良くなることを信じてかかった精神科でしたが、薬の服用も効果があるのかないのか、わかりませんでした。
息子は、早く元気になって学校へ行きたいと言ってはいましたが、家での生活は変わらず、昼夜逆転、毎日オンラインゲームをしていました。
学校は、良く覚えていないのですが、休学の手続きをとった記憶があります。
繊細で、とても親、特に母親の気持ちに敏感です。お母さんは女優でいてくださいとカウンセラーさんから言われましたが、私にはなかなかムヅカシイ事でした。
ピンチはチャンスなんて、言ってはみたけれど、状況は変わらない。そんな辛い毎日を淡々と送りました。
そして、今後毎年来る、3月がやってきます。この年から私は3月がとても憂鬱な、嫌いな月になりました。