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息苦しくないですか COVID--19をめぐって

2020-08-23 21:58:11 | COVID-19に関連して
 私が住んでいる地域も厳しい残暑が続いています。この季節をマスクを着用して過ごした経験もなく、余計に生理的な息苦しさを感じます。
 「うつらない、うつさない」というスローガンめいた言葉が行政から発信されています。「感染してはいけない」ということが社会規範のようになっていないでしょうか。日本では、「感染するのは自己責任」と考える人の割合が他国に比べて高いそうです。感染した方やその関係者が非難されされたり、脅迫されたりする事例もいくつも報道されtいます。多くの人たちは「もし自分が感染したら、どのような扱いを受けるだろうか」という不安も感じて心理的に息苦しくなっているのではと思います。
 私たちはこうした息苦しさからいつか解放されるでしょうか。そうしたことを最近は考えています。

ウイルスについて思うことなど

2020-08-03 21:58:42 | COVID-19に関連して
 感染症COVID-19の流行が社会的な問題となったため、その病原体であるウイルスに関心をもつ人びとも増えたのではないでしょうか。
 ウイルスはいわゆる代謝活動(必要な物質を吸収して化学反応を起こし、不要な物質を排出する)を行わないために生物学的には生物ではないとされています。
しかし、生命や生物にかかわるさまざまな現象を科学的に理解するためにはウイルスを生物の一種と考えたほうがいいのではと思います。生物を「自己複製を行い、変異を起こすもの」と定義し直せば、ウイルスも生物として位置づけることができるのではないでしょうか。
 ウイルスが生物の進化の過程で重要な役割を果たしてきたことが明らかになってきています。人間など哺乳類が胎盤をつくるために必要な遺伝子の一部はウイルスに由来していることが明らかになったのもその一例です。また細菌並みの大きさと遺伝子数をもつ巨大ウイルスも発見されています。
 ウイルスを理解することで、生物現象をより深く理解できるようになるだろうと思います。いずれ生物の教科書の中で、ウイルスが相応に位置づけられることをひそかに期待しています。
 COVID-19の原因ウイルスは人間の体の細胞を増殖の場所として利用します。もし感染した個体を死なせてしまっては、増殖には不利になってしまいます。言いかえると、感染した個体を死なせないでさらに感染を拡大することが、ウイルスにとって生存を維持するのに好都合です。そのため、一般論としては、ウイルスは感染対象と共存する方向で変異していく傾向があるのでしょう。今から約百年前に世界中で多くの死者を出したインフルエンザウイルスも、その後は毒性を弱めて、人間とは「共存」に近い状態となって現在に至っています。

「不要不急」を捨ててしまうことは

2020-06-28 13:18:30 | COVID-19に関連して
 COVID-19の流行にともなって、美術作品の展示、映画の上映、音楽・演劇の公演とそれらの鑑賞がほとんどできなくなりました。私が住んでいる奈良の寺社もその多くが拝観停止となりました。こうしたことを「不要不急」として切り捨ててしまうことは、人間がよって立つところを掘り崩してしまうのではないかと気がかりになります。
 絵を描いたり歌を歌ったりすることは人類が大昔から親しんできたことです。人類は4万年以上前に洞窟に動物の姿などを描いていました。歌うことが人間の言葉の起源であったという学説もあります。クラシック音楽の原点は教会音楽であったこと、仏像彫刻など仏教美術が日本の美術史において重要な位置を占めていることからも、芸術は人間の精神的なよりどころとして機能してきたことがわかります。
 流行期間中は図書館での読書もできなくなりました。図書館は人びとがさまざまなことを学び、知ることができる場です。学ぶことは人類が築き上げてきた文化を受け継ぐ営みでもあります。「不要不急」とは言えないことです。
 確かに今はオンラインで芸術作品を鑑賞したり、学習ができる環境が整いつつあります。それでもやはり、リアルな経験との落差は埋めきれないと思います。

ソーシャルディスタンスという「無理な話」

2020-06-15 22:53:02 | COVID-19に関連して
 人間は親密なコミュニケーションを通じて信頼関係・協力関係を形成し、集団の機能を高めることで生物としての生存を維持してきました。人間のこの特性は万年単位の時間をかけて獲得されたものです。これを抑圧するような行動様式に短期間で切り替えようとしても、何かと無理が出てくることでしょう。現に今、感染対策を実施しながら再開された学校では、子どもたちが「楽しくない」「思うように遊べない、おしゃべりができない」と訴えています。感染リスクと感染対策がもたらすメンタルヘルスの悪化とを冷静に比較し検討して、よりよいあり方を考える必要があると思います。