古事記 中つ巻 現代語訳 四十二
古事記 中つ巻
沙本毘古王の稲城
書き下し文
尓して天皇詔りたまはく、「吾は殆に欺かえつるかも」とのりたまふ。軍を興し、沙本毘古王を撃ちたまふ時に、其の王稲城を作りて、待ち戦ふ。此の時沙本毘売命、其の兄に得忍へず、後つ門より逃げ出でて、その稲城に納る。此の時その后妊身みぬ。是に天皇、其の后の懐妊めると、愛しび重みしたまへること、三年に至るに忍へず。故其の軍を廻し、急けく攻迫めたまはず。かく逗留る間に、其の妊める御子を既に産みまつりぬ。故其の御子を出だし、稲城の外に置き、天皇に白さしむらく、「もし此の御子を、天皇の御子と思ほし看さば、治め賜ふべし」とまをす。是に天皇詔りたまはく、「其の兄を怨みつれども、なほ其の后を愛しぶるにえ忍へず」とのりたまふ。故后を得たまはむ心有り。是を以ち軍士の中に力士の軽捷きを選ひ聚めて、宣りたまはく、「其の御子を取らむ時に、其の母王を掠ひ取れ。或は髪、或は手、取り獲むまにまに、掬みて控き出でよ」とのりたまふ。
現代語訳
尓して、天皇は詔りされて、「吾は殆(ほとほと)に欺(あざむ)かれるところだった」と仰られました。軍を興し、沙本毘古王(さほびこのみこ)を撃ちになられる時に、その王は、稲城(いなき)を作り、待ち戦いました。この時、沙本毘売命(さほひめのみこと)は、その兄に忍びえず、後(しり)つ門より逃げ出でて、その稲城にはいりました。この時、その后は妊身(はら)んでいました。ここに天皇は、その后の懐妊めることと、三年に至る愛しいと思いになられたことに、忍得ず。故、その軍を廻し、すみやかに攻め迫まりすること出来ずにいました。かく、逗留(とどこ)る間に、その妊める御子(みこ)を既に産みました。故、その御子を出だし、稲城の外に置き、天皇に申して、「もし、この御子を、天皇の御子と思ほし看(め)さば、治めてください」と申しました。ここに、天皇は詔りして、「その兄を怨んではいるが、なほ、その后を愛しく思うこと忍(た)えられず」と仰せになりました。故、后を得る心が有りました。是を以ち、軍士(いくさびと)の中に力士(ちからひと)で軽捷(はや)い者を選び聚(あつ)めて、仰せになられて、「その御子を取る時に、その母王を掠(かす)め取れ。或いは髪、或いは手、取り獲るにまにまに、掬んで控(ひ)き出せ」と仰せになられました。
・稲城(いなき)
敵に急襲された場合など、わらの束を家の周囲に積み上げて胸壁とし、矢や石などを防いだもの
・後(しり)つ門
宮廷の裏門
現代語訳(ゆる~っと訳)
そこで、天皇は詔りされて、
「私は危うく、あざむかれるところだった」と仰られました。
軍を起こして、沙本毘古王を撃ちになろうとした時に、
その王は、わらの束を積み上げて壁・稲城を作り、待ち迎え戦いました。
この時、沙本毘売命は、その兄を思う気持ちに耐えられず、廷の裏門より逃げ出でて、その稲城にはいりました。
この時、その皇后は、妊娠していました。
ここに天皇は、その皇后が妊娠していることと、三年間におよび愛しいと思いになられたことに、耐える事ができず。
そこで、その軍勢に稲城を包囲させたまま、すみやかに攻め込む事が出来ずにいました。
このように、対峙したまま戦いが滞っている間に、そのお腹の中の御子は生まれてしまいました。
そこで、その御子を差し出し、稲城の外に置いて、天皇に申して、
「もし、この御子を、天皇の御子とお思いになられるのなら、引き取って育ててください」といいました。
すると、天皇は、
「そなたの兄を怨んではいるが、そなたを愛しく思っている、そなたを失うことはとても耐えられない」といいました。
天皇は、皇后を取り返そうという気持ちがありました。
そこで、兵士の中から力持ちでかつ俊敏な者を選び集めて、
「その御子を受け取る時に、その母・沙本毘売命を奪い取れ。髪でもいい、手でもいい、どこでもいいから、掴めるにまかせて、掴み取って、稲城の外に引っ張り出すのだ」といいました。
続きます。
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ありがとうございました。
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