古事記 中つ巻 現代語訳 二十九
古事記 中つ巻
開化天皇系譜 一
書き下し文
故御真木入日子印恵命は、天の下治らしめき。其の兄比古由牟須美王の子、大筒木垂根王、次に讃岐垂根王。二の王。此の二の王の女、五柱坐しき。次に日子坐王、山代之荏名津比賣、亦の名は苅幡戸弁を娶ひて生める子、大俣王、次に小俣王、次に志夫美宿禰王。三柱。また春日建國勝戶賣の女、名は沙本之大闇見戶賣を娶ひて生める子、沙本毘古王、次に袁耶本王、次に沙本毘売命、亦の名は佐波遅比売。此の沙本毘売命は、伊久米天皇の后と為る。次に室毘古王。四柱。また近淡海の御上の祝が以ちいつく、天之御影神の女、息長水頼比売を娶ひて、生める子は、丹波比古多々須美知能宇斯王、次に水穂之真若王、次に神大根王、まの名は八瓜入日子王、次に水穂五百依比売、次に御井津比売。五柱。また其の母の弟袁祁都比売命を娶ひて、生める子、山代之大筒木真若王、次に比古意須王、次に伊理泥王。三柱。おほよそ日子坐王の子、并せて十一の王。
現代語訳
故、御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)は、天の下を治(し)らしめました。その兄・比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)の子は、大筒木垂根王(おおつつきたるねのみこ)、次に讃岐垂根王(さぬきのたりねのみこ)。二(ふたはしら)の王(みこ)。この二の王の女(むすめ)は、五柱坐(いま)す。次に日子坐王(ひこいますのみこ)は、山代之荏名津比売(やましろのえなつひめ)、またの名は苅幡戸弁(かりはたとべ)を娶(めと)いて、生まれた子は、大俣王(おおまたのみこ)、次に小俣王(おまたのみこ)、次に志夫美宿禰王(しぶみのすくねのみこ)。三柱です。また春日建国勝戸売(かすがのたけくにかつとめ)の女(むすめ)、名は沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ)を娶いて、生まれた子は、沙本毘古王(さほびこのみこ)、次に袁耶本王(おざほのみこ)、次に沙本毘売命(さほびめのみこと)、またの名は佐波遅比売(さわじひめ)。この沙本毘売命は、伊久米天皇(いくめのすめらみこと)の后(きさき)と為(な)りました。次に室毘古王(むろびこのみこ)。四柱です。また近淡海の御上の祝が以ちいつく、近淡海(ちかつあはうみ)之御上祝(みかみのはふり)以伊都玖(もちいつく)、天之御影神(あめのみかげのかみ)の女、息長水頼比売(おきながのみずよりひめ)を娶いて、生まれた子は、丹波比古多々須美知能宇斯王(たにわのひこたたすみちのうしのみこ)、次に水穂之真若王(みずほのまわかのみこ)、次に神大根王(かんおおねのみこ)、またの名は八瓜入日子王(やつりのいりひこのみこ)、次に水穂五百依比売(みずほのいおよりひめ)、次に御井津比売(みいつひめ)。五柱です。またその母の弟(おと)・袁祁都比売命(おけつひめのみこと)を娶いて、生まれた子は、山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)、次に比古意須王(ひこおすのみこ)、次に伊理泥王(いりねのみこ)。三柱です。おおよそ日子坐王の子は、并せて十一の王です。
現代語訳(ゆる~っと訳)
そして、御眞木入日子印恵命は、天下を統治しました。
その兄・比古由牟須美命の子は、大筒木垂根王、次に讃岐垂根王。2人の王です。この2人の王の娘は、五人います。
次に日子坐王が、山代之荏名津比売、またの名は苅幡戸弁と結婚して、生まれた子は、大俣王、次に小俣王、次に志夫美宿禰王。3人です。
また春日建国勝戸売の娘、名は沙本之大闇見戸売と結婚して、生まれた子は、沙本毘古王、次に袁耶本王、次に沙本毘売命、またの名は佐波遅比売。この沙本毘売命は、伊久米天皇の皇后となりました。次に室毘古王。4人です。
また近江の御上の神職がお祀りする、天之御影神の娘、息長水頼比売と結婚して、生まれた子は、丹波比古多々須美知能宇斯王、次に水穂之真若王、次に神大根王、またの名は八瓜入日子王、次に水穂五百依比売、次に御井津比売。5人です。
またその母の妹・袁祁都比売命と結婚して、生まれた子は、山代之大筒木真若王、次に比古意須王、次に伊理泥王。3人です。
すべて、日子坐王の子は、あわせて11人です。
続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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