リートリンの覚書

日本の神様・天若日子


日本の神様

天若日子
(あめわかひこ)


日本神話に登場する神

葦原中国平定のため高天原から派遣された神


別名


天稚彦
(あまのわかひこ)


「日本書紀」では


九段本書では、

高皇産霊尊はさらに諸神に遣わす者は誰がよいか問いました。諸神は皆、「天国玉の子の稚彦、勇壮な神です。試してみてはいかがでしょう」といいました。そこで高皇産霊尊は、天稚彦に天鹿児弓と天羽羽矢を授けて遣わされた。


本書では、天国玉(あまのくにたま)の子・天稚彦(あまのわかひこ)として登場しています。

葦原中国平定のため高天原から派遣された天穂日命(あまのほひのみこと)とその子・大背飯三熊之大人(おおせいみくまのうし)が復奏しなかったため、第三の使者に指名されました。

葦原中国平定に派遣された天稚彦(あまのわかひこ)ですが、顕国玉(うつしくにたま・大国主神)の娘・下照姫(したてるひめ)と結婚し、そのまま住み着いてしまいました。そして、葦原中国を統治したいと野心を抱き、復命しませんでした。

報告がないことを不審に思った高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は雉を派遣しますが、天稚彦は、高皇産霊尊から賜った天鹿児弓・天羽羽矢を取って雉を射殺しました。その矢は雉の胸を貫通し、高皇産霊尊の御前に届きました。高皇産霊尊は、その矢を取り、もとへ投げ返しました。矢は落下して、天稚彦の胸に当たり死んでしまいました。

喪屋は疾風(はやち)に遺体を上げさせて、喪屋は天に作られたと記されています。


「古事記」では


本文では、このように登場しています。

高御産巣日神と天照大御神は、また諸神等に、「葦原中国に派遣した天菩比神は、長い間、報告もしてきません。また、いずれの神を派遣したらよいでしょうか?」と問いました。そこで、思金神が、答えて、「天津国玉神の子、天若日子を派遣するべきです」と言いました。

天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子として登場しています。

葦原中国平定のために高天原から派遣された天之菩卑能命が復奏しなかったため、第二の使者に指名されました。

葦原中国平定に派遣された天若日子ですが、大国主神の娘・下照比売と結婚し、その国を自分のものにしようと企てて、八年経っても報告しませんでした。

そこで、天照大御神と高御産巣日神は、鳴女(なきめ)と言う雉を派遣しますが、きじは天若日子によって射殺されてしまいます。しかし、その矢は高天原にまで射上がり、その矢を高木神によって返され、天若日子は、胸を貫かれて死んでしまいました。

喪屋は地上に作られたと記されています。


祀る神社


安孫子神社
(滋賀県愛知郡)



新しい知識を得た場合
随時更新予定です。




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