斎藤幸平の新著『マルクス解体』読後第一感想。
斎藤は1987年生まれの日本のマルクス主義者である。日本ではマルクス主義が20年間に及び約100人の死者を出した「内ゲバの時代」によってすっかり縮小し、ほとんど滅亡寸前のところに、内ゲバ終息後に生まれた斎藤が新しい光を投げかけたことで、若者はもとより老マルクス主義者たちによっても注目されている。(なお「内ゲバ」については「他党派解体の暴力」を基本路線とした加害者である革マル派と被害者であった中核派、解放派を同列に並べて非難する内田ら一部の論者がいることは、その時代を知るものとも思えない権力におもねる立場の暴論である)。
『マルクス解体』では、私が前著『重度精神障害を生きる』において展開した「1869年11月にマルクスは植民地主義的な抑圧民族の立場から、まず第一に植民地主義側の民族は被抑圧民族解放のために闘わなければならないという立場への、コペルニクス的な転換を成し遂げた。その時から、マルクス主義は真に被抑圧者、被差別者の側の、障害者解放運動の理論への発展可能性を獲得した」という論理を、本書では、まさに私が自著の中で引用した1869年12月のマルクスからエンゲルスへの手紙を引用して、斎藤の言葉で論述している。もちろん「障害者解放云々」ということを斎藤が言っている訳ではなくまた、斎藤はこのマルクスの転換は1868年から始まっていると述べている。しかし斎藤が1968年から始まったと言っている大転換によって、マルクスはそれまでの彼自身の「生産力至上主義」を否定した資本主義批判を展開するに至った。そのことは、重度障害者(重度精神障害者)を社会的な解放の主体として労働者と同列に並べることを可能にし、また新社会における尊厳ある地位を障害者(精神障害者)に保証したのだ。このことから、マルクス主義は障害者解放理論としての発展可能性を獲得したと言える。なぜならば、1868年までの生産力至上主義的なマルクス主義では、従来から「効率に劣る」として様々な場、労働現場からだけではなくて社会運動からさえも排除されてきた障害者(重度障害者)はせいぜい「救済」の対象であったり、「周縁的な実存」ではありえても、自己解放の主体、新しい社会を労働者と共に並んで建設していくべき主体としては登場しえなかったからである。
すでに帝国主義批判理論を媒介とした障害者解放論は存在したが、資本主義そのものの批判の次元における障害者解放論は欠如したままだった。当時の1970年「7・7」自己批判という被差別人民への「贖罪」の思想はマルクス主義の言葉では語られることがなかった。実際に、障害者解放運動は社会主義運動においては周縁化されており、労働者階級と同等の解放の主体、新社会建設の主体としては、理論的にも実践的にも扱われてこなかった。このことが、マルクス主義者であり重度精神障害者である私を長年悩ませた事実だったのだ。私は同情や救済なんかされたくはない。解放の主体としての尊厳ある立場を求めてきたのだ。その私の解答が前著『重度精神障害を生きる』だった。
1868年からのマルクスが生産力至上主義(と史的唯物論)を捨てていたことの論証によって、「新社会(昔から言われていたような生産力の発展の果てにある遠い将来の共産主義社会ではなくでは、生まれ変わったばかりの新社会のこと)ではもはや生産に血道をあげる必要はない」と宣言することによって、はじめて「労働能力がない」とされてきた重度障害者(重度精神障害者)は一人の人間としての、労働者階級と同等の、自己解放によって新社会を建設する者としての尊厳ある「場」を獲得したと言えるのではないか。その「場」を実証的に論証したことが、私にとっては『マルクス解体』の最大の成果物であると思う。もちろん、私が前著を書き上げるためにかなりの量の『マルクス・エンゲルス全集』を読み込む必要があったのに比して、本書では容易に素材を提供してくれるという意味であって、本書自体が障害者解放論を展開している訳ではないことは、言うまでもないであろう。