事代主神
(ことしろぬし)
大国主神の長子。
国譲りのときに父神に命じられ
神の神意を伺い、
その神託により支配権を
譲渡しています。
別名
天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神
(あまことしろそらことしろたまくしいりひこいつのことしろ)
八重事代主神
八重言代主神
玉櫛入彦嚴之事代神
都味歯八重事代主神
積羽八重事代主命
辞代主神 等
神格
託宣神
海の神
福神
神名の「コト」は、
神の言葉の「言」で、
「シロ」は代理を意味します。
「日本書紀」では
本文では、このように、登場しています。
“またある書では、事代主神が、八尋鰐となり、三島溝樴姫に通い、あるいは玉櫛姫が生んだ子が姫蹈韛五十鈴姫命を生んだと。”
「日本書紀」では、
国譲りの際に登場しています。
天津神の命を聞き、
父・大国主神に国譲りを勧め、
自らは、海中に八重垣をつくり、
船だなを踏んで、退いて行きました。
また、一書では、
八尋鰐になり、
三島溝樴姫(あるいは玉櫛姫)に通い、
生まれた子が、
姫蹈韛五十鈴姫命だとしています。
姫蹈韛五十鈴姫命は、
初代天皇・神武天皇の皇后です。
また、
神功皇后の新羅遠征にも登場しています。
仲哀天皇9年2月、
仲哀天皇が筑紫の橿日宮で崩御しました。
皇后は、
天皇が神の教えに従わなかったことで
早くに崩じたことを痛み、
祟った神を知り、
財宝の国を求めたい、
と思い、
罪を祓い、
過ちを改めて、
更に斎宮(いつきのみや)を
小山田邑(おやまだむら)に造りました。
3月1日、
皇后は吉日を選び、
自ら神主となりました。
そして武内宿禰に琴を弾かせ、
中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を
審神者(さにわ)としました。
そして、
神の名をたずねると、
七日七夜に至って答えがあり、
撞賢木厳之御魂天疎向津姫命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)、
尾田の吾田節(あたふし)の
淡郡(あわのこおり)に居る所にあり、
天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神
(あまことしろそらことしろたまくしいりひこいつのことしろ)、
表筒男(うわつつのお)、
中筒男(なかつつのお)、
底筒男(そこつつのお)と答えました。
三番目に答えた神です。
この時皇后は、
神の言葉を得て、
教えの通り祭りました。
「古事記」では
古事記において
大国主神と神屋楯比売命との間に
生まれたとされています。
そのほか
・神功皇后伝説では、
皇后に神懸かりし新羅遠征の神託を下したり、
壬申の乱のときには、
大海人皇子(おおあまのみこ・天武天皇)軍の
長官に神懸かりして
宣託をしています。
・島根半島の東端にある美保神社では、
毎年四月七日に
青柴垣神事が行われています。
これは国譲りの神話の事代主神の
故事にちなんだものです。
・事代主命を恵比寿神として
祀る神社も多いです。
両者を結び付けているのは、
海の彼方の常世の国からやって来るという
マレビト(=来訪神)の観念であり、
基本的な性格が海の神、
漁業の神という共通点があります。
神徳
海上安全
豊漁
五穀豊穣
商売繁盛
福徳円満
開運
厄除け
病気平癒など
祀る神社
長田神社(兵庫県神戸市)
美保神社(島根県)
国譲りのお話は、
読んでいて、
なんだか、
虚しい思いがします。
頑張って
国をつくり上げた大国主神。
そこに、やって来た天津神は、
いきなり、国を譲れと言ってきます。
ちょっと、
不敬かもしれませんが
おいおい、と言いたくなります。
事代主神も同様に
感じたのではないかと想像します。
しかし、
先を予見し、
民のことを考え、
無駄な抵抗を止め
国譲りをしたのではないでしょうか。
やはり…虚しい。
さて、今日はこれにて。
明日も神様シリーズ続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。