
智子はぷっと吹き出した。
「そこっ、笑うとこじゃない」
この新たな職場は片田舎の――以前いた街中からなるべく離れたかった――山のふもとにある美しい森に囲まれた病院で、一階は外来診察室、検査室など診療、治療設備が整い、二階には病室が大部屋を含め21室、ベッド数は約50床あった。
智子は二階の入院施設に配属され、夜勤の際は石田かおると雇われ医師の松橋祐介と組んでいた。
かおるも松橋も優しく、叱る際でも人としての尊厳を踏みにじるような言葉など吐かない。
そんな仲間とのどかなこの場所に智子の傷ついた心は徐々に癒されていった。