リートリンの覚書

縄文時代・縄文時代の食糧事情


縄文時代の特異性

縄文時代は定住に進んだにも関わらず、
狩猟・漁撈・採集の三点が
生活の基盤であり、
農耕はほぼありませんでした。

この点が縄文文化の特異な点です。
それでいて土器に関しては、
約1万6500年前に
製作が始まっています。

他の東アジアでは、
約1万5000年前、
西アジアでは約9000年前、
アフリカでは約8500年前、
アマゾン流域では7500年前に
それぞれ独自に発生しています。

東アジアでの土器の出現は
世界的にみても早いことがわかります。

土器の用途も他とかなり異なります。
大陸側の土器は、
農耕によって得られた収穫物の貯蔵、
食物の盛り付けのために用いられました。

それに対し、
縄文土器は食物の煮炊きを目的に
始まっています。

他の新石器文化が、
“食べえられる物を集中的に増産する”
動きに向かったのに対し、

縄文は
“色々な物を食用可能にする”
ことで、食糧の安定を図っていったのです。

同じ作物だけを集中的に栽培するほうが、
増産は可能ですが、
不作時の危険性が高くなります。
なにより自然環境の調和を
変えてしまいます。

また、
世界各地の文明が農耕により
自然を征服する方向へ向かったのに対し、
縄文は自然との共存を維持し続けたのです。


縄文時代の食料事情

縄文人は肉食というよりも
雑食だったといえます。

1年を通してその時に採れるものを
収穫・狩猟して餓えないように
努力していたと考えられます。

各地の遺跡から出土する食料関連品目は、
推測も入りますが、
陸上動物が60種類、魚類70種類、
貝類は300種類以上を数えます。

遺存しにくい植物は
ほとんど出土していませんが、
各種の断片的な情報と痕跡から読み解くと、
最低でも60種類が確認され、
実際はその5倍以上の
300種にも迫る植物が
食糧となっていたとみることができます。

主な食品をあげると、
ドングリ、トチ、クリ、
クルミなどの木の実や、

シカ、イノシシを中心に
ウサギ、タヌキ、アナグマなどを
食べていたことがわかっています。

海に近い集落では、
マグロ、スズキ、イワシなど。

川に近い集落では、
コイ、フナ、ウナギなどを
食べていたようです。

また、各地に貝塚があるように、
ヤマトシジミ、カキ、ハマグリ、
アサリなどの貝も食べていました。

肉よりも魚の占めていた割合が
高いと考えられます。

また縄文人はシャケを好み、
シャケの遡上してくる
川の周辺に住み続けたようです。

フグも食べられており、
この頃すでに毒の抜き方を
知っていたようです。

また栽培作物である
ソバ、オオムギ、アワ、エゴマ、
リョクトウ、ヒョウタンなどが
少ないながらも出土しています。

縄文時代中期(紀元前4000年後半)、
日本列島では
ダイズやアズキの栽培化が
みられることが研究で判明しました。

また、
縄文晩期になると
水田で稲作をするようになりました。

また縄文人は
食料の保存・貯蔵することにも
長けていたようです。

大量のドングリが貯蔵された、
貯蔵穴が見つかっています。

遺物としては残っていませんが、
イノシシやシカなどの肉を
燻製・干し肉を作ったり、
魚を捌き干物にしていたと考えられています。

縄文時代の後期になると
塩を作っていたこともわかっていますので、
塩を使った保存食を
作っていたことも推測されます。
出典:秋田県ホームページ

縄文人の狩り

縄文時代の男性の主な仕事は狩りをして、
食料を家族に供給することでした。

しかし、一年中、
毎日狩りに出かけていたのではなく、
1週間に3日ほど
出かけていたのではないかとも
言われています。

当時のイノシシは
80kgから大きいもので
200kgにもなったといいます。

見つかったイノシシの頭蓋骨の中には、
鏃(やじり)の傷以外に、
殴打したことによる窪みの跡が
多数ついているものがあります。

イノシシの頭蓋骨は石のように固く、
黒曜石の鏃では致命傷を
負わすことは難しく、

見つかった頭蓋骨のように
石斧や槍のようなもので痕が残るように
強打しようとすると、

かなり近づいて
振り下ろさなければならないでしょう。

それは、
狩りが大変危険を伴うものだったことを
うかがわせます。


植物の栽培

植物は食料としての利用があります。
このほかにも、
布を作るためにアカソ、カラムシなど
その植物繊維を利用し、
クリの木で家を建てていました。

ウルシから樹液を採集し、
接着剤のほか土器や土偶などの
彩色に使用しました。

縄文人は自生している植物を
大いに利用しました。

ただそれに加えて、
より自分たちが利用しやすいように
していった形跡があるのです。

例えば、
縄文人が大好きなクリは、
ナラやクヌギなどに混じって
存在するのが一般的で、
単体で森を形成することはありません。

しかし、
縄文時代中期の代表的な
三内丸山遺跡で周辺に
クリだけの森があったとわかっています。

クリの他、
ダイズの栽培もしていたと考えられます。

もともと日本列島に自生する
ツルマメという野生種を
栽培化したものがダイズ、

ヤブツルアズキという野生種を
栽培化したものがアズキだと
考えられています。


感想

自然を破壊することなく、
共存したい。

そこで、

“色々な物を食用可能にする”

そのために土器が作られた。

なるほど、素晴らしい考えです。


“食べえられる物を集中的に増産する”

その方向に向かった
他の文明があった場所。

今はそのほとんどが砂漠になっています。

それに対し、
自然豊かな日本。
自然との共存を選んだ縄文人感謝です。

また、
最初は、
自然から頂いたた物を
そのままいただいていた事でしょう。

健康な人なら
それでも問題なく食べられたでしょう。

しかし、
中には昨日の記事で紹介した
ポリオにかかった女性のような病人や
歯を失った老人などは、

食べられない。

年老いた両親に、
病気の人に、
幼い子どもに柔らかい食べ物を。

その思いから
様々な道具が作られるように
なったのではないでしょうか。

さて、
縄文人の食糧事情ですが、

食していた種類の数を見ただけで
ビックリ‼️

また、
肉食なイメージ的でしたが、
割合的に魚が多かったとは。

魚好きとは、
今と変わりないですね。

他の食べ物も…

あれ?

木の実以外、
今も食べられている物ばかりです。

栽培されていた豆類。
大豆や小豆。

大豆、
日本食には、
無くてはならない食品です。

縄文時代から食べていたんですね。

もしかして、
日本人。
縄文時代から食の好みが変わらない。

しかし、
今日の一番の驚きは、
フグ🐡
毒抜きを知っていたとは…

縄文人、恐るべし。

さて、今日はこれにて。

明日も縄文時代の食事について
詳しく調べてみます。

最後まで読んで
頂きありがとうございました。


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