神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

日々の神の御言葉「働きを理解しなさい――混乱したまま付き従ってはならない」抜粋443

2020-11-29 19:16:14 | 日々の神の御言葉

 あなたがたは自分が今身に付けるべきことを知っているのか。その一面は働きについてのビジョンに関わっており、もう一つの面が実践だ。あなたがたはこの両方の側面を把握する必要がある。いのちの進歩を追求する際にビジョンを持っていなければ、あなたには基盤がないことになる。ただ実践の道だけを身に付けても、ビジョンが皆無で、全体的な経営(救いの)計画の働きを何も理解していなかったら、あなたは何の役にも立たない。ビジョンに関する真理を理解しなければならず、実践に関連する真理については、理解した後に適切な実践の道を見いだす必要がある。言葉に従って実践し、自分の状況に従って入らなければならないのだ。ビジョンは基盤であり、その事実に留意しないなら最後まで付き従うことはできないだろう。経験をそのようなやり方で得ているなら、道に迷うか、躓いて失敗することになるだろう。成功できる可能性はない。大いなるビジョンを基盤として身に付けていない者には失敗しかなく、成功することはできない。あなたは揺るぎなく立つことができないのだ。神を信じるとはどういうことかを知っているのか。神に付き従うとはどういうことかを知っているのか。ビジョンなくして、どのような道を歩もうというのか。現在の働きにおいては、ビジョンを持っていないなら完全にされることはあり得ない。あなたは誰を信じているのか。なぜ神を信じているのか。なぜ神に付き従っているのか。自分の信仰を、一種のゲームのようなものだと思っているのか。自分の命を何かの玩具のように扱っているのか。今日の神は最も偉大なビジョンである。あなたはその神についてどの程度知っているのか。その神をどの程度見たことがあるのか。今日の神を見たことで、信仰の基盤は確かなものになっているのか。そのように、混乱しながらでも付き従っている限り、救いを得られると思っているのか。泥水の中で魚を捕まえることができると思うのか。それはそんなに簡単なことか。今日神が発している言葉について、あなたはいくつの観念を捨て去ったのか。あなたは今日の神のビジョンを持っているのか。今日の神に関するあなたの理解はどこにあるのか。あなたはいつも、ただ神に付き従っていれば、あるいはただ神を見さえすれば、神を得ることができ、誰も自分を排除はできないと考えている。しかし、神に付き従うことがそれほど容易だと考えてはいけない。重要なのは神を知り、神の働きを知るということであり、神のために苦難に耐え、自らの命を捧げ、神に完全にされる意志を持たねばならないのだ。これが、あなたが備えねばならないビジョンである。いつも恵みを得ることばかり考えていても何にもならない。神がただ人間を楽しませ、人間に恵みを与えるためにいると考えてはならない。それは間違いなのだ。自らの命を賭けて神に従い、この世で所有するものすべてを捨てて付き従うことができないなら、その者は絶対に最後まで付き従うことはできない。ビジョンを自分の基盤とする必要があるのだ。いつかその身に不幸が降りかかったら、あなたはどうするべきか。それでも神に付き従うことができるだろうか。最後まで付き従えるかどうかを、軽い気持ちで答えてはならない。まず目を見開いて、今がいつなのか見てみなさい。今あなたがたは神殿の柱のようであるかもしれないが、そのような柱がみな虫に食われて神殿が倒れる時が来る。なぜなら現在、あなたがたには非常に多くのビジョンが欠けているからだ。あなたがたは自分の小さな世界だけに気を配っていて、最も信頼性が高く適切な探求の方法とは何かを知らない。そして現在の働きのビジョンに注意しておらず、それを心に留めてもいない。あなたがたは自分の神が、いつか自分を最も見知らぬ地へ送るということを考えたことがあるだろうか。わたしがいつかあなたがたのすべてを奪い去ったら、自分がどうなるかを想像できるだろうか。その日、あなたがたの活力は今と同じだろうか。あなたがたの信仰は再び現れるだろうか。神に付き従う上で、あなたがたはこの「神」という最大のビジョンを知らねばならない。それが最重要事項なのだ。また、この世の人間たちと縁を切って聖別されることで、自分が必ずしも神の家族になると考えてはならない。現在、被造物の間で働きを行っているのは神自身であり、神が人々の中に現れて自らの働きを行っているのだ。何かの組織運動を展開しているのではない。あなたがたの中で、現在の働きが受肉した天の神の働きであることを理解できる者は一握りにも満たない。その働きの趣旨は、あなたがたを傑出した才能の持ち主にすることではなく、あなたがたが人生の意義を知り、人間の終着点を知り、神と神の全体像を知れるようにすることなのだ。あなたは自分が創造主の掌中にある被造物であることを知らねばならない。何を理解すべきか、何を行うべきか、そしてどのように神に付き従うべきか――こういったことが、あなたの理解すべき真理であり、あなたが見るべきビジョンではないか。

 人々はビジョンを備えれば、基盤を持つことになる。それを基盤として実践を行えば、入りははるかに容易になるだろう。そのように、一度入りのための基盤を持てば、もう疑念を持つことはなくなり、非常に容易に入れるようになる。ビジョンを理解し神の働きを知ることの、この側面は重大であり、必ず身に備えておかねばならない。真理のこの側面を身に備えることなく、実践の道についての語り方だけを知っているとすれば、それは重大な欠陥となる。わたしはあなたがたの多くが、真理のこの側面を強調していないことに気づいた。その話を聞くときも、ただ言葉や教義だけに耳を傾けているようだ。いつの日か、あなたは大損することになるだろう。現在の言葉のいくつかを、あなたはよく理解しておらず、受け入れてもいない。その場合は忍耐強く探求することで、いつか理解できる日が来るだろう。少しずつ、より多くのビジョンを身に付けていきなさい。霊的な教義を少ししか理解していなかったとしても、ビジョンにまったく注意を払わないよりはましであり、何一つ理解していないよりはよい。そのすべてがあなたの入りに役立ち、あなたの抱いている疑念を払拭することになるだろう。そうした状態は、観念に満たされている状態よりもましだ。そうしたビジョンを基盤としているほうがはるかによい。疑念などは一切なくなり、堂々と自信を持って入ることができるようになるだろう。なぜいつもそんなに戸惑い疑いながら神に付き従う必要があるのか。それは現実から目をそむけているのと同じではないか。堂々と闊歩して神の国に入るのは、どれほど気分がよいことだろう。なぜそれほど疑念に満ちていなければならないのか。あなたはあえて修羅場を潜っているだけではないのか。ヤーウェの働き、イエスの働き、そして現在の働きの段階について一度理解できれば、あなたは基盤を得ることになる。現時点では、それは非常に単純なことに思えるかもしれない。中には次のように言う人もいる。「時が来て聖霊が大いなる働きを始めたら、わたしはこれらのことすべてについて語れるようになる。今わたしがよく理解していないのは、聖霊がまだわたしをそれほど啓いていないからだ」。だがそれはそんなに簡単なことではない。今真理を受け入れる気があるなら、時が来ればそれを自在に用いられるようになる、などということではないのだ。必ずしもそうなるとは限らない。あなたは今自分が必要なものを十分に備えていて、宗教関係者や偉大な理論家にも問題なく対応できるし、彼らを論破すらできると思っている。しかし本当にそうできるのだろうか。そんな表面的な経験だけで、どんな認識を語ることができるのか。真理を身に備え、真理の戦いを行い、神の名を証しするということは、あなたが考えているように、神が働いてさえいればすべて成し遂げられるというようなことではないのだ。あなたはそのときまでに何かの質問に詰まるかもしれず、それで言葉を失ってしまうだろう。重要なのは、この働きの段階を明瞭に理解しているかどうか、そしてそれをどの程度実際に知っているかということなのだ。敵の勢力に勝利することも、宗教の勢力を倒すこともできないなら、あなたは役立たずだということにならないだろうか。あなたは現在の働きを経験し、それを自分の目で見て、自分の耳で聞きはしたものの、それでも最終的に証しに立つことができなかったとしたら、それでもまだ生き続ける度胸があるだろうか。誰に対して顔向けできるのか。今そのことをそんなに簡単だと思っていてはならない。今後の働きは、あなたが想像しているほど単純ではない。真理の戦いはそれほど簡単でも単純でもないのだ。今あなたは備えておく必要があり、真理を身に備えていなければ、時が来て、聖霊が超自然的な働きを行わなかったとき、あなたは途方に暮れることになるだろう。

『言葉は肉において現れる』より引用


噂はどこから来るのですか。また、どのようにして作られるのですか。

2020-11-28 21:27:06 | 天の国の福音

  参照聖書箇所

 「さてヤーウェ神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか』。女はへびに言った、『わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました』。へびは女に言った、『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』。 」(創世記 3:1-5)

 「どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」(ヨハネによる福音書 8:43-44)

  関連する神の言葉

 

 「地がまだ存在していなかったとき、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。大天使は、天国のすべての天使に対する権限を握っていた。それは神から大天使に与えられた権威だった。神を除いて、大天使は天国の天使の中で最も偉大だった。神が後に人間を創造したとき、大天使は地上において神に向けて大きな裏切りを行った。大天使は、人間を支配し、神の権威を超越したかったため、神を裏切ったとわたしは言うのである。エバを誘惑して罪に陥れたのは大天使だった。大天使が神を裏切ったのは、地上に自分の王国を建設し、人間に神を裏切らせて、代わりに自分に従わせたかったからである。大天使は自分に従う者がたくさん存在することを知った。天使たちは、地上の人々と同じく、大天使に従った。鳥と獣、木々、森、山、川、および地上のあらゆるものは、人であるアダムとエバの管理下にあり、アダムとエバは大天使に従った。大天使はそのようにして神の権威を超越し、神を裏切ろうと考えた。後に大天使は多くの天使たちに神を裏切らせ、それが汚れた霊となった。今日までの人間の発展は、大天使の堕落に影響されているではないか。人間が今日あるような状態なのは、大天使が神を裏切り、人間を堕落させたからである。」『言葉は肉において現れる』の「あなたは全人類がこれまでどのように発展してきたかを知らねばならない」より

 

 「はじめに神はアダムとエバを創造し、また蛇も創造した。全ての被造物の中で、蛇は最も有毒だった。その体は毒を含み、サタンはその毒を利用した。エバを誘惑し罪に落とし入れたのは蛇だった。アダムはエバが罪を犯した後に罪を犯した。そして2人はそれから善と悪の区別ができるようになった。」『言葉は肉において現れる』の「あなたは全人類がこれまでどのように発展してきたかを知らねばならない」より

 

 「サタンと悪霊の存在のために、人々は神を拒絶し、反抗的な性質があふれんばかりに満ちているため……」『言葉は肉において現れる』の「あなたは全人類がこれまでどのように発展してきたかを知らねばならない」より

 

 「神に逆らうものはすべてサタンから発生する。サタンはすべての醜悪さと邪悪の根源である。人がサタンに似た性質を持っている理由は、サタンが人に影響を与え堕落させたからである。」『言葉は肉において現れる』の「キリストの本質は父なる神の心への従順」より

 

  「人間の腐敗した本性が全てサタンに由来するからであり、また人間の本性はサタンに取り憑かれて腐敗させられていることにある。つまり、人間はサタンの邪悪と醜悪さの影響下で生きながらえている。人間は真理の世界や聖なる環境で育つのではなく、光の中で生活してもいない。ゆえに、人間それぞれの本性に真理が生来備わっていることはあり得ず、神を畏れ、神に従う本質を持って生まれることもあり得ない。逆に、人間は神を拒み、神に反抗し、真理を愛すことのない本性を備えている。……

 

 人間の霊は、全てサタンに掌握されている。ゆえに、人間の肉もまたサタンに囚われているのは言うまでも無い。こうした肉と人間が、どうして神に反抗せず、生来神の味方であり得るだろうか。サタンがわたしにより空へと投げ出されたのは、サタンがわたしを裏切ったからであるが、それならば、どうして人間がそうした影響から解放され得るであろうか。これが、人間の本性が裏切りである理由である。」『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題──裏切り(2)」より

 

  「サタンは教育と国家政府の影響力、そして有名人や偉人により人間を腐敗させる。そうした者の嘘と不合理は、人間のいのちとなり、本性となっている。『自分自身のことだけを考え、落伍者への懸念は不要』は、サタンの有名な格言であり、それは人間ひとりひとりに浸透して人間のいのちとなっている。そのほかにも、これに類似する人生哲学の格言がある。サタンは、各国市民の洗練された伝統文化により人間を教育し、人間性を広大な破滅の淵へ落とし入れて、人間はサタンに仕え神を拒否したために、最終的に神により滅ぼされる。」キリストの言葉の記録』の「 どのようにして人間の本性を知ればよいか」より

 

 「人間は殆ど知らないが、はえの羽根は美しく魅力的だが、所詮は不浄に満ち、細菌に覆われた、小さなハエである。そうした者は、両親であるぶたや犬の力を借り、圧倒的な凶暴さで地の上で暴れ回る(これは、真の神と真理を裏切る国家の強力な支援を受けて神を迫害する宗教関係者を指す)。それは、あたかもユダヤのパリサイ人の幽霊が、古巣である赤い大きな竜の国家へと、神と共に戻ったかのようである。そうした者は、自らの迫害の業を再開し、その数千年にわたる業を継続する。こうした堕落した者の集団が最後に地の上で滅びることは確実である。数千年が経過した後、不浄な霊は、さらに狡猾で悪賢くなっているようである。そうした者は、密かに神の業を台無しにする術を常に考えている。そうした者は狡猾で悪賢く、自国で数千年前の悲劇を再現することを望んでいる。そうした行いにより、神は突き動かされて大声で叫ぶ寸前の状態にされ、神は第三の天に戻ってそうした者を滅ぼさずにいられない。 」『言葉は肉において現れる』の「 働きと入ること(7)」より


キリスト教会漫才「パンデミックに直面して」

2020-11-27 19:53:03 | キリスト教会漫才

 

キリスト教会漫才「パンデミックに直面して」

 

 このパンデミックが世界中に広がるにつれ、大災害が迫るのを多くの人が感じています。人々はパニックに陥り、自主隔離して自宅にこもる以外はどうすればいいかわかりません。パンデミックから身を守る方法も、大災害から逃れる方法もわからないのです。主イエスは昔こう預言しました。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起こり……」(ルカによる福音書 21:10–11)パンデミックやその他の災害は全て、神の許可があって起こります。神はそれらを用いて人類に警告を与え、一刻も早く悔い改めなくてはならないと告げているのです。しかし、真の悔い改めとは何でしょうか? 多くの信者たちは、より熱心に主に祈って懺悔することが真の悔い改めであり、そうすれば神が大災害から救ってくれると思っています。しかし本当にそうなのでしょうか? この漫才『パンデミックに直面して』をご覧になり、私たちがこれらの災害に直面した際、いかにして心から神に悔い改めるべきかを突き止めてください。


日々の神の御言葉「モアブの子孫を救うことの意義」抜粋185

2020-11-26 23:34:17 | 日々の神の御言葉

 

日々の神の御言葉「モアブの子孫を救うことの意義」抜粋185


 今モアブの子孫に働きを行なうことは、最も暗い所へ落ちた者を救うことである。モアブの子孫は呪われたが、神は彼らから栄光を得ることをいとわなかった。なぜならモアブの子孫は皆、当初は心に神のいない者だったからである。心に神のいない者を神に従い神を愛する者にすることだけが真の征服であり、そのような働きの成果が最も価値があり、最も説得力がある。それだけが栄光を得ることであり、それが終わりの日に神が獲得したい栄光である。地位が低いものの、その人たちが今そのような偉大な救いを得られることは、まさに神に高く揚げられることである。この働きは極めて意義深く、神は裁きを通してこの人たちを獲得する。神の意図は彼らを罰することではなく、救うことである。もしも終わりの日に、神が依然としてイスラエルで征服の働きを行なっていたならば、それは無価値である。たとえその働きに成果があったとしても、少しの価値も大きな意義もなく、神は全ての栄光を得られないであろう。神は、あなたがた最も暗い所に落ち、最も遅れている人たちに働きを行なっているのである。この人たちは神が存在することを認めず、神が存在することを未だに知らずにいる。このような被造物は、神のことを忘れてしまうほどサタンに堕落させられている。彼らはサタンに盲目にされ、天に神が存在することを全く知らない。あなたがたは皆、心の中で偶像とサタンを崇拝している。あなたがたは最も賤しく、最も遅れた人間ではないのか。あなたがたは最も賤しい肉であり、個人的な自由などなく、また苦難している。また、あなたがたはこの社会において最低の地位にあり、信仰の自由さえない。ここにあなたがたに働きを行なう意義がある。今日モアブの子孫であるあなたがたに働きを行なうことは、故意にあなたがたを辱めるためではなく、働きの意義を明らかにするためである。それはあなたがたにとっては、大いに高く揚げられることである。理知と識見を備えている者ならば、次のように言うだろう。「私はモアブの子孫の一人で、今このように神に大いに高められたり、このような大きな祝福を受けたりするに値しない。私のあらゆる言動において、また私の地位と価値に基づけば、私は絶対そのような大きな祝福を神から受けるに値しない。イスラエル人には神への大きな愛があり、彼らが享受する恵みは神が授けるものだが、彼らの地位は私たちよりも遥かに高い。アブラハムはヤーウェにとても献身的であり、ペテロはイエスにとても献身的であった。彼らの献身は、私たちの献身の百倍であった。私たちの行動に基づけば、私たちは神の恵みを享受するに全く値しない」。中国のこの人たちの奉仕は、神の前にさし出すことなど到底できない。それは全く混乱している。今それほど神の恵みを享受しているのは、まさしく神に高く揚げられているのである。いつあなたがたが神の働きを求めたのか。いつ神のために命を犠牲にしたのか。いつ家族や両親、子をためらうことなく捨てたのか。大きな代価を払った者は一人もいない。聖霊に連れ出されていなかったならば、あなたがたのうち何人が全てを犠牲にできていたであろうか。あなたがたが今日まで従ってきたのは、ただ強制され、強要されたからである。あなたがたの献身はどこにあるのか。服従はどこにあるのか。あなたがたの行動に基づくと、あなたがたは遥か以前に滅ぼされ、一人残らず一掃されていたはずである。どのような資格があって、これほど大きな祝福を享受できるというのか。あなたがたにはほんの少しもそんな価値はない。あなたがたのうち誰が自分の道を作り出したのか。あなたがたのうち誰が自力で真理の道を見つけたのか。あなたがたは皆、怠惰で貪欲で、楽をしたがる恥知らずである。あなたがたは自分が偉大だと考えているのか。何か自慢すべきことがあるのか。たとえモアブの子孫であることを無視しても、あなたがたの本性や出生地は最高のものなのか。モアブの子孫であることを無視しても、あなたがたの子孫は皆、あらゆる点でモアブの子孫なのではないのか。事実の真相を変えることができるのか。今あなたがたの本性を暴露することは、事実の真相を不正確に伝えることになるのか。自分の卑屈さと生活と人格を見てみなさい。あなたがたは自分が人類の最低層で最も賤しいことを知らないのか。何か自慢すべきことがあるのか。社会におけるあなたがたの地位を見てみなさい。最低の地位にいるのではないのか。あなたがたは、わたしが失言したとでも思っているのか。アブラハムはイサクを捧げた。あなたがたは何を捧げたのか。ヨブは全てを捧げた。あなたがたは何を捧げたのか。幾人もの人が、真理の道を追求するために生命を捧げ、首を差し出し、血を流してきた。あなたがたはそのような代価を払ったのか。比べると、あなたがたにはそのような大きな恵みを享受する資格は全くない。あなたがたがモアブの子孫であると今日言うことは、あなたがたを中傷することになるのか。自分を過大評価してはならない。あなたが自慢できることは何もないのである。このような大きな救いと豊かな恵みが、無償であなたがたに与えられている。あなたがたは何も犠牲にしていないのに、恵みをただで享受する。恥ずかしくないのか。この真の道は、あなたがたが自分で求めて見つけたものなのか。あなたがたがこの道を受け入れるようにしたのは聖霊ではないのか。あなたがたに追い求める心があったことはなく、ましてや真理を追求し思慕する心があったこともない。あなたがたはただ座ってくつろぎながら楽しんでいるだけである。何の努力もせずに真理を得た。何の権利があって不平を言うのか。自分には最大の価値があるとでも思っているのか。命を犠牲にした者や、血を流した者に比べて、あなたがたは何に不満があるというのか。あなたがたを今滅ぼすのは、正しく当然のことである。あなたがたには服従し従うこと以外に選択の余地はない。あなたがたは全く何にも値しない。あなたがたのうちのほとんどが呼び出されたが、状況に強いられていなかったならば、あるいは呼ばれていなかったならば、あなたがたには出てくる気など毛頭なかったはずである。誰が自分からそのように物事を断念するのか。誰が自分から肉の快楽を捨て去るのか。あなたがたは皆、貪欲に安逸をむさぼり、贅沢な暮らしを求める人である。あなたがたは、これほど大きな祝福を受けたが、その上何か言うことがあるのか。どんな不満があるというのか。あなたがたは天の最大の祝福と恵みを享受することを許され、地上でこれまでに行われたことのない働きが今あなたがたに明らかにされている。これは祝福ではないのか。あなたがたは神に抵抗し反逆したので、今はこのように刑罰を受けている。この刑罰のおかげで、あなたがたは神の憐れみと愛を知り、そして何よりも神の義と聖さを知った。この刑罰と人類の穢れゆえに、あなたがたは神の大いなる力を見て、神の聖さと偉大さを知った。これは最も希有な真理ではないのか。意義ある人生ではないのか。神が行なう働きは意味で満ち溢れている。したがって、あなたがたの地位が低ければ低いほど、あなたがたが神に高められていることと、神が今日あなたがたに行なう働きには大いなる価値があることがそれだけ一層明らかに証明される。それはまさしく、ほかでは得られない計り知れない価値のある宝である。全時代を通してこれほど大きな救いを享受した者は一人もいない。あなたがたの地位の低さが、神の救いの偉大さを示しており、神が人間に忠実であること、すなわち、神は救うのであり、滅ぼすのではないということを示している。

『言葉は肉において現れる』より引用

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聖霊の御言葉「神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを知っているか」

2020-11-25 18:12:18 | 聖霊の御言葉

 

 [東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。