亀戸浅間神社
(かめいどせんげんじんじゃ)
概要
東京都江東区亀戸にある浅間神社の一つです。
関東最大級の茅の輪が有名です。
また、日本武尊の妻・弟橘姫の伝説が伝えられている神社です。
神紋・社紋
主祭神
木能花咲耶姫命
(このはなさくやひめ)
創建
大永7年
(1527年)
例祭
7月1日
略縁起
大永七年、室町時代、富士信仰ももっとも盛んな時代に、里人たちは、甘露寺元長に勧請し、霊峯富士山の御守護神、木能花咲耶姫命を戴き、この笄塚の上に浅間神社として建立し、御遷座をなした、とされています。
境内
社殿
昭和二十年の東京大空襲の難を免れ、現在に至ります。鉄筋建築の社殿が増えている現代。希少な木造建築の社です。
石造鳥居
鳥居
手水舎
狛犬
社務所
富士塚
(笄塚・こうがいづか)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、また相模(さがみ)に進み、上総(かずさ)に行こうとしました。海を望み高言(こうげん)して、「これは小さな海だ。立跳で渡れるだろう」といいました。海のまん中にきたとき、忽然と、暴風が起きました。王の船は漂うだけで、渡ることができなくなりました。時に、王に従ってきた妾がいました。弟橘媛(おとたちばなひめ)といいます。穂積氏の忍山宿禰(おしやまのすくね)の娘です。王に、「今、風が起り、浪がはやく、王の船を沈めようとしています。これはきっと海神の心。願わくば、賤しい妾の身を、王の命の贖(あなが)に、海に入りましょう」といいました。言い終えるとすぐ瀾(おおなみ)を披(ひら)いて入りました。暴風はたちまち止み、船は岸に着くことができました。故に、時の人は、その海を、馳水(はしりみず)といいました。『日本書紀』
後に、弟橘姫の笄(こうがい)と櫛(くし)が奥湾に漂着しました。
そのうち、笄がこの辺りの高貝洲(こうがいす)と呼ばれていた現在の亀戸9丁目(旧神社跡)付近に漂着したと言われています。これを聞いた十二代景行天皇は大いに愁いて、ここに笄を埋め、祠を建てて祀りました。
たのみの辞碑
神田
神輿庫
境内末社
稲荷神社と下浅間神社
稲荷神社
御祭神
宇迦之御魂神
御利益
五穀豊穣・商工繁栄
下浅間神社
御祭神
大黒様・恵比寿様
御利益
開運招福・縁結び
住所
東京都江東区亀戸9-15-7
アクセス
JR総武線 亀戸駅
徒歩15分
JR総武線 亀戸駅より都バス今井行き
浅間神社前
徒歩3分
都営新宿線 東大島駅
徒歩10分
最後に
随所に説明書きがあり、神社を守っている方々の心遣いが伝わります。その説明書きは大変わかりやすく勉強になりました。
優しく清らかな気に満たされた境内。いい参拝ができました。
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参考
Wikipedia
東京都神社庁
亀戸浅間神社HP