リートリンの覚書

古事記 中つ巻 現代語訳 三十二 大物主大神の御心


古事記 中つ巻 現代語訳 三十二


古事記 中つ巻

大物主大神の御心


書き下し文


 此の天皇の御世に、疫病多に起こり、人民尽きなむと為。尓して天皇愁へ歎へたまひて、神牀に坐す夜に、大物主大神、御夢に顕れて曰りたまはく、「是は我が御心ぞ。故、意富多々泥古を以ちて、我が前を祭らしめたまはば、神の気起こらず、国も安平かにあらむ」とのりたまふ。是を以ち、駅使を四方に班ち、意富多々泥古と謂ふ人を求むる時に、河内の美努村に其の人を見得て、貢進る。尓して天皇問ひ賜はく、「汝は誰が子ぞ」ととひたまふ。答へて曰さく、「僕は大物主大神、陶津耳命の女、活玉依毘売を娶ひて生める子、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子、僕 意富多々泥古」と白す。


現代語訳

 この天皇の御世に、疫病(えやみ)が多く起こり、人民(おおみたから)が尽きようとしていました。尓して、天皇は、愁歎(うれ)いになられて、神牀(かむとこ)に坐(いま)す夜に、大物主神(おおものぬしのかみ)が、御夢に顕(あらわ)れて、仰せになられて、「これは我が御心だ。故、意富多多泥古(おおたたねこ)を以ちて、我が前を祭らせたなら、神の気(け)が起こらず、国も安平(やすら)かになるだろう」と仰せになられました。是を以ちて、駅使(はゆまつかひ)を四方(よも)に班(あか)ち、意富多々泥古と謂う人を求めた時に、河内(かふち)の美努村(みぬののむら)にその人を見つけ得て、貢進(たてまつ)りました。尓して、天皇は問いになられて、「汝は誰の子だ」と問いになられました。答えて、申すことには、「僕は、大物主大神が、陶津耳命 (すえつみみのみこと)の女(むすめ)、活玉依毘売( いくたまよりひめ)を娶(めと)いて生んだ子、名は櫛御方命(くしみかたのみこと)の子、飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)の子、建甕槌命(たけみかづちのみこと)の子で、僕は、意富多々泥古」と申しました。



・疫病(えやみ)
悪性の流行病。ときのけ。えきびょう
・愁歎(うれ)い
つらく思って嘆くこと。泣き悲しむこと
・神牀(かむとこ)
1・神のお告げを請うために、はらい清めた床。神をまつる床。祭事を行なう所。祭壇。 2・天皇の寝所。かみどこ。かんどこ
・駅使(はゆまつかひ)
駅馬を使って旅行する公用の使者。はゆまつかい。えきし
・班(あか)ち
分ける。分配する。分散させる
・美努村(みぬののむら)
大阪府八尾市上之島附近とも


現代語訳(ゆる~っと訳)


 この天皇の御世に、疫病が流行して、国民が絶えてしまいそうになりました。

そこで、天皇は、つらく思って嘆きになられて、神のお告げを請うためのはらい清めた床で眠られた夜に、大物主神が、御夢に現れて、

「疫病が流行したのは我が意志だ。そこで、意富多多泥古によって、我を祭らせたなら、祟りは起こらず、国も平安になるだろう」と仰せになられました。

こういうわけで、早馬の使者を四方に分けて、意富多々泥古という人を探し求めた時に、河内の美努村にその人を見つけることができ、天皇に進上しました。

そして、天皇が、「お前は誰の子だ?」と問いになられました。

すると、その人が答えて、「私は、大物主大神が、陶津耳命の娘の活玉依毘売と結婚して生んだ子、名前は櫛御方命。その子が飯肩巣見命。またさらにその子が建甕槌命。さらにまたその子が私、意富多々泥古です」と申しました。



続きます。

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