神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

Japanese Christian Song「神の言葉は人にとって最善の訓戒」Lyrics

2020-07-01 20:39:00 | 讃美歌

 

Japanese Christian Song「神の言葉は人にとって最善の訓戒」Lyrics


今日神はあなた方の中で働き
正常な人間生活へと導くだろう
それは新しい生活を送るための
新しい時代をあなた方にもたらすためである
働きは段階ごとに為され
あなた方は顔を合わせ
手をとって教わった
神はあなた方に欠けるものを授け
解からないことを教える
神が語る言葉はあなた方への唯一の訓戒
そして、今日のビジョンであり
あなた方は将来これに頼るだろう
それは今日のいのちの糧であり
今後のための最善の訓戒である
神のこの業はいのちの供給であり
あなた方を正常な生活へと導く
それは専ら 終わりの日
一群の者たちへいのちを
いのちを与えるためである
神が今あなた方の間で為す働きは
あなた方のための現在の供給で
時に適った救いであり
神はこの数年に全ての真理を示す
そして神はあなた方にいのちの道を示し
今後の働きを表す 
それはあなた方が
正しく正常に経験するために十分なものである
神が語る言葉はあなた方への唯一の訓戒
そして、今日のビジョンであり
あなた方は将来これに頼るだろう
それは今日のいのちの糧であり
今後のための最善の訓戒である
 『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

 

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美歌「万物は神の支配に従う」Praise and Worship (Lyrics)

キリスト教の歌「神のいない日々は苦しみに満ちる」

 

 

 

賛美歌「神の意志はいつも全ての人に明らかである」Praise and Worship (Lyrics)

2020-06-28 15:24:27 | 讃美歌

 

キリスト教会讃美歌「神の意志はいつも全ての人に明らかである」
人類の創造以来 変わりなく
神は自らの存在や意志 所有するものや性質を
全ての人々に対して いつも明らかにしている
1
神は自らの本質や性質を 
隠したことなど 一度もなかった
神は自らのその意志さえも 
故意に隠したことなど 一度もなかった
人々が 神の働きに心を寄せることをせず
人々が  神のその意志に心を寄せることをせず 
人々が 神の全てに心を向けることをしないがために
神に対する理解は 哀れなほど低いのだ
人類の創造以来 変わりなく
神は自らの存在や意志 所有するものや性質を
全ての人々に対して いつも明らかにしている
2
神は自らの実体を隠しながらも 
いつも人々の 傍らにいて
神は本質や性質 その意志さえ
どの瞬間にも現している
それは、神の実体さえ明らかであるという意味だ
全ての人々の前に 明らかであるというのに
人々の盲目のゆえ 神の現れを見ることがない
人々の不従順のゆえ 神の現れを見ることがない
人類の創造以来 変わりなく
神は自らの存在や意志 所有するものや性質を
全ての人々に対して いつも明らかにしている
  
人類の創造以来 変わりなく
神は自らの存在や意志 所有するものや性質を
全ての人々に対して いつも明らかにしている
『言葉は肉において現れる(続編)』

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ゴスペル音楽 ワーシップソング 「神の国での新しい生活のために賛美しよう」

 

 


キリスト教映画「待ち焦がれて」あなたは再臨された主イエスに会ったことがあるか 予告編 日本語吹き替え2018

2020-02-09 11:02:51 | 讃美歌

キリスト教映画「待ち焦がれて」あなたは再臨された主イエスに会ったことがあるか 予告編 日本語吹き替え2018

2000年前、主イエスは信者達に約束をされました。

「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書 14:2-3).その約束が故に、信者たちは何世代にもわたって神の約束が実現することを懇願し、祈り続けてきました。主がお見えになった時に天国へ引き上げられ招かれて、主にお会いできることを願い、祈っているのです。 この映画の主人公である陳向光も例に漏れません。彼は熱心な信者で、福音を広め、主の再臨を迎えるために主の証しをしていました。教師の職を追われ、家族の理解が得られないにもかかわらず、希望を捨てませんでした。ある日集会に出席していたとき、陳向光は中国共産党政府に逮捕され、刑務所に入れられてしまいます。しかし驚くべき神の定めと采配により、全能神教会のクリスチャン趙智明に出会うのです。趙智明は終わりの日の神の出現と働きについて証しをし、主の再臨を欲し祈る中で陳向光が長年抱いて来た観念や想像をかき消してしまいます。出所した陳向光は終わりの日の全能神の働きを学ぶよう兄弟姉妹を導きます。最後には誰もが天国に引き上げられるとは何なのか、王国は実は天国にあるのかそれとも地上に存在するのか、神の再臨をどう迎え入れるべきであるかを理解するのです。


ゴスペル キリスト教映画「神への信仰」抜粋シーン(4)聖書を信じることは主を信じることに相当するか 日本語吹き替え

2019-11-22 09:45:53 | 讃美歌

ゴスペル キリスト教映画「神への信仰」抜粋シーン(4)聖書を信じることは主を信じることに相当するか 日本語吹き替え
宗教界の人々の大半は、聖書がキリスト教の聖典であり、聖書を手離さずに大切に扱い、主についての自身の信仰をすべて聖書のみに基づけ、また聖書から離れてしまえば信者とは言えないことを信じています。それでは、主への信仰と聖書への信仰は全く同一なものでしょうか?聖書と主の関係とは一体何でしょうか?「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。」(ヨハネによる福音書5章39-40節)という言葉をもって、ある時に主イエスはパリサイ人たちを諫められました。聖書はあくまで神についての証であり、永遠の命を含んではいません。神だけが真理であり、道でありまた命なのです。ではどうすれば、主の御心に叶った方法で聖書を見ることができるでしょうか?

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全能神が再臨したイエスであると実際にどのように確認するのか。

2019-11-19 09:42:20 | 讃美歌

全能神が再臨したイエスであると実際にどのように確認するのか。

2017-11-15 

神の御言葉による答え:

まず、イエスは新たな時代を開いた。第二に、イエスは人間にいのちを与え、行くべき道を示すことができた。イエス自身が神であることを証拠立てるにはこれで充分なのだ。少なくとも、イエスの行う業は神の霊を完全に表している。そうした働きから、神の霊がイエスの内にいることがわかるのだ。受肉した神の行った業は、主に新たな時代の到来を告げ、新たな働きを先導し、新たな状況を開くことであったが、これらのいくつかの条件だけでも、イエス自身が神であることを実証するのに充分である。…

『言葉は肉において現れる』の「受肉した神の職分と人間の本分の違い」より

このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき[a]、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質(働き、言葉、性質、その他いろいろ)に注意を払うことである。外見だけを見て本質を見落とす者は、自分の無知、単純さをさらけ出すことになる。外見は本質を決定しない。その上、神の働きが人の観念と一致したことはこれまでにない。イエスの外見は人の観念とはまったく違っていたではないか。イエスの外見と衣服はイエスの真の正体に関し何らの手がかりも与えることができなかったのではないだろうか。古代のパリサイ人がイエスに反対したのは、彼らがイエスの外見を見ただけで、イエスの語る言葉を真剣に受け止めなかったからではないだろうか。神の出現を求める兄弟姉妹には歴史の悲劇を繰り返さないで欲しい。あなたがたは、現代のパリサイ人になって神を再び十字架につけるようなことをしてはならない。あなたがたは神の再来をどのように歓迎するか慎重に考え、真理に服従する人になるにはどうしたらよいか、はっきりした考えを持つべきである。これが、イエスが雲に乗って再臨するのを待っているすべての人の責任である。

『言葉は肉において現れる』の「序文」より

現在なされている働きは恵みの時代の働きを推し進めた。すなわち、六千年経営(救いの)計画全体における働きは前進した。恵みの時代は終わったが、神の働きはさらに前進している。なぜわたしは今の段階の働きは恵みの時代と律法の時代を基礎にしていると繰り返し言うのだろうか。これは、今日の働きは恵みの時代に行われた働きの延長であり、律法の時代に行われた働きを向上させたものであることを意味する。三つの段階は密接に相互関連しており、一つはその次の段階に繋がっている。なぜわたしは今の段階の働きはイエスによってなされた働きの上に築き上げられるとも言うのだろうか。この段階がイエスによってなされた働きの上に築き上げられなければ、キリストの磔刑、つまり過去に行われた贖いの働きはこの段階でなお実行されなければならない。だが、これは無意味なことであろう。従って、働きは完全に終わったのではなく、時代が前進し、働きは以前に比べていっそう高まったということである。今の段階の働きは律法の時代、および、イエスの働きの堅固な支えを基礎に置いて築かれるということができるだろう。働きは段階ごとに築かれ、今の段階は新しい始まりではない。三つの働きの段階の組み合わせのみを六千年にわたる経営(救いの)計画とみなすことができる。今の段階は恵みの時代の働きを基礎にして行われる。これら二つの働きの段階に関連がなければ、なぜ今の段階には磔刑がないのか。なぜわたしは人の罪を背負わないのか。わたしは聖霊による受胎により来るのではないし、人の罪を背負うために磔刑にされることもないだろう。むしろ、わたしは人を直接罰するためにここにいる。磔刑のあとわたしが人を罰しなければ、そして今わたしが聖霊による受胎を通して来るのでないならば、わたしは人を罰する資格がないだろう。わたしがイエスと一つなのであるからこそ、わたしは人を罰し、裁くために直接来るのだ。今の段階の働きは完全に過去の段階を基礎にしている。だからそのような働きだけが段階を追って人を救済に導くことができる。イエスとわたしは同じ霊から来ている。わたしたちの肉体には何の関連性もないが、わたしたちの霊は一つである。わたしたちがすることやわたしたちが担う働きは同じではないが、わたしたちは本質的に同じである。わたしたちの肉体の形は異なるが、これは時代の変化ならびにわたしたちの働きの必要性のためである。わたしたちの職分は同じではないので、わたしたちが作り出す働きや、わたしたちが人に明らかにする性質も異なっている。そういうわけで、今日人が見るものや受け取るものは過去のものと同じではない。それは時代の変化のためである。彼らの肉体の性や形は異なっているが、そして彼らは同じ家族から生まれたのではなく、ましてや同じ期間に生まれたのではないが、彼らの霊は一つである。彼らの肉体は血縁関係も物理的関係も決して共有していないが、それによって彼らが二つの異なる時期において受肉した神であることを否定することにはならない。彼らは同じ血統ではなく、共通する人間の言語を持っていないが(一人はユダヤ人の言語を話す男性であったし、もう一人は中国語しか話さない女性である)、彼らが受肉した神であることは否定できない真実である。これらの理由から、彼らは異なる国で、異なる期間になすべき働きを行う。彼らの霊は同じで、同じ本質を持っているという事実にも関わらず、彼らの肉体の外見には完全な類似性はまったくない。彼らは同じ人間性を共有しているだけで、彼らの肉体の外見と誕生は似ていない。これらのことはそれぞれの働きや、人が彼らに関して持つ認識に何の影響も与えない。なぜなら結局彼らは同じ霊であり、誰も彼らを分けることはできないからである。彼らには血縁関係はないが、存在全体は彼らの霊によって指示されているので、肉体は血統を共有しないままに、彼らは異なる期間に異なる働きを引き受けている。同様に、ヤーウェの霊はイエスの霊の父ではなく、イエスの霊もヤーウェの霊の子ではない。彼らは同じ霊である。今日の受肉した神とイエスと同様である。彼らに血縁関係はないが、彼らは一つである。これは彼らの霊が一つだからである。

『言葉は肉において現れる』の「二度の受肉が受肉の意義を完成させる」より