名所江戸百景を訪ねて
名所江戸百景
第107景 「深川木場」
絵がいた場所の特定は困難ですが、深川木場、貯木場の冬景色を描いています。
左側近景には垂直に立てられた木材と斜めに立てられた木材。その材木の側には、二匹の犬が描かれています。
川面には材木が浮かび、その上には、二人の川並鳶の姿が見られます。
雪が舞う、灰色の空には、二羽の雀の姿。遠景には材木群が見られます。
近景中央の傘には版元・魚栄の魚の文字が記されています。
深川木場
木場は、東京都江東区一丁目から六丁目の地名です。
江戸時代、材木商は日本橋付近に集まり材木河岸を形成していましたが、1657年の明暦の大火の被害が甚大であったことから、江戸幕府は江戸の町を大改造する計画を立てました。この中で、材木河岸を深川に移転させることになりました。
明治維新以降、木場の埋め立てが進みました。1969年、沖合に新しい貯木場、新木場が建設されたため、従来の貯木場は埋め立てられ、木場公園が作られました。
貯木場
(ちょぼくじょう)
木材や土木資材の集積場を土場(どば)といいます。
土場の中でも施設の完備した長期貯木を行う土場を貯木場と呼びます。
虫害や菌害の防除、品質向上のための乾燥を行うために水中に貯木することもあり、大消費地に近い海や河口付近に設置されることもあります。
川並鳶
(かわなみとび)
単に川波とも称します。
木場で、材木の管理・運搬に携わる者。筏士(いかだし)のことです。
かつて木場の川並の間では、溺死した際に素性を見分けるために背中に「深川彫」と呼ばれる入れ墨を好んで入れていたといいます。
描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪れてみました。
描かれた場所が特定が難しいということで、平久川付近を撮影して歩きました。
上記の写真は、汐見橋より大横川と平久川の合流地点を撮影してみました。場所は違うと思いますが、撮影した中では一番、作品に近い構図だと思います。
上記の写真は、平久川沿岸より東富橋を方向を撮影してみました。川幅がありすぎますね。全く違うようです。
上記の写真は、平久川沿岸より東富橋を撮影しました。ここまで川幅があると全く違う場所ですね。
もしかすると、描かれた場所は、平久川沿岸ではなく、もうすでに埋め立てられてしまった川かも知れません。
最後に
たくさんの材木が並ぶ道、川には川並鳶が水面に浮かぶ丸太を操り、材木を管理する姿。
当時の木場を想像しながら散策しました。
ふと、当時の清らかな水の匂い、香しい木々の匂いがするようなそんな気がしました。
参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅