極秘入手。福島原発大惨事の最悪“シュミレーションX” ~危機的状況は変わっていない~(1)
掲載日時 2011年05月21日 11時00分|掲載号 2011年5月26日 特大号
5月6日、菅直人総理は今後高確率で起こりうる東海大地震への対策を理由に、ついに静岡県浜岡原発の全面停止を中部電力に要請するに至った。しかし、今目前にある危機、福島第一原発事故の行く末はいまだ見えぬまま。収束にはなお6~9カ月を要すると発表した東京電力からは具体的な案は提示されずじまい。もはや“死に体”とまで言われる菅政権からも、復興に向けた青写真は示されずに、情報公開の不透明さがいたずらに国民の不安を掻き立てている。
そんな先の見えない脅威に晒される中、某キー局の関係者間で出回る1冊のマニュアル本の存在が明らかになった。
「題名は『シミュレーションX』。これには緊急時の放送体制が記されており、まさしく今回の震災の影響で事故を起こした福島原発を想定したものです。当然、このマニュアルは今現在でも使用し、生きています」
こう語るのは、報道番組の制作を請け負う制作会社プロデューサーの平幸治氏(仮名)だ。
3月11日14時46分、平氏は、報道局のフロアでこれまでにない揺れを感じ、次々と入ってくる速報に体を強張らせていたという。そして、そのまま帰宅することが出来ずに局で朝を迎えた。
日本中を震撼させる一報が飛び込んできたのは12日午後4時。福島第一原発1号機で爆発事故があったとの第一報が入ったのだ。
「すぐに記者を飛ばし非番の記者にも緊急招集を掛けました。事故の詳細が次々と入ってくるに従い恐怖で思わず身がすくみ、本当に恥ずかしい話ですが、家族に電話をして避難する準備をするよう伝えました」(局関係者)
続いて、福島第一原発2号機でも炉心溶融の疑いによる圧力容器破壊、3号機で起きた原子炉建屋の大爆発。そしてダメ押しが、4号機の使用済み燃料プールで発生した火災。平氏は当時の様子を次のように述懐する。
「取材を進めれば進めるほど、政府が本当のことを何ら報じていないことがわかってきました。一番の問題は、1号機爆発で発生した放射能物質の汚染問題。さらに東電に配慮して廃炉の決定が遅れたことで発生した爆発や、菅総理が事故発生から初期の段階で米軍の支援要請を独断で断ったことなど、耳を塞ぎたくなるような情報がどんどん入ってくるのです。この時すでに、これは天災ではなく人災だと思いました」
このような緊急事態のなか、誰もが思っていても絶対に口にしなかったのが“メルトダウン”。さらに原子炉の心臓部である圧力容器内で水蒸気爆発が発生し、放射能物資が大量飛散することだった。この水蒸気爆発の連鎖が1号機から3号機まで続いて起こる可能性さえ考えられたからだ。
「そんな時に、デスク以上の人間に緊急呼び出しが掛かったのです。万が一に備え、放送の基幹を一部、大阪に移設する準備を始めろという指示。その際に渡されたのがこのマニュアルXです。まず一番最初に書かれていたのが、この非常事態体制が敷かれたことを、局内はおろか家族にも言うなと念押しをされ、誓約書を書かされました」
平氏が局のプロデューサーと共に動いたのが、宿泊先の手配と大阪へ移動するための交通手段だった。当然、交通手段は避難する一般人の車で渋滞することが予想されたからだ。
「しかし、ホテルは全て満室。仕方がないので京都の宿を全て借り上げました。移動手段はヘリコプターを3台。プラス、渋滞に巻き込まれることを覚悟で中継車とロケ車、さらにキャンピングカーを手配しました」(同)
週刊実話より引用転載
掲載日時 2011年05月21日 11時00分|掲載号 2011年5月26日 特大号
5月6日、菅直人総理は今後高確率で起こりうる東海大地震への対策を理由に、ついに静岡県浜岡原発の全面停止を中部電力に要請するに至った。しかし、今目前にある危機、福島第一原発事故の行く末はいまだ見えぬまま。収束にはなお6~9カ月を要すると発表した東京電力からは具体的な案は提示されずじまい。もはや“死に体”とまで言われる菅政権からも、復興に向けた青写真は示されずに、情報公開の不透明さがいたずらに国民の不安を掻き立てている。
そんな先の見えない脅威に晒される中、某キー局の関係者間で出回る1冊のマニュアル本の存在が明らかになった。
「題名は『シミュレーションX』。これには緊急時の放送体制が記されており、まさしく今回の震災の影響で事故を起こした福島原発を想定したものです。当然、このマニュアルは今現在でも使用し、生きています」
こう語るのは、報道番組の制作を請け負う制作会社プロデューサーの平幸治氏(仮名)だ。
3月11日14時46分、平氏は、報道局のフロアでこれまでにない揺れを感じ、次々と入ってくる速報に体を強張らせていたという。そして、そのまま帰宅することが出来ずに局で朝を迎えた。
日本中を震撼させる一報が飛び込んできたのは12日午後4時。福島第一原発1号機で爆発事故があったとの第一報が入ったのだ。
「すぐに記者を飛ばし非番の記者にも緊急招集を掛けました。事故の詳細が次々と入ってくるに従い恐怖で思わず身がすくみ、本当に恥ずかしい話ですが、家族に電話をして避難する準備をするよう伝えました」(局関係者)
続いて、福島第一原発2号機でも炉心溶融の疑いによる圧力容器破壊、3号機で起きた原子炉建屋の大爆発。そしてダメ押しが、4号機の使用済み燃料プールで発生した火災。平氏は当時の様子を次のように述懐する。
「取材を進めれば進めるほど、政府が本当のことを何ら報じていないことがわかってきました。一番の問題は、1号機爆発で発生した放射能物質の汚染問題。さらに東電に配慮して廃炉の決定が遅れたことで発生した爆発や、菅総理が事故発生から初期の段階で米軍の支援要請を独断で断ったことなど、耳を塞ぎたくなるような情報がどんどん入ってくるのです。この時すでに、これは天災ではなく人災だと思いました」
このような緊急事態のなか、誰もが思っていても絶対に口にしなかったのが“メルトダウン”。さらに原子炉の心臓部である圧力容器内で水蒸気爆発が発生し、放射能物資が大量飛散することだった。この水蒸気爆発の連鎖が1号機から3号機まで続いて起こる可能性さえ考えられたからだ。
「そんな時に、デスク以上の人間に緊急呼び出しが掛かったのです。万が一に備え、放送の基幹を一部、大阪に移設する準備を始めろという指示。その際に渡されたのがこのマニュアルXです。まず一番最初に書かれていたのが、この非常事態体制が敷かれたことを、局内はおろか家族にも言うなと念押しをされ、誓約書を書かされました」
平氏が局のプロデューサーと共に動いたのが、宿泊先の手配と大阪へ移動するための交通手段だった。当然、交通手段は避難する一般人の車で渋滞することが予想されたからだ。
「しかし、ホテルは全て満室。仕方がないので京都の宿を全て借り上げました。移動手段はヘリコプターを3台。プラス、渋滞に巻き込まれることを覚悟で中継車とロケ車、さらにキャンピングカーを手配しました」(同)
週刊実話より引用転載