リートリンの覚書

日本の神様72・天足彦国押人命・日本足彦国押人天皇・押媛


天足彦国押人命
(あまたらしひこくにおしひとのみこと)

観松彦香殖稲天皇
(みまつひこかえしねのすめらみこと・孝昭)
の第一子。
母は世襲足媛(よそたらしひめ)

記紀等に伝わる古代日本の皇族
和珥臣(わに)らの始祖です。

・別名
天押帯日子命
(あめおしたらしひこのみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“后は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)と日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)を生みました。”

天足彦国押人命は、
孝昭天皇の第一皇子です。

本文では、
詳しい活躍は記述されていません。

和珥臣(わに)らの始祖です。


そのほか

・和珥氏(わにうじ)は、

56世紀にかけて

奈良盆地東北部一帯に

広く勢力を持った一族です。



主な神社

小野神社(高知県)
石和八幡宮(山口県)
吉備津彦神社(岡山県)(相殿神)


日本足彦国押人天皇
(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)

孝安(こうあん)天皇
日本の第六代天皇

観松彦香殖稲天皇
(みまつひこかえしねのすめらみこと・孝昭)
の第二子。
母は世襲足媛(よそたらしひめ)


・別名
大倭帯日子国押人命
(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“后は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)と日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)を生みました。”

観松彦香殖稲天皇
(みまつひこかえしねのすめらみこと・孝昭)
の第二子です。
母は世襲足媛(よそたらしひめ)です。

都は室の地、秋津嶋の宮。

本文では、
詳しい活躍は記述されていません。


陵・霊廟

陵の名は玉手丘上陵
(たまてのおかのえのみささぎ)


主な神社

皇居内・皇霊殿(東京都)


押媛
(おしひめ)

孝安(こうあん)天皇の皇后

おそらく天足彦国押人命
(あまたらしひこくにおしひと)の娘


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“二十六年、春・二月十四日、姪の押媛(おしひめ)を皇后としました。”

孝安(こうあん)天皇の皇后です。
おそらく天足彦国押人命の娘です。

孝霊天皇の母です。

本文では、
詳しい活躍は記述されていません。


主な神社

小野神社(広島県)

感想

和珥氏(わにうじ)は、

56世紀にかけて

奈良盆地東北部一帯に

広く勢力を持った一族です。


出自に関しては、

色々な説があります。


・朝鮮系鍛冶集団説。


・航海術に優れた海人族説。


・孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命の後裔。


天足彦国押人命も実体が殆どないと

言われていますが、


・子孫に伝わっている。


・和珥一族から天皇家に

嫁いでいる方もいますし、

つまり、

和珥氏の一族は

高貴な血筋であった可能性が高い。


となると


天足彦国押人命は、

実在したのではないかと思うのです。


しかし…

歴史を勉強しているとよく出てくる


朝鮮半島からきた説。

中国からきた説。


和珥氏の出自説でも出てきましたね😓


現代の歴史家の方々は、

中国大陸信仰に洗脳されている人が

多いからなぁ…


なんでも、

中国からとか、

朝鮮半島から伝わった。


って、

それならもっと日本に

それが色濃く出ていると思うのですがね😒


自分は、

あまり似ていないと思いますがね…


どちらかと言えば、

もっと西の文化に似ていると思いますがね…


おっと、

すみません

話しがそれてしまいましたね😅


和珥氏を調べてみますと、


和珥氏から枝分かれした、

春日氏、小野氏、柿本氏など


小野氏からは

小野妹子や小野篁などが出ています。


小野篁…気になる人物ですね〜

井戸を使い冥府と現世を往還。

く〜、好物な話し🤩

いつか調べてみたい。


今日はこれにて。

明日も日本の神様シリーズ続きます。


最後まで読んで頂き

ありがとうございました。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本の神様」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事