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リートリンの覚書

都立井の頭恩賜公園

井の頭恩賜公園
11月某日、井の頭公園を散策してきました。



都立井の頭恩賜公園

江戸時代には井の頭池と一帯の林が幕府御用林として保護されていましたが、明治維新後は東京府が買収しました。
その後、1917年(大正6年)5月1日に日本で最初の郊外公園として開園しました。




井の頭池

井の頭という名称は諸説あります。

 一説は、江戸幕府三代将軍・徳川家光によってこの神田上水水源が「井之頭」と名付けられたものと伝えられ、自ら小刀で弁財天の傍らのこぶしの木にその名を刻んだとも伝えられています。

 また、「えんかしら、この水の美しさ」と家光が驚嘆したことが、その後転じて「いのかしら」となったとする説もあります



お茶の水


 井の頭池は豊富な湧き水に恵まれ、かつては三宝寺池、善福寺池とともに「武蔵野三大湧水池」と呼ばれていました。
 徳川家康がこの池の湧水を関東随一の名水とほめてお茶をいれたという伝説から「お茶の水」という名が付いたともいわれています。
 現在では湧水減少のため、地下水をポンプでくみあげています。



東京都指定史跡

東京都指定史跡
井の頭池遺跡群
所在地 
武蔵野市御殿山一
吉祥寺南町一
三鷹市井の頭三・四
井の頭恩賜公園内 
指定 昭和五四年三月三一日

 井の頭遺跡群は、井の頭池周辺の武蔵野市、三鷹市にまたがる大規模な遺跡群です。明治二十年(一八八七)には学会に紹介された著名な遺跡です。井の頭恩賜公園のうち、池周辺は、「井の頭池(神田上水水源地)」として旧跡指定されており、外周の高台から斜面にかけての約五・五万㎡が史跡に指定されています。
 昭和三七・三八年に武蔵野市史編纂事業などにより発掘調査され、縄文時代中期から後期の竪穴式住居三軒、敷石住居跡一軒などが発見されています。遺跡周辺は宅地化が進み、史跡内は公園のため開発事業がないことから、全体像は良くわかっていません。井の頭遺跡群全体では縄文時代の住居跡60軒以上や旧石器時代の遺物などが発見されています。また、中世段階の遺構や遺物も検出されています。武蔵野台地に見られる湧水池周辺の旧石器・縄文時代の代表的な遺跡といえます。
平成二十二年三月 建設
東京都教育委員会 



御殿山(ごてんやま)

徳川家光が鷹狩りの際に宿所をもうけ休憩したことから名が付いたといわれています。シデ・コナラ・クヌギなどの雑木林です。



井の頭弁財天 大盛寺

都立井の頭恩賜公園内・井の頭池にあります。
本尊は、弁財天像。

 平安時代の天慶年間(938~947年)に源経基(みなもとのつねもと)が創建したものと伝えられ、その後、源頼朝が1197年(建久8年)に再建し、別当となる坊宿が建てられたと伝えられています。




そのほか


野鳥




所在地
東京都三鷹市井の頭4丁目26-1



アクセス
JR中央線/総武線・東京メトロ東西線・京王井の頭線「吉祥寺駅」徒歩9分


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