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【戦略経営者登場】吉田太一氏:キーパーズ社長

2014年05月03日 | インターネットニュース
【戦略経営者登場】吉田太一氏:キーパーズ社長(gooニュース×戦略経営者) - goo ニュース


【戦略経営者登場】吉田太一氏:キーパーズ社長

gooニュース×戦略経営者2014年5月2日(金)13:00


写真3

吉田太一 ◎プロフィール
よしだ・たいち●1964年、大阪府生まれ。運送会社に勤務後、28歳で引っ越し運送業者を始め、日本初の「ひっこしやさんのリサイクルショップ」を開業、メディアの反響を呼ぶ。2002年、日本初の遺品整理専門会社キーパーズを設立。本業以外にも、孤立死を防ぐための講演活動なども精力的に行っている。著書に『遺品整理屋は見た!』(扶桑社)、『私の遺品お願いします』(幻冬舎)などがある。

質の高いサービス追求する遺品整理業のパイオニア

清潔感のある短髪に気さくな人柄、常に笑いをとろうとするサービス精神――人間の死と残された家族をめぐるさまざまなドラマを目の当たりにしてきた人物とは一見思えないが、キーパーズの吉田太一社長は、紛うことなき遺品整理のパイオニアである。  

「遺品整理は、場合によっては葬式よりも骨の折れるもの。当社は、葬儀の後に遺族がしなければならないことすべてを代行することで売り上げを伸ばしてきました」  

亡くなった方の家財道具一式の貴重品チェックからはじまり、ときには遺族によって「不要」と判断されていたものからプロの目で形見分けの品を見つけ出して「形見として残されてはどうですか」と提案する。また本当に不要なものは分別して一般廃棄物業者の手配を行い、空っぽになった部屋を最後はきれいに清掃する――これらの作業はこれまで故人の親族が行ってきたが、核家族化の進行や一人住まい世帯の増加で状況が一変。単身者が亡くなり発見が遅れた場合などは身内ですべてその後の整理を済ませることは難しく、そのような遺族が遺品整理を同社に依頼するケースが増えているのだという。費用は数十万円からと決して安くはないが、そもそも同社へ遺品整理を頼むのは「自分たちだけではとても手に負えないが、廃棄物業者にゴミの片づけとして依頼するのもしのびない。専門性の高いキーパーズにお願いしよう」という心ある遺族。言い換えれば安さよりサービスの質を求めている顧客からの支持を受けているということで、価格競争に巻き込まれることなく年間1500~1600件の遺品整理を手がけている。遺品整理に対する需要は減少が予測されているものの、吉田社長は「付加価値の高いサービスを追求している当社の方針がより多くの人に伝われば、現在の2~3倍は伸びしろがある」と話す。


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2014年5月2日(金)13:00


「あなたが神様に見える」

吉田社長がこの事業形態にたどり着くまでには紆余曲折があった。日本料理の板前や大手運送業者勤務などさまざまな職種を経て、1994年に軽トラック1台を借金で購入し「吉田運送」を設立。リサイクル事業に進出して「日本初の引っ越し屋さんのリサイクルショップ」などとマスコミで話題になったり、インターネット黎明期から自社ホームページを開設し検索順位トップを記録したりするなど事業は軌道に乗ったが、同業者間の激しい競争で将来性に確信は持てなかった。  

「運送業で何か新しいことを始めようとするとすぐに他社がまねし、あほらしい値下げ競争ばかり。それとは別の商売のヒントはないかと常に考えていたところ、ある遺族の姉妹の方にお会いしたのです」  

引っ越しの依頼だったが、荷物の行き先は姉妹それぞれが住む東京と横浜。見積もりに行くと、2人がタウンページ片手に途方に暮れていた。家の中には見積もり依頼のあった荷物以外にもまだ大量の家財道具が残っている。聞けばこれから処分業者やリサイクル業者を探すのだという。吉田社長はそこで提案した。「お手伝いできることがあれば、うちが全部やりますよ」。思いがけない言葉に姉妹はことのほか喜んだ。

「今まで仕事をしてきてこんなに感激されたことはありませんでしたよ。『このタイミングで全部整理してくれる人は神様に見える』とまで言われたんですから」

そこで初めて家の中に遺影があるのに気付いた。姉妹は、亡くなった父の遺品整理をしていたのである。会社に戻って調べてみると、遺品整理を専門に展開している業者は一つもなかった。吉田社長はここにチャンスがあると直感した。引っ越しの車や道具、スタッフなど経営資産をそのまま流用できる、と。ましてや直営で展開しているリサイクルショップとのシナジーも見込める。勝算はあった。

「全国の葬儀関連サイトに『とても大切な仕事なのでホームページ上で宣伝してください』とメールを送ったところ、ある名古屋の会社が興味を示してくれ、その会社と愛知県刈谷市に新会社を合弁で設立することになったのです。1年以内に東京支店を出すという目標が達成できなければ撤退する不退転の決意でした」

最初に取り組んだのは、専用ホームページの構築などメディアを駆使した広告宣伝。とくに検索リストのランキング上位に選ばれるホームページの作りこみには自信があり、最初の数か月はパソコンとにらめっこする日が続いた。すると努力のかいあって遺族から徐々に依頼が入り始め、そのうち有力メディアもそのユニークな事業形態に注目。大手紙やテレビなどにたびたび取り上げるようになり認知度が飛躍的に向上し、全国から見積もり依頼が届くようになった。当初の目標だった東京支店はもちろん、北は北海道から南は福岡まで全国に拠点を持つ日本初の遺品整理業者としてその名を知られるようになったのである。
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著作のヒットで全国にファン

事業が急拡大したときに問題となるのが人材の確保である。ましてや手がけているのが遺品整理。死後から時間が経過して発見された孤立死の場合、ウジムシやハエの駆除や死臭の脱臭、血液や体液が付着している室内の清掃や消毒などもしなければならない過酷な現場だ。そうした業務を難なくこなせる優秀なスタッフの確保が事業を継続できるかを決める試金石ともいえるが、吉田社長はそのハードルも乗り越えた。『遺品整理屋は見た!』(2006年、扶桑社)をはじめ、自らの経験を綴った著作を立て続けに出版したことで「遺品整理業」という仕事の知名度が上がり、「キーパーズで働きたい」という若者が全国に出現するようになったのだ。いまでは社員募集に応募する人のほとんどが吉田社長のファンだという。キーパーズが行っている事業そのものに心打たれた社会貢献意識の高い人材が手を挙げて集まってくるわけだから、入り口の時点ですでに雇用のミスマッチを防いでいる。入社後に理想と現実の落差に戸惑う新人もいそうだが、そうした心配も不要だ。

「遺品整理業は、現場がひどければひどいほどお客さまから『ありがとう』と感謝される仕事ですが、若い人はこんなに喜ばれる経験をほとんどしていません。ですから依頼者からの心のこもった感謝の言葉がどんどんやる気につながり、人間性の成長にもつながるのではないでしょうか。現場がつらいから辞めたという社員はこれまで一人もいません」

吉田社長は今後、これまで以上に社員教育に力を入れていくつもりだという。言葉づかいや接客の水準を引き上げ、さらに質の高いサービスを提供することで、「価格は高くてもやっぱりキーパーズにお願いしたい」という顧客が集まる圧倒的なブランド力を形成するためである。

「おひとりさま」でも大丈夫

よりよいサービス提供を追求する経営者としての手腕を発揮しつつ、最近は社会問題となっている孤立死について公の場で積極的に発言する機会も増えてきた。社会福祉協議会や教育機関、自治体、企業などからの講演依頼が後を絶たないという。

「高度成長のバラ色の人生を生きてきた高齢者の方が過去を振り返ったとき、見落としてしまっていたものに気付くでしょう。彼らは努力によって自由と便利を獲得しました。それは立派なことですが、一番煩わしい人間関係の重要性を忘れてしまった。講演に来ている人たちには、『10代や20代など若い世代のためにももっとお金を使って交流してみてはどうですか』『世話になってもらえるよう周囲と人間関係を構築したほうがいいと思いますよ』などと呼びかけています」

吉田社長は、孤立死を避け遺族に迷惑をかけないで死を迎えるために必要なことをコンパクトにまとめた冊子『おひとりさまでもだいじょうぶノート。』を無償で配布する活動もはじめた。遺品整理業のプロならではの実践的なアドバイスが評判を呼び、配布部数は10万部を超えたという。

COMPANY DATA
設 立 2002年10月
所在地 東京都大田区大森本町2-4-22
売上高 約4億円
URL  http://www.keepers.jp/


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