Lightning-fast(仮称)

写真とカメラと、古いもの少々

五所川原 立佞武多 2017

2017-08-07 20:55:10 | 景色

この時期でしか見られない、五能線の車両がいっぱいの五所川原駅

といっても、合わせて6両なのだが・・・

国鉄時代の「朱5号」のオレンジ系に塗装された、「キハ40」「キハ48」もいる。

この時期、特定の期間でしか見られない催し物を見るための人たちを乗せてきたものだ。

 

五所川原 立佞武多 2017

催し物とはコレのことです。

開始前の準備中なので、立佞武多には灯りが燈されていない。

 

まだ日が沈みきっていない空の下、

大きな立佞武多が運行開始を待ち構えている。

 

立佞武多の館前

こちらは点燈済みですね。

ということは、そろそろ運行開始だ。

 

「忠孝太鼓」

2010年より製作され運行されている。

高さ17m、重さ18t。

直径8尺(2.4m)の大鼓2 台の上に、

高さ約8.5mのねぷた「本能寺の変」 を据え付けている。

 

五所川原 立佞武多 運行20年

「ねぷた」そのものとしては、約400年前からこの地方に受け継がれているものだ。

それが高さを競うようになって「立佞武多」となったらしいが、五所川原の記録に登場するのは、明治40年頃なのだそうだ。

「立佞武多」の設計図、明治・大正期のものの一部が1993年に発見され、翌年1994年に高さ7mのものを復元。

1996年より80年ぶりに本格的に復活させ、今年で20年の運行となっている。

驚いたことに、幻だった「巨大ねぷた」は、記録にの残る明治時代で、すでに高さは21mを超えていた。

当時の豪商が大地主の威厳を示すためや、集落同士の見栄の張り合いから、その高さを競い合うようになったとも言われている。

周囲には高さのある建物が無く、明るい電燈がないことから、近隣の町村からも見えていたそうだ。

電気が普及し電線が張り巡らされるようになった大正時代にねぷたは小型化。

時代背景から、いつの間にか幻となっていたようだ。

 

津軽十三浦伝説「白髭水と夫婦梵鐘」2015年~

題材は、五所川原市飯詰の「長円寺」梵鐘の伝説がモデル。

長山洋子さんの「恋の十三湖」でも歌われています。

 

後姿も立派です。

立佞武多の館のほうへと進んでいきます。

 

館からようやく出発する「立佞武多」

今日の運行は、館に残っていた2体が最後に曳かれていくようです。

 

「ラブライブ!サンシャイン!!」のねぷた

Aqoursのメンバー 1年生、2年生、3年生 らしい・・・


忠孝太鼓が運行コースを一回りして帰ってきた。


これから左へ旋回するので、「忠孝太鼓の立ち位置を確認している。

 

18t もの巨体を人力で引く。

高さがあるだけに慎重だ。


「白髭水と夫婦梵鐘」

平山文具店・・・

 

「月」と「白髭水と夫婦梵鐘」

 

歌舞伎創生「出雲阿国」2016年~

 

後ろには、今年の新作が続く

 

雲漢の文字

先日までは夜も晴れていて、天の川も見えていた。

 

2017年の新作「纏」

五所川原は過去、昭和19年11月と昭和21年11月と度重なる大火から、

公共のものでは、役所・郵便局・駅・五所川原女子部国民学校などが焼失している。

個人住宅では東北一と言われた豪商「布嘉」の布嘉御殿も焼失。

敷地は3600坪、建坪は900坪だったと言うから驚きだ。

写真がいくつか残っており、それからも豪華さと大きさが解る。

レンガ塀の一部が当時のまま残っており、今でも確認できる。(斜陽館と同じ積み方でした)

その2度の大火からも復興をした当時の市民の思いを忘れてはならない。

それらの思いが「纏」として形作られている。

 

「月」と「纏」

 

すごい迫力だ!!

 

館の前に集合

 

館に入っていく「纏」

 

あとを追うように「出雲阿国」が入っていく。

 

館に入っていくと、それと同時に祭りの熱気が急激に冷めていく。

今回、カメラのレンズもボディーの設定も標準のままで、撮りっぱなしの写真。

次回は、レンズや設定を変えて表現を変えてみたいかな!?

 

=へばまんだのぉ~=

 


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