古事記 中つ巻 現代語訳 四十五
古事記 中つ巻
物言わぬ、本牟智和気御子
書き下し文
故其の御子を率て遊ぶ状は、尾張の相津に在る二俣榲を二俣小舟に作りて、持ち上り来て、倭の市師池・軽池に浮けて、其の御子を率て遊ぶ。然るに是の御子、八拳鬚心前に至るまで真事とはず。故、今高往く鵠の音を聞き、始めてあぎとひ為つ。尓して山辺之大鶙 此は人の名 を遣はして、其の鳥を取らしめたまふ。故是の人、其の鵠を追ひ尋ね、木国より針間国に到り、また稲羽国に追ひ越え、旦波国・多遅麻国に到り、東の方に追ひ廻り、近淡海国に到る。三野国に越え、尾張国より伝ひて科野国に追ひ、遂に高志国に追ひ到りて、和那美之水門に網を張り、其の鳥を取りて、持ち上りて献る。故其の水門を号けて和那美の水門と謂ふ。また其の鳥を見ば、物言はむと思ほす、思ほすが如く言ふ事な勿し。
現代語訳
故、その御子(みこ)を率(したがい)て遊ぶ状(さま)は、尾張(おはり)の相津(あいつ)に在る、二俣榲(ふたまたすぎ)で二俣小舟(ふたまたをぶね)に作り、持ち上(のぼ)り来て、倭(やまと)の市師池(いちしのいけ)・軽池(かるのいけ)に浮かべて、その御子を率て遊んでいました。然るに、この御子は、八拳鬚(やつかひげ)が心前(こころさき)に至るまで、真事(まこと)を言いませんでした。故、今、高く往く鵠(くぐい)の音(こゑ)を聞き、始めてあぎといいました。尓して、山辺之大鶙(やまのべのおおたか) これは人の名 を遣わして、その鳥を取らせました。故、この人は、その鵠を追い尋ねて、木国(きのくに)より針間国(はりまのくに)に到り、また稲羽国(いなばのくに)に追い越えて、旦波国(たんばのくに)・多遅麻国(たじまのくに)に到り、東の方に追い廻り、近淡海国(おうみのくに)に到りました。三野国(みのくに)に越え、尾張国(おわりのくに)より伝いて、科野国(しなののくに)に追い、遂に、高志国(こしのくに)に追い到り、和那美之水門(わなみのみなと)に網を張り、その鳥を取って、持ち上りて献上しました。故に、その水門を号(なづ)けて和那美の水門と謂います。また、その鳥を見れば、物を言うのではないかと思いましたが、思うが如く言う事はありませんでした。
・尾張(おはり)
愛知県の西半
・相津(あいつ)
所在地不明
・市師池(いちしのいけ)
奈良県橿原市池尻町から桜井市池ノ内町にわたって存在した池
・軽池(かるのいけ)
奈良県橿原市大軽町辺りにあった池
・八拳鬚(やつかひげ)
八握りもある長さのひげ。転じて、長いひげ。やつかひげ
・心前(こころさき)
胸のみぞおちあたり。胸元。胸先
・真事(まこと)
「ま」は接続語。ものを言うこと
・鵠(くぐい)
白鳥の別名
・木国(きのくに)
紀伊国。南海道に属し、和歌山県と三重県南西部に属する
・針間国(はりまのくに)
兵庫県南西部の旧国名
・稲羽国(いなばのくに)
鳥取県東部にあたる
・旦波国(たんばのくに)
山陰道の国。現在の京都府中部・兵庫県北東部
・多遅麻国(たじまのくに)
現在の兵庫県北部の地方
・近淡海国(おうみのくに)
現在の滋賀県にあたる
・三野国(みのくに)
現在の岐阜県南部
・尾張国(おわりのくに)
現在の愛知県西部にあたる
・科野国(しなののくに)
現在の長野県
・高志国(こしのくに)
現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域
・和那美之水門(わなみのみなと)
伝承地未詳
現代語訳(ゆる~っと訳)
こうして、教育係たちが、その本牟智和気御子を引き連れて遊ぶ様子はというと、
尾張国の相津にある、二股に分かれた杉で二俣小舟を作り、都まで持って上り来て、大和の市師池・軽池に浮かべて、その御子を連れて遊んでいました。
ところが、この御子は、ヒゲが胸元まで長く伸びても、言葉を話せませんでした。
しかし、今、空高く行く白鳥の声を聞き、片言ですが初めて言葉を口にしました。
そこで、山辺之大鶙 これは人の名前です。 を派遣して、その鳥を捕らえさせました。
こういうわけで、この人は、その白鳥を追い求めて、紀伊国より針間国に行き、また追って因幡国を越えて、旦波国・多遅麻国に行き、東の方に追い廻り、近淡海国に到着しました。
そこから美濃国を越え、尾張国を通過して、信濃国に越えて行き、遂に、越国まで追って行き、和那美之水門で罠網を張り、その鳥を捕獲して、都に持ち帰り献上しました。そこで、その港を名付けて和那美の港と言います。
また、その鳥を見たなら、物を言うのではないかと思いましたが、思ったように物を言う事はありませんでした。
続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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