神田神社
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概要
東京都千代田区外神田二丁目にある神社です。
江戸の総鎮守です。
神紋・社紋
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主祭神
大己貴命
(おおなむちのみこと)
少彦名命
(すくなひこなのみこと)
平将門命
(たいらのまさかどのみこと)
創建
天平2年
(730)
例祭日
5月15日
別名
神田明神
略縁起
社伝によりますと、天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村(現・東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
平将門公の首塚が百歩の地にあり、延慶二年に将門公の霊を相殿に祀り、神田明神と名付けました。
元和二年に現在地へ遷座し、江戸城の艮鬼門の守護神として歴代将軍の尊崇厚く江戸総鎮守となりました。
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境内
御社殿
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鳥居
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手水舎
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隋神門
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祭務所
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神楽殿
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文化交流館
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神明会館
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鳳輦神輿奉安殿
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神輿庫
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だいこく様尊像
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石獅子
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石獅子千代田区指定文化財1991年(平成3年)4月1日指定この石獅子は、区内に残る数少ない江戸期の石造物のひとつです。きょうほうねんかん(1716~1735)に、下野(現在の栃木県)の名工・石切藤兵衞が作ったものといわれています。1862年(文久2年)11月に両替仲間が石を積んで神田神社へ奉納したという記録があります。3頭の石獅子は、親獅子が谷底へ突き落した獅子を見る構図になっています。このうち江戸期以来のものは夫婦で2頭のみで、子獅子と獅子山は1923年(大正12年)の関東大震災で失われ、1989年(平成元年)に天皇即位を記念して再建されました。※千代田区指定文化財は獅子の夫婦2頭引用・看板より
銭形平次の碑
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男坂
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明神男坂南側に平行してある緩やかな明神女坂に対し、勾配が急であることから明神男坂と呼ばれています。天保期、神田の町火消であった「い」「よ」「は」「萬」の四組が献納して造られた坂道です。明神石坂の別名もあります。坂からの眺めが非常によく、月見の名所としても知られました。引用・看板より
大公孫樹
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明神男坂 大公孫樹この公孫樹は、向い側の男坂解説にもある通り江戸の昔よりこの地に育ちました。由緒ある樹木です。大正時代、関東大震災より社殿をはじめ神社の諸施設がことごとく炎上し崩壊したなか、その焼け跡に唯一残されたのがこの公孫樹でした。震災で焼け残った公孫樹からひこばえが生え育ち、その後、昭和20年の東京大空襲による油脂焼夷弾が東京一帯を襲いましたが、昭和9年建立の鉄骨鉄筋コンクリート造・総漆塗の社殿は当時としては日本初の耐火耐震構造をも持つ神社建築であったため焼失を免れました。(国登録文化財・文化庁)。その一方、ひこばえは被災の憂い目にあったにも関わらず立派な樹木となり親木を支えることとなりました。この度、親木の方は枯木につき倒木危険防止のため上部を伐採し保存することといたしました。江戸時代、月見の名所に植えられた公孫樹は、大正・昭和の災害にも遭遇しながらも子孫を残し、この地の歴史を伝えてきた大切なご神木と言えます。災難除け・厄除け・縁結びのご神徳を持ち長い間この地を見守ってきたご神木として、今後とも構成にお伝えいたします。ひこばえの生育が後世までも受け継がれてゆくことを心より願うものであります。引用・看板より
小唄塚
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境内末社
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祖霊社
祭神
神田明神の氏子・崇敬者の祖先
籠祖神社
祭神
猿田彦大神
塩土翁神
天孫瓊瓊杵尊
金刀比羅神社
祭神
大物主神
金山彦命
日本橋魚河岸水神社
祭神
弥都波能売命
(みづはのめのかみ)
三天王
江戸神社
大伝馬町八雲神社
小舟町八雲神社
祭神
建速須佐之男命
三稲荷
末廣稲荷神社
三宿稲荷神社
浦安稲荷神社
祭神
宇迦之御魂神
住所
東京都千代田区外神田2-16-2
アクセス
JR中央線・総武線
御茶ノ水駅 聖橋口
徒歩5分
東京メトロ丸の内線
御茶ノ水駅 1番口
徒歩5分
東京メトロ千代田線
新御茶ノ水駅 B1出入口
徒歩5分
東京メトロ銀座線 末広町駅
徒歩5分
JR京浜東北線
山手線
東京メトロ日比谷線
秋葉原駅
徒歩7分
最後に
さすが、江戸の総鎮守です。豪華絢爛な建物は圧巻です。
各種説明書きも丁寧に書かれていて、大変勉強になりました。
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参考
神田神社HP
東京都神社庁HP
Wikipedia