東京史跡巡り・人物編
シーボルト胸像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d6/66bf329589309c51f21525a0999ddb9b.jpg)
中央区立あかつき公園内にある、胸像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/dc/ed66f12350658b4a5a339527452b14c8.jpg)
明治時代、この地に外国人居留地が設けられていたことから、シーボルトの日蘭の橋渡し役としての功績に報い、ここに胸像が建てられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/45/32dfd35727f65b5c6d6742570807c1e1.jpg)
シーボルト(一七九六~一八六六)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダの商館医員として文政六年(一八二三)七月、長崎に到着し、診療の傍ら長崎の鳴滝に塾を開くなどして活躍した。同九年正月、商館長と共に江戸へ向かい、三月四日、日本橋の長崎屋に止宿し、四月十二日出発するまでの間、江戸の蘭学者に面接指導し大きな影響を与えた。しかし、同十一年シーボルト事件が発生し、十二月に日本から追放された。後に安政六年(一八五九)幕府顧問として再来日したが、まもなく帰国しミュンヘンで没した。彼の江戸における指導は、江戸蘭学発展のために貢献するところが大きかった。この地が江戸蘭学発祥の地であり、且つ彼が長崎でもうけた娘いねが築地に産院を開業したこともあり、また明治初期から中期に架けてこの一帯に外国人居留地が設けられていたことから、ここに彼の胸像を建て、日本への理解と日蘭の橋渡し役としての功績に報いるものである。中央区教育委員会
所在地
東京都中央区築地7丁目19番1号
最後に
広い公園の一角にポツンと胸像が建てられていました。