リートリンの覚書

日本の神様97・八坂入媛・稚足彦天皇・渟熨斗皇女・五十狭城入彦皇子


日本の神様97

・八坂入媛
・稚足彦天皇
・渟熨斗皇女
・五十狭城入彦皇子


八坂入媛
(やさかいりひめ)


景行天皇の二番目の皇后。
父は八坂入彦皇子

・別名
八尺之入日売命(やさかのいりひめのみこと)


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“妾には姉がいます。八坂入媛ともうします。容姿は麗美、志は貞潔です。後宮に仕えさせたらよいと思います”

景行天皇の二番目の皇后。
父は八坂入彦皇子(やさかいりひこのみこ)です。

美濃に行幸した景行天皇は、
最初妹の弟媛(おとひめ)と見染め
情交します。

しかし、
弟媛は後宮に入ることを拒み、
代りに姉の八坂入媛の入内を薦めました。

景行天皇はそれを承諾し
八坂入媛を後宮に入れました。

七男六女を生みました。

第一子、稚足彦(成務)天皇(わかたらしひこ)
第二子、五百城入彦皇子(いおきいりひこ)
第三子、忍之別皇子(おしのわけ)
第四子、稚倭根子皇子(わかやまとねこ)
第五子、大酢別皇子(おおすわけ)
第六子、渟熨斗皇女(ぬのし)
第七子、渟名城皇女(ぬなき)
第八子、五百城入姫皇女(いおきいりひめ)
第九子、麛依姫皇女(かごよりひめ)
第十子、五十狭城入彦皇子(いさき)
第十一子、吉備兄彦皇子(きびのえひこ)
第十二子、高城入姫皇女(たかきいりひめ)
第十三子、弟姫皇女(おとひめ)

日本書紀巻第七では名前のみの登場で、
詳しい活躍の記載はありません。


主な神社


八釼神社(岐阜県可児市)


稚足彦天皇
(わかたらしひこのみこと)


成務天皇

景行天皇の皇子。
母は八坂入媛

・別名
稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)
若帯日子天皇(わかたらしひこのみこと)


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“八坂入媛を呼びだして妃としました。七男六女を生みました。第一は稚足彦(成務)天皇といいます。”

景行天皇(けいこう)の皇子です。
母は八坂入媛(やさかいりひめ)

景行天皇51年1月7日、
宴会を開催するも
皇子稚足彦尊、
武内宿禰(たけしうちのすくね)は、
参加しませんでした。

天皇はその理由を問うと、
群卿、百寮の心は、遊戯のことばかりで、
国家にはない。

宮の垣根の隙を狙う者がいるかもしれないと、
門の下に侍(さぶら)いて、
非常に備えていたと答えました。

そこで、天皇はことに寵愛しました。

秋八月四日、
稚足彦尊を皇太子に立てました。




陵の名は狭城盾列池後陵
(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)


主な神社


皇霊殿(東京都)


渟熨斗皇女
(ぬのしひめのみこと)


景行天皇の皇女
母は八坂入媛


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“第六は渟熨斗皇女といいます。”

景行天皇(けいこう)の皇女
母は八坂入媛(やさかいりひめ)です。


そのほか


・伊奈波神社の社伝によりますと、
夫・五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)
は朝廷の詔を受けて、
奥州を平定しましたが、
同行した陸奥守豊益が
五十瓊敷入彦命の成功を妬み、
命に謀反の心ありと
讒奏(ざんそう)したため、
朝敵とされ岐阜県岐阜市で討たれた
と伝えられています。
夫の死を知った妃の渟熨斗姫命は、
都をはなれてこの地で御跡を慕い、
朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ
生涯を終えたといわれています。
その間、私財を使い
町の開拓をされ産業・農業の発展に寄与され、
後に岐阜の町の基盤となりました。
そんな命の功績を慕い
人々が集まり財をもたらす神として
信仰されるようになり、
金大神と称され金神社に祀られています。


主な神社


金神社(岐阜県岐阜市)


五十狭城入彦皇子
(いさきいりひこのみこ)


景行天皇の皇子
母は八坂入媛


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“第十を五十狭城入彦皇子といいます。”

景行天皇(けいこう)の皇子
母は八坂入媛(やさかいりひめ)です。

詳しい活躍は記載されていません。


主な神社


和志取神社(愛知県岡崎市)



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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