Legend of Dreamers

日常を徒然なるままに。

机に向かうと

2010-06-11 11:30:30 | 食べること

甘いものが欲しくなる。

昨日美味しそうなチーズケーキを見つけて購入。
冷凍されていたので
解凍に5時間待ちましたが美味しい。

どうしてこの手のチーズケーキは
半冷凍くらいで食べるのが美味しいのか?
昨日の夜食べた時の方が
より美味しく感じた。

大阪のH家の長女とシェアしたかった(笑)
固定の店舗が無いから通販で買えるらしいよ~。

と誘惑してみる(笑)




放蕩息子の帰郷

2010-06-11 00:56:32 | 思ったこと

マタイによる福音書15章11節~32節

イエスは言われた。

「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、
『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。
それで、父親は財産を二人に分けてやった。

何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、
遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、
財産を無駄遣いしてしまった。
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、
彼は食べるにも困り始めた。

それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、
その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、
食べ物をくれる人はだれもいなかった。

そこで、彼は我に返って言った。
『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、
有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。
「お父さん、わたしは天に対しても、
またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください」と。』

そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、
父親は息子を見つけて、憐れに思い、
走り寄って首を抱き、接吻した。

息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、
またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。』

しかし、父親は僕たちに言った。
『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、
手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。
食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったからだ。

そして、祝宴を始めた。

ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、
音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
僕は言った。『弟さんが帰って来られました。
無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』

兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
しかし、兄は父親に言った。
『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。
言いつけに背いたことは一度もありません。
それなのに、わたしが友達と宴会をするために、
子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒に
あなたの身上を食いつぶして帰って来ると、
肥えた子牛を屠っておやりになる。』

すると、父親は言った。
『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
わたしのものは全部お前のものだ。
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。
祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』


今日の私の心にあった御言葉。

自分が行った分だけ受けるという考えが一般的な日本にあっては、
理解しがたいシーンかもしれない。
今までそう思っていたし、今も少なからずそう思う。

生まれながらに才能を持っていること
美しい容姿を持っていること
恵まれた環境にあること

その全ては素晴らしい。

でも、私が一番美しいと思うのは
悔い改める人間の姿だと思う。

完璧な人なんていない。
完璧に正しい人もいない。
自分の限界を認め、心の中の驕り、プライド、全部曝け出して
立ち返って生き直す姿勢

それほどに素晴らしく、美しい姿ってあるだろうか。

辛い過去や痛ましい経験から立ち直る人の話や本に感動する人は多い。
でも、立ち直ろうとしている人、あるいは立ち直れるかも知れない人に、
手を貸す人の数は、それに対してどのくらいのものだろう。

ルカによる福音書 19章10節
人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。

マタイによる福音書 9章13節
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。