リートリンの覚書

日本書紀ゆかりの土地を訪ねて・橿原神宮


橿原神宮参拝の思い出

相方の実家が京都にあるので、
帰省の度に観光をしていました。

結婚した当初は、
京都府内を観光していたのですが…
近年増えた外国人観光客。

何処行っても
人、人、人。

悠久の時を感じながら
じっくりと
観光するのが好きな自分にとって、
全く楽しめない状況に。

次第に京都府内から遠ざかるように…
まだ、行ってみたい場所は多々あるのに、
残念😣

(もう、外国人観光客を無制限に受け入れず、本当に日本が好きな人だけに開放して欲しい。舞妓さんに対して、襟に煙草を投げ入れた事件には、怒り💢)

はっ!思わず愚痴になってしまいました。
すみません。

近年は、
奈良県に行くことが多くなりました。

最近では2年前ですが
橿原市に行ってきました。

目的は、
橿原神宮と
橿原考古学研究所附博物館。

橿原神宮前駅を出ると、
なんともいえぬ、
懐かしさを感じました。

観光客も丁度よい人数で、歩きやすい。
(もっと、街の様子をお伝えしたいのですが、2年前のことですので、うろ覚え。詳しくご紹介できません、すみません🙇🏻)

橿原神宮について


建国の聖地・橿原、ここから日本という国が始まりました。

日本最古の正史ともされる「日本書紀」において、日本建国の地を記された橿原。
天照大神の血を引く神倭伊波禮毘古命(後の神武天皇)が、
豊で平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、
想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、いまからおよそ2600余年前のことです。
日本の歴史と文化の発祥の地でもある橿原は、日本の原点ともいえるでしょう。
橿原神宮ホームページより引用

御祭神について

橿原神宮がお祀りしているのは、
第一代神武天皇と
皇后の媛蹈韛五十鈴媛命です。

神武天皇は、
天照大神の天孫・瓊瓊杵尊より
四代目に当たります。

皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、
大物主命の御娘に当たる方です。


御鎮座

橿原神宮は、神武天皇の御聖徳を永く後世に伝えたいという、国民の願いから創建されました。
明治時代に入り、天皇の御聖徳を永遠に尊び敬いたいという思いから、この地に神宮創建をという請願が民間有志より出されました。明治天皇がこれを深くほめたたえ、元京都御所の賢所(かしこどころ)と神嘉殿を下げ渡され、明治23年4月2日、官幣大社・橿原神宮として御鎮座になりました。
橿原神宮ホームページより引用

表参道





南神門・北神門・祓所

(参拝した際に、宮司さんを見かけるとなんかラッキーと思ってしまいます)

参拝した当日は4月29日で
昭和祭を開催していました。

「昭和祭」とは、
昭和天皇の御遺徳を景仰し
皇威の隆昌と国運の発展を祈り、
昭和の御代を顕彰するために行われ、

これに併せて
橿原神宮に御奉賛の誠を
つくされた方々に感謝の意を
表す祭典が齋行されます。

参拝した時には、
丁度それが終了したみたいです。


外拝殿

左端に写っている岩はさざれ石です。

内拝殿・廻廊

参拝した際、
内拝殿前にて、
久米舞の予行練習が行われていました。

舞を目の前で見る機会は
そうそう、ありませんので、
見学させていただきました。

その際、辺りに檜の香が漂い、
なんともいえぬ厳かな気持ちになりました。
畏れ多いので写真は撮りませんでした。


参拝を終えての感想

民間有志の願いにより、
明治23年4月2日に建立された橿原神宮。

神社の歴史は浅いとはいえ、
土地の歴史は深い。

参拝した際には、
他の神社では感じたことがない、
父性のような暖かさを感じました。

調べてみると神社の周りには、
他にも見所がたくさんあります。

また、
神武天皇陵にも参拝したかったのですが、

この日は、
義父と一緒でしたので
たくさん歩かせてはいけないと思い、

参拝のみで終了しました。

機会があれば、
今度は、じっくりと散策したいものです。


参拝後

次に向かったのが、
橿原考古学研究所附博物館。

橿原公苑運動施設周辺を歩きました。
(今思えば、橿原遺跡の側を歩いていたのですね)

しかし、一家で道に迷いました。

その時、撮ったのがこの写真です。
(おそらく畝傍山)
山育ちなので、
緑豊かな山をみますと、落ち着きます

ちょっと迷ったすえに
橿原考古学研究所附博物館に
たどり着きました。
(普通の方は迷うことは無いと思います。うちの一家は方向音痴)



前にも記事に載せた事があるのですが、
いい博物館です。

何しろ、展示物が充実しています。

博物館の人にとっては
いいことではないと思うのですが、
見学者が少なくて、
じっくりと見学できる。

何度も足を運びたい博物館です。


最後に

いや〜、
思い出しながら記事を書いているのですが、
やはり橿原市はいい。

街の雰囲気が暖かく穏やかで、
時の流れがゆったりとして、
訪れた街で一番好きです。

正直、住みたい街。

今回思ったことは、
写真をもっと撮影しておけばよかったと
思いました。

そうすれば、
思い出しやすいですしね。

しかし、
あの当時は、
自分ブログを書くとは
思ってもみませんでしたから…

これからは、
お出かけした際には写真撮りまくります😁


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