明日、終戦記念日。
父は、その日を済州島で迎えたそうだ。華奢な体だった父は何十キロもの荷物を背負っての行軍が
本当にきつかったと話していた。戦争の体験や昔の懐メロ、旧制高校の校歌、軍歌をたくさん習った。
近くでも原爆が落とされ、戦艦陸奥が沈没し、戦争の惨禍を見聞きしてきた。
昭和18年、戦艦陸奥が原因不明で沈没し1400名もの多くの命が失われた。わずかな生存者の中で最後に残った
お一人が、式典で言葉を述べておられた。そして、「海ゆかば」を歌っておられた。今までは歌わなかったが、今回年齢も高齢となり、来年のことはわからないので、歌われたそうだ。戦艦陸奥で毎朝、その歌を歌っていたという。
国を守るために、愛する家族を守るために多くの若者が戦争の犠牲となった。
爆撃や空襲、原爆投下など、ただそこにいただけで、多くの国民が命を落としてしまった。
平和ボケといわれる今、もう一度、戦争で何があったのかを学ぶべきではないだろうか。
そして、戦前・戦後と日本のために、復興のために走り回った人たちのことも知るべきではないだろうか。
今回、東京への旅の帰りに読んだ阿川弘之氏の「大人の見識」にもそうした戦前・戦後に苦労された方のお話があった。
伯父は最前線で中国の戦場で被弾し、負傷した。あちこち回り、戦後もなかなか日本に帰れなかったと
言う。空襲や、原爆に遭わずに何とか生き延びてきた。普段は、にこにこして商売をしているが、戦争の
話を聞くと、次から次へと話してくれる。66年過ぎても尚、鮮明に脳裏に焼き付いているのだろう。
日本だけでなく、周りのアジア諸国、戦った相手国のことも、まだまだ十分理解しているとは言えない。
世界で、どれだけ多くの人が命を落とし、家族や友人が、恋人が嘆き悲しんだかを知ることも大切だ。
決して風化させてはいけないこと。
しかし、月日が経ち、体験者が減ってきている。近くにいらっしゃる間に、生きておられる間に
お話を聞き、後世へ伝えなければ。
父は、その日を済州島で迎えたそうだ。華奢な体だった父は何十キロもの荷物を背負っての行軍が
本当にきつかったと話していた。戦争の体験や昔の懐メロ、旧制高校の校歌、軍歌をたくさん習った。
近くでも原爆が落とされ、戦艦陸奥が沈没し、戦争の惨禍を見聞きしてきた。
昭和18年、戦艦陸奥が原因不明で沈没し1400名もの多くの命が失われた。わずかな生存者の中で最後に残った
お一人が、式典で言葉を述べておられた。そして、「海ゆかば」を歌っておられた。今までは歌わなかったが、今回年齢も高齢となり、来年のことはわからないので、歌われたそうだ。戦艦陸奥で毎朝、その歌を歌っていたという。
国を守るために、愛する家族を守るために多くの若者が戦争の犠牲となった。
爆撃や空襲、原爆投下など、ただそこにいただけで、多くの国民が命を落としてしまった。
平和ボケといわれる今、もう一度、戦争で何があったのかを学ぶべきではないだろうか。
そして、戦前・戦後と日本のために、復興のために走り回った人たちのことも知るべきではないだろうか。
今回、東京への旅の帰りに読んだ阿川弘之氏の「大人の見識」にもそうした戦前・戦後に苦労された方のお話があった。
伯父は最前線で中国の戦場で被弾し、負傷した。あちこち回り、戦後もなかなか日本に帰れなかったと
言う。空襲や、原爆に遭わずに何とか生き延びてきた。普段は、にこにこして商売をしているが、戦争の
話を聞くと、次から次へと話してくれる。66年過ぎても尚、鮮明に脳裏に焼き付いているのだろう。
日本だけでなく、周りのアジア諸国、戦った相手国のことも、まだまだ十分理解しているとは言えない。
世界で、どれだけ多くの人が命を落とし、家族や友人が、恋人が嘆き悲しんだかを知ることも大切だ。
決して風化させてはいけないこと。
しかし、月日が経ち、体験者が減ってきている。近くにいらっしゃる間に、生きておられる間に
お話を聞き、後世へ伝えなければ。