神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

ディボーションでの交わり:クリスチャンとして集会出席をおろそかにしてはいけません

2019-08-30 13:08:27 | 讃美歌

ディボーションでの交わり:クリスチャンとして集会出席をおろそかにしてはいけません

こんにちは、「霊に関するQ&A」の兄弟姉妹の皆さん、

私は日中の仕事でとても疲れてしまい、夜はよく眠れません。結果的に、予定の時間に集会に出ようという気が起きなくなっています。束縛されたくありません。私に霊的な必要があった時に、兄弟姉妹を探しておしゃべりすればそれでいいのではないか、と思っています。この問題の原因は何なのでしょう。どのように解決すべきですか?

アンジーン

こんにちは、アンジーン姉妹、

予定の時間に集会に出席する気が起きず、霊的な必要を感じた時だけ、積極的に兄弟姉妹を求めておしゃべりをすればよいのではないか、ということでした。そのように考えるのは、神を真に信じるとはどういうことか、集会の重要性とは何かを理解していないからです。真理のこの側面は、神様から称賛されるような信仰を持つことができるかどうかに直接関係しているため、非常に重要です。この点について、私がどのように理解しているかを少しお話します。お役に立てれば幸いです。

 

ディボーションでの交わり, クリスチャンとして集会出席

 

神様を真に信じるとはどのような意味か

 

最初に神様が人間を創造された理由は、人間が地上で神様を称え、礼拝するためであったことを私たちは皆知っています。主イエスは言われました。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。」(マタイにによる福音書22:37-38)主の信じる者として、信仰と神様への礼拝、そして神様と正常な関係を持つことを最優先にすべきです。集会、祈り、真理を語り合うこと、賛美歌を歌うこと、そして神様を讃えることが、神様との正常な関係を確立する方法です。クリスチャンとして、最低これらを必ずやるべきです。神様の言葉はこう言っています。「『神への信仰』とは神の存在を信じることを意味し、これは神に対する信仰の最も単純な考えである。さらに、神の存在を信じることは、真に神を信じることと同じではない。むしろそれは強い宗教的含みを持つ単純な信仰である。神への真の信仰とは、神はすべてのことに支配権を持つという信念に基づいて神の言葉と働きを経験することを意味する。堕落した性質から解放され、神の望みに応じ、神を知ることができる。そのような道程を経てのみ、神を信じていると言える。」(「神の働きを経験する者のみが真に神を信じる」より)「神の心において、自分の信仰が認められたことの無い人々がいる。換言すると、そうした人々の信仰を神が称賛しないため、そうした人々が神に付き従う者であることを、神が認めない。……こうした者は、神に対する信仰を、一種の余暇活動の趣味として捉え、神を単なる精神的な支えのように扱っている……神は、こうした人々のことを、どう思うであろうか。神は、こうした人々を、信者以外の者とみなす。」(「神の性質と神の業の結果を知る方法」より)ここから分かるのは、もし、私たちの神様への信仰が単に口頭で認め、心の中で信じることのみから成っていて、真理を追い求めず、神様の言葉を経験したり実践したりせず、信仰を精神的な支えや趣味としてとらえているのであれば、真に神様を信じているとは言えません。神様はこの手の信仰を称賛しません。神様の真の信者たちは、頻繁に神様の御前に出て、よく神様に祈り、よく神様の言葉を読み、集会に何度も出席し、神様の言葉から来る真理に対する理解を深めるべきです。同時に、神様の言葉を実際の生活に適用させ、経験し実践しなければなりません。信者たちは毎日起こることは神様によって支配され、定められていると信じています。これが特に当てはまるのは、彼らが自分の考えとは異なる何かに遭遇した時、そしてそのことが自身の堕落した性質を明らかにしている時です。彼らは神様の御前に出て、神様の言葉に従って自分自身と向き合えます。彼らは神様が定めた環境の中で学ぶべき課題、実践に移すべき真理を求めることができます。その後、彼らは神様の要求に従って実際にそれを実行し、サタン的な堕落した性質を投げ捨て、正常な人間性を生き、最後には、神様に対する真の認識、神様への従順、神様への愛を達成するのです。この方法によって神様の働きと言葉を体験する時にのみ、神様を真に信じるということが成り立ちます。このようなやり方で神様を信じて初めて、私たちは神様の承認を得られます。反対に、私たちの信仰に神様との正常な関係、集会への定期的な参加、祈り、真理を語り合うこと、そして、神様の言葉を実践に移すことが含まれていないならば、もし、空き時間だけの信仰であるならば、もし、数年間神様を信じても、堕落した性質がまったく変わらず、神様を真に理解しないならば、未信者の信仰と変わりがありません。神様はそういった信仰を信仰とは認めません。もし私たちの信仰がこのようなものであるなら、最後まで信じたとしても、神様の承認と救いは得られないでしょう。

 

教会生活は不可欠です

 

予定の時間に集会に出席する気が起きないなら、教会生活の重要性を理解していないと言えます。実は、教会生活は神の言葉を語り合い、真理において理解を深めて成長する生活であり、それはまた聖霊の働きを体験し、神様の愛を享受する生活でもあります。真理を理解し、真理において成長し、神様の救いを得ることは、聖霊の働きなくしてはまず達成できない成果です。互いに仕え、施し合い、本分を尽くして神様に対して証しとなる教会生活を通してのみ、容易に聖霊の働きと神様の清めと救いを得られるのです。言い換えれば、信仰の面で神様の承認を獲得することと、神様の救いを達成することは、正常な教会生活と密接に関係しているのです。聖書は言っています。「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」(ヘブライ人への手紙10:25)主イエスは言われました。「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18:19-20)ここから分かるのは、教会生活を生きることは、クリスチャンである私たちに対する神様の要求のひとつであるという事実です。私たちの素質には限りがあり、真理を受け取る器官も備わっていませんから、神様の言葉の真理と奥義を理解するのは非常に困難です。文字面ばかり追っていても、神様の意図と人間に対する要求をほとんど理解していないでしょう。しかし、教会生活に参加し続け、兄弟姉妹と一緒に祈り、神様の言葉を読み、理解したことや経験を語り合うなら、聖霊による啓きと照らしを得ることができます。私たちはさらにたくさんの光と報いを得て、神様の意図と要望をはっきりと理解していくでしょう。実践の道ももっと明らかになるはずです。特に、神様の言葉を理解しなかったり、さまざまな困難に直面したりした時、兄弟姉妹が一致して神様を求め、祈るならば、私たちを通して聖霊が働かれ、真理を理解している兄弟姉妹を通して私たちを潤し、導いて下さいます。そうすれば、神様の言葉の隠された意味を理解することができ、真理を知る私たちの問題や困難は全て解決します。教会生活で多くの問題を解決すればするほど、もっとたくさんの真理を理解し、得ることができます。そうすることで、私たちは二度と混乱したり問題を抱えて生きることはなくなります。私たちの人生は楽になり、解放されます。神様の意図と要求に従って、遭遇する状況にも取り組んでいくことができます。次第に神様の言葉が、状況の対処に使える原則や指針になります。聖霊の導きの下で神様を信じる正しい道に踏み出せるのです。

教会生活に参加しないならば、時々自分だけで祈ったり、神様の言葉を読んだりしている状況ならば、聖霊の働きを得ることは非常に限られてしまいます。聖霊の働きなしでは、真理を理解できず、真理の現実に入って行くこともできないでしょう。困難や問題にぶつかった時は、神様の意図を理解しないがゆえに、対処法も真理の実践方法も分からないという事態が頻繁に起こります。自分自身の観念や想像に頼って物事を行うなら、神様の意図を妨害するばかりでなく、神様の性質に背くことになってしまいます。神様による救いはもちろん、聖霊の臨在も失うのです。神様の言葉はこう言っています。「あなたは、自分の霊的生活が正常ではない場合、神の現在における業を理解できず、そうした業が自分の観念と全く相容れないものであると常に感じ、神に進んで付き従っていても、内部の推進力が欠如している。したがって、現在において神がどのような業を行っていても、人間は協力する必要がある。人間が協力しなかった場合、聖霊はその業を行うことが出来ない。また人間に協力精神が無ければ、聖霊の業を得ることがほとんど出来ない。……人間が神に協力せず、より成長することを求めなければ、神は人間が従前持っていたものを奪うであろう。人間は内心常に楽な方に貪欲で、既に用意されているものを楽しむことを好む。人間は全く代償を払うことなく、神の約束を得ることを望む。こうしたことは、人類の突飛な考えである。代償を払わずにいのちを得るなどと言うが、それほど容易なことが一体あるだろうか。ある者が神を信じ、いのちにおける成長と性質の変化を求めているのであれば、その者は代償を払い、神が行う業が何かを問わず、常に神に付き従う状態に達する必要がある。それが、人間がすべき事である。その全てに規則として従っていたとしても、それを頑なに遵守せねばならず、いかに試練が大きくても、神との正常な関係を手放してはならない。あなたは祈りを捧げ、教会生活を維持し、兄弟姉妹と共に居ることが出来る必要がある。あなたは、神が自分を試すときでもなお、真理を求める必要がある。これが霊的生活のための最低限度である。」(「あなたは神への忠誠を保たなければならない」より)神様の言葉から、私たちにとって正常な霊的生活が非常に重要であることが分かります。祈り、神様の言葉を読み、集会に出席することのすべてが霊的生活を構成しています。これらを守れなければ、聖霊の働きを得られないでしょう。私たちの心が神様に従いたいと願っても、信仰を持つことはできません。ですから、仕事がどれほど忙しくても、肉体的に疲れていても、神様との正常な交わりを失ってはいけないのです。最低でも、正常な霊的生活を維持する必要があります。神様の御前で生活し、問題に遭遇した時は真理を求め、実践しなければなりません。そうすることによってのみ、私たちの霊的ないのちは確固たるものになります。そうして初めて、問題に遭遇した場合に取り得る道が与えられるのです。

 

神様の御前に生き、神様の保護を受ける

 

主イエスは言われました。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11:30)主は私たちが楽に、自由に生きることを望んでおられます。主は私たちがこの世のことにまみれて苦しむ姿を見たくないのです。ならば、仕事で疲れすぎているために集会に出席する気が起きないのはなぜでしょうか。実は、そのような考えはサタンから来ています。その考えの中にはサタンの悪の陰謀が含まれています。神様は言われています。「神が人間に対して行いたいことはサタンが破壊しようとすることであり、サタンが破壊したいことは人間を通してすべて表れる。……サタンによる人類の破壊も明確に示される――彼らはますます堕落させられ、その状態はだんだん落ち込んでいく。あまりにも悲惨になると、サタンに捕らえられることもある。」(「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈」の「第十五章」より)サタンは神の敵です。あらゆる面で神に敵対し、頻繁に私たちの弱点を狙い、攻撃してきます。サタンに堕落させられた私たちの内側はサタンの毒に満ちています。私たちは富を愛し、栄誉や地位、肉の楽しみを愛します。富や栄誉のためであればどんな努力もし、それを手に入れるためならどんな代価も払います。ですからサタンはそのような堕落した私たちの性質を利用して肉欲に溺れさせ、神様との正常な関係性を阻害し、私たちを神様から離れさせ、神様を裏切らせ、最後に私たちを呑み込むという目的を達成します。もし私たちがいつも肉の欲望を満足させ、神様に頻繁に近づかないならば、いとも簡単にサタンの罠にはまってしまい、この世の邪悪な波に流されて、遂には神様の思いに背いて神様に嫌われるようなことまでするようになってしまうでしょう。集会は私たちが神様に近づく機会です。神様と私たちの距離を縮めてくれて、神様の前で生きるようにしてくれて、神様の検証を受け入れ、神様の配慮と守りを受けるようにしてくれます。神様との関係が正常になれば、霊的にも鋭くなり、神様が好まれる物事と嫌われる物事が見分けられるようになります。何か問題に直面しても、神様の側に立つ事ができ、肉の好みに従って神様に反することや拒絶することはありません。結果的に私たちは更に神様からの祝福を受けることができます。ですから、私たちが神様に認めて頂いて救いを得る上で、教会生活はとても重要です。信仰が弱く、状態が正常でない時は、もっと頻繁に神の御前に出て、神に祈り、神に頼らなければなりません。教会生活から離れないことです。同時に、神を満足させるという決意を神の御前固めるべきです。このように神と協力する時、サタンの陰謀は私たちに何ら影響を及ぼさず、サタンは慌てふためいて消え失せます。神との関係性がいったん正常になれば、集会への出席を束縛だとは感じなくなります。反対に、集会に出席することは、神と親しくなり、神の愛を味わう方法だと思うようになるでしょう。

神の導きに感謝します!アンジーン姉妹、ここで今日の私たちの交わりを終わりにします。今日お伝えした内容が役に立つことを願っています。分からない点があれば、それについて一緒に話し合いましょう。

「霊に関するQ&A」

編集者から:今日の「ディボーションでの交わり」を読んで、神様を心から信じるということ、そして教会生活の意味がわかりました。また、定期的に集会に出席することが、神様を信じて救われるという極めて重要な点に直接関連していることから、とても大切だということが分かりました。引き続き、私たちの福音映画、『神への信仰』も是非ご覧になってください。神様に称賛されるような信仰を一緒に求めていきましょう。


クリスチャン結婚:結婚生活を救う“秘密”(その2)

2019-08-29 11:02:56 | 書籍

クリスチャン結婚:結婚生活を救う“秘密”(その2)

しかし、妻に福音を伝えた時、妻はそれを受け入れませんでした。その後、教会の兄弟姉妹に、家に来て妻に福音を伝えて欲しいと頼みましたが、妻はそれでも耳を傾けようとせず、彼らをお客さんとして迎え入れることでさえ難色を示しました。このような状況を見て、ただ、妻に対する真摯な願いを神に委ねるより他ありませんでした。ある日、私は次のような神の言葉を読みました。

(『言葉は肉において現れる』の「神を愛する者たちは永遠に神の光の中に生きる」より)「人々にすべてが起こるのは、彼らが神に対する証しに固く立つことを神が必要とする時である。当面、あなたには重要なことは何も起こっていないし、あなたは重大な証しはしていないが、あなたの毎日の生活の詳細はすべて神への証しに関連している。あなたが兄弟姉妹、あなたの家族、あなたの周囲のすべての人から称賛を得られたら、また、いつか不信心者が来て、あなたの行うことのすべてを称賛し、神の行うすべては素晴らしいことがわかったら、その時、あなたは証しをしたことになるのである。」(『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より)神の言葉は、私が取るべき道を示してくれました。それは、人のそれまでの性質を変え、堕落したライフスタイルを変えるには、神の言葉を使う必要があるということでした。私が神の証を立て、妻に利益をもたらし、啓発する唯一の方法は、私の中の変化と、神が私に行なった働きを彼女に見せることでした。かつて、神を信じるようになる前、私はサタンのルールに従い生活していた頃を思い出しました。快楽主義から来ることで頭が一杯で、傲慢に振る舞い、妻を顎で使っていました。私は手が付けられない状態で、人としてあるべき状態ではありませんでした。それは、妻と子供達をひどく傷付けるサタンの悪魔的イメージをすべて反映したものでした。現在、妻は私に怒りを募らせており、私が彼女に許しを請う必要があるという断固たる考えを持っていました。その上、現在、私は神を信じており、神の言葉に従い行動しており、本物の人間のように行動しなければなりません。神の証を立てるために、私は真理の現実をまっとうしなければなりません。

それ以降、私は神の言葉を実践し始め、自分自身を最優先しないようにしました。また、私だけの楽しみにだけフォーカスしないよう、ましてや、偏執的優越心により、あれをやれ、これをやれと妻に命じて抑圧しないように努力しました。妻が店のストックを買いに早起きして市場に行くのを見た時は、私も早起きし、強い信仰心で神の働きを読み、現場の従業員の作業日程を決めるために、仕事に行くまで、妻の家事を助け、朝食を作り、片付けをし、洗濯までしました。仕事でのソーシャルイベントへの参加義務については、それを維持するために人類の方法を使うことはなくなり、その代わりに、神の知恵に頼って、誘惑から距離を取り、これらの悪い習慣を断ち切れるよう、神の前で祈りました。これらのことをすると、信じられないような平穏を感じました。同時に、真理を実践し始めてから、神の祝福を目にするようになりました。ソーシャルイベントに参加しなくとも、すべての仕事のプロジェクトから、簡単にお金を稼ぐことができました。収入をまとめると、妻にお金を渡し、「必要なものに使ってください。かつて、私はいつもどんちゃん騒ぎのためにお金を無駄に使っており、本当に悪い道にいました。あなたには大変な苦労をかけました。これからは、あなたにお金の管理をして欲しいのです!」と言いました。これを聞いて、妻はからかうような調子で、「あら、ようやく、家周りのことをして、家を家らしく扱うことができるようになったんですね。良心が目覚めましたか。」と言いました。それを聞いて、神が私にもたらした救済に心の中で感謝しました。さらに、子供達の勉強もできるだけ見るようにし、先生との三者面談にも積極的に参加するようになりました。食事の後には、よく、妻と子供達と共に、神への信仰における私自身の経験や、神がいかに私を導き、私を変えたかについて話し合い、その証を立てました。徐々に、私の家族は密接になっていきました。

それからしばらくして、教会の兄弟姉妹が交流のために家に来た時、妻は私達の後ろに座り、私達の話を聞いていました。妻は解決策のない人生の問題について兄弟姉妹に熱心に尋ね、兄弟姉妹は神の言葉で彼女に答え、彼女が取るべき道を示しました。私は、妻が兄弟姉妹に「あなた方の交流は私が直面していた現実的な困難を解決しました。皆さん、ありがとうございます!時間がある時に、また、私達を尋ねに来てください。リー・クアンがここにいなくても、是非、お越しください。」と言うのを聞きました。妻がそう言うのを聞いて、私はものすごい幸せになりました。これは、妻がこんな風に変わることを実現した、神の神秘的な働きの実に1例です。

ある日、帰宅すると、妻は熱心に神の言葉を読んでいました。私は素早く彼女の所へ行き、「いつから神の言葉を読み始めたのですか。理解していますか。」と興奮気味に言いました。妻は少し恥ずかしそうに、「実は、これを読み始め、賛美歌を歌うようになってかなりの日が経っています。あなたが変わるのを目の当たりにし神を信じるようになり、また、家に来た兄弟姉妹が、あなたのかつての快楽的な友人達と異なり、健全で威厳に満ちているのを見て、これこそ真の道だと感じました。ゆっくりと、神の言葉を読んだり、賛美歌を歌ったり、福音のビデオを見たりするようになりました。今では、神の言葉は毎日読むようになっています…」と、言いました。妻がそう言うのを聞いて、神だけが人を変え、救うことができると本当に感じ始め、心の中で、神を絶え間なく讃えました。神は私を鬱や苦しみから救い、神の言葉により私を清め、変えました。神は真の人間らしく生きることを可能にし、私を通して、妻が全能の神がどのようなものかを見ることができ、それにより、妻も救済を得ました。神の働きは本当に素晴らしく、神はとても賢く、私達の愛を受けるのに値する存在です!私は神の偉大なる救済を受け、心から神に感謝し、神を讃えます!

その後、子供達も神を信じる道を歩み始めました。私達は家族として一緒に神の言葉を頻繁に読み、私達の経験や神の言葉の知恵について話し合うのが好きでした。家族全体が神の愛の温かい包容の中で喜びを感じています。妻が神の終わりの日の働きを受け入れてから、妻の気性はずっと明るいものになり、全体的な精神的展望は日を追うごとに良くなっていきました。私の兄とその奥さんは、妻が神を信じるようになってからの変化に気が付きました。彼女はとても生き生きとし、おしゃべりになり、まるで全く別人になったかのようでした。姪までが驚いた顔で私を見て、「おじさん、顔色がすごく良いし、シワも消えましたね。充実して見えるし、すごく若返りました!」と言いました。私達の親戚や近所の人達も、皆、私達家族が良い方向に変わったのを目の当たりにし、羨望の目を向けました。特に、妻が私達のビジネスを運営するのを、私が手伝うようになり、彼女の回りの女性たちは、「彼らが夫婦として共にいかに幸せでいるかをご覧なさい。彼らは宝を得たようです!」と言いましたが、それは本当のことでした。人々がそのようなことを言うのを聞いて、とても良い気分になりました。これは、全能の神の救済の働きであり、神の偉大さが私の結婚を救ってくださったことを私は十分に認識していました。私は、神が私と家族を救済してくださったことに対し、心からの感謝を表したいと思います。

そして、今、私の結婚が危機的状態にあった頃を思い返すと、言葉に尽くせません。私はすべてのことを試しましたが、功を奏したものはありませんでした。しかし、神の働きを通して、修復されたのです。全能の神の導きを通して、妻と私は共に同じ道を歩み、私が家族に対して長い間望んでいた、平和で幸せな家族と生活を手に入れることができました。神の前に来て、神の言葉を受け入れ、それを実践することによってのみ神の祝福と保護を受け取ることができ、それにより、耐えてきた辛さや困難が解決されると言うことが、経験により、しっかりと示されています。全能の神の終わりの日の働きは、幸福への真の道です!これから、私はさらに密接に神に従い、神の救済と言う愛に報いるため、正しい道を歩んでいきます!

リー・クアン


クリスチャン結婚:結婚生活を救う“秘密”(その1)

2019-08-28 14:43:07 | 書籍

クリスチャン結婚:結婚生活を救う“秘密”(その1)

私が子供の頃、父と母はいつも口論し、母は父からの暴力や虐待に苦しむことがよくありました。母は心の中にあまりにも多くの憎しみを抱いていたため、かなり若くして亡くなりました。その後、私は、「私が大きくなり、自分の家族を持つようになったら、妻には優しくし、幸せで平和な家庭を築こう。両親の結婚の失敗は繰り返すまい。」と決意しました。

1995年、私はレストランに機器の取り付けを行なうエンジニア部の部長として働いていました。当初、私は起業家となりお金を稼ぎ、賢く優しい妻を見つけ共に幸せになれば、それだけで十分だろうとだけ考えていました。しかし、しばらくして、他部の部長と一緒に、レストランやフットスパ、カラオケバー、ホテルを始めとする他のエンターテイメント施設を訪れることが多くなりました。この頃、彼らは、「妻と愛人を持て!」「一度も愛することがないよりは、人を愛し、愛に破れる方が良い」「人生は90年しかない。若いうちに精一杯生きろ」「これぞ男の生き方だ。食べて、飲んで、結婚したくない奴などいるものか」「我が国は経済の急成長を約束しており、あらゆるエンターテイメントビジネスを躍進させている。そのため、私達は熱意を持ってこれに応えるべきだ。中国人である私達は、ナイトライフでもやるべきことをしなければ、中国政府をがっかりさせるぞ!」とよく言っていました。彼らの影響を受け、時間と共に、彼らに従いナイトライフの快楽に参加するようになり、それが楽しいことだと考えるようになりました。

2000年後半に、私は結婚しました。当初、私と妻の間には深い感情的なつながりはありませんでしたが、仲良く、互いに理解しながら暮らしていました。しかし、私の仕事のために、ソーシャルイベントや複雑な個人的関係を保つ必要があり、独身時代のようにパーティに参加し続けていました。私は快楽的な生活を送り、毎晩、夜遅くによろめきながら帰宅していました。このような生活が2年続き、妻はついに、私の帰宅時間が遅いのは一生懸命仕事していたからではなく、どんちゃん騒ぎしていたためであることを突き止めました。それ以降、妻は私に対して冷たくなりました。私達は自分のことを別々に行ない、話すことはなく、互いに理解や配慮を見せることは全くありませんでした。私達は互いから気持ちが離れてしまいました。私達の関係がひどくぎこちないものになったことを目の当たりにし、結婚が破綻してしまったのではないかと、私は不安になり、眠れなくなりました。この行き詰まり状態を克服したいと思い、私は友人に助けを求めました。ある友人は、「あなたの男友達は、手足同様、あなたの一部です。しかし、女性はファッション以上のものではありません。あんまり心配する必要はありません。彼女を押さえ込んでいれば、上手くいくでしょう。」と言いました。聞いているうちに、この友人の話は尤もだと思い、「妻にレッスンを学ばせてやる必要がある。妻に自分の権威を認めさせ、自分に服従させる必要があり、これにより、私のやり方に嫌な顔を2度とすることはなくなるだろう。」と考えました。そこで、友人が言ったとおりに実行しました。帰宅すると一切妻を手伝わず、奴隷のように自分に仕えさせました。妻が作った食事を給仕させ、それを私が食べてから、別の用件を言いつけるために怒鳴り散らしました。可能な限り尊大かつ強い自分を演じました。月の生活費も細かく記録させ、私がそれを確認するまで、1銭たりとも妻に渡すことを拒否しました。しばらくして、自分の権威が確立できなかったばかりか、私達の関係がさらに冷え込んだことに気が付きました。この方法が功を奏さなかったのを見て、妻と心を割って話し合おうとしました。しかし、私が2言話す前に、私はどんちゃん騒ぎをするばかりで、家にお金も入れないなど、長年の恨みを晴らそうと、私を非難し始めました。そして、私達は口論し始め、険悪な状態でその場を離れました。口論した後、私は毎回、辛さと悲しさでぐったりしました。夫婦が共通言語を話さないなら、一緒の家族でいることは敵と暮らすようなものです。何かを言おうとすると、口論になるのです!この頃はやり過ごすのが大変でした。この状態を継続し、苦痛を長引かせるぐらいなら、離婚した方が良いように思えました。いずれにしても、この恥を表に晒したくなかったので、自分自身の自尊心と、子供達のため、…しかし、何よりも、私が常に抱いてきた幸せな家族を持つという夢を捨てきれなかったため、悲惨な結婚生活を継続していました。しかも、そもそも悪かったのは私です。ですから、修復する必要があるのも私でなければなりません。

友人は私がとても惨めな気分でいるのを見て、私が妻や子供達と精神的なつながりが持てるよう、感情や結婚に関する本を読むことを勧めてくれました。そこで、私は妻と2人の子供を連れて本屋、動物園、モールなどへ連れて行き、彼女の実家の家族に何かを買ってあげるようお金を渡し始めました。友人と外出する回数は徐々に少なくしていきました…このようにすることが破綻した結婚生活を救う方法だと考えました。しかし、妻はそれでも不満げで、私に冷たい態度を取っており、これについて私には何もできることがありませんでした。親しい友人の1人に、妻と話して、解決して欲しいと頼みましたが、その友人は、「こう言うことは時間がかかるものです。」と困惑顔で言いました。

それから間もなくして、機器取付会社を設立し、仕事のコツを学ばせるために、義理の弟を招きました。私は、「自分は、ステータスも稼ぎもある男だ。これで妻の虚栄心を満たすのには十分なはずだ。その上、妻の弟の世話までしている。これで私達の関係は修復するに違いない。」と考えました。しかし、それでも、私の予想に反して、私達は頻繁に喧嘩し続けていました。妻は従業員の前で私がきちんと家族の面倒を見ていないと言って、私の欠点をあげつらいました…。この口論をそれ以上聞いていることはできなかったので、いくらかのお金を置いて、別の建設現場に向かうことにしました。離れることを妻に伝えるために、彼女の前に来ると、彼女はうろたえており、私はひどい気持ちになりました。私には全く理解できませんでした。夫婦は過去の問題を思い悩んではならないとよく言いますが、なぜ、私達の間はこんなにひどく対立してしまったのでしょうか。なぜ、私達は顔を見る度に、口論し合い、互いに冷たい態度を取り合ってしまうのでしょうか。どうして、私達は互いにとって辛い状態を招き、私達の家をこのような混乱した状態にしたのでしょうか。私達はこの状態で、4、5年暮らしてきました。私達の関係を修復するために本当に何もできなかったのでしょうか。夫婦としての私達の関係は日ごとに悪くなっており、私の仕事でのプレッシャーは蓄積していき、私は食べることも寝ることもできなくなりました。私は、疲労困憊してしまいました。額には深いシワが刻まれ、かつてはがっしりしていた体格も、65kgにまでしぼんでしまいました。物事が危機に陥ると、この苦しい人生から解放されるために死を願うことさえありました…。しかし、その時には、可愛い2人の子供達のことを思い浮かべ、すべてを投げ出すことはできないと思い返しまいました。そして、終わりがないことが確実な苦しい人生の中にとどまっていました。

人々が限界に達すると、神が現れます!2008年3月、全能の神の終わりの日の働きを受け入れる幸運に恵まれました。全能の神の教会に行ってから、神の言葉を頻繁に読み、教会の生活に積極的に参加するようになりました。兄弟姉妹が話す真理や、彼らの経験話に耳を傾けることにより、無意識のうちに、家族や結婚に関するいくつかの真理について理解するようになり、人類の運命について、新たな理解をするようになりました。私の心に重くのしかかっていた不安やストレスは大幅に軽減されました。それまで感じたことのない幸せを経験し始め、全身がよりリラックスし、くつろいだ状態になりました。ある集会の時、ここ数年の辛さと困惑について心を開いて話すと、兄弟姉妹は神の次の聖句を私に読んでくれました。「この世界の創造以来、わたしは人々からなるこの群れを予め定め、選ぶことを始めた。すなわちそれは、今日のあなたがたである。あなたがたの気質、器、外観、背丈、あなたがたが生まれた家族、あなたの職業、結婚、すなわちあなたの全て、あなたの髪や肌の色、あなたが生まれた時間に至るまで、すべてはわたしの手により定められたものである。今日、あなたをわたしの前に来させたのも実際、わたしの定めによることは言うまでも無く、あなたが毎日行うこと、日々出会う人々でさえわたしの手で定められたものである。自分を混乱させてはならない。冷静に進みなさい。」(「キリストが最初に発した言葉と証し」より)神の言葉を通して、私は、「私の人生の道や軌跡は神が事前に定めていた。私の家族、結婚、妻、そして子供達は神の采配により私に授けられたものであり、創造物として、神が支配する計画を受け入れ、それに服従する必要がある。さらに、私の結婚で今日まで歩んできた道は、私自身の行動によるものだったが、家族や結婚の痛みを離婚や自殺により逃げようとしていた。これは、人類の問題解決方法を適用し、神が支配する計画から逃げようとしていただけではないのか。私はとても愚かだった。最終的に私の結婚がどうなるかは神の手中にあり、家族に関連するすべての事項について神を頼り、計画の責任を神に委ねる必要がある。」ということを理解しました。神の心を理解すると、とても安心し、心にあった痛みが大きく軽減されました。

ある日、次のような神の言葉を目にしました。「ひどく汚れた国に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、「高等教育機関」で教えを受けてきた。後ろ向きの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と習慣──これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます反対するようになった。人の性質は日ごとに悪質になり、神のために進んで何かを投げ出そうという者は一人としておらず、進んで神に従う者は一人としておらず、さらには神の出現を進んで探し求める者も一人としていない。それどころか、人はサタンの支配下で快楽を追求しているだけで、泥の地で肉体の堕落にふけっている。」(『言葉は肉において現れる』の「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」より)全能の神の言葉は、人類の苦しみの原因を暴露し、私のすべての苦しみの原因はサタンの堕落によるものであることを明らかにしました。私はサタンの支配下にあり、邪悪な社会的トレンドの影響を受けていました。私は、「妻と愛人を持て」と言う邪悪なサタンの見方で暮らしていました。快楽を楽しむ中で、私はサタンの罠にはまり、本物の人間らしく全く見えないほどに堕落していました。ソーシャルライフを送ることを装い、邪悪な社会的トレンドに最初に心が惹かれた時、そして、私の放蕩やどんちゃん騒ぎが、私達の間に終わることのない対立をもたらし、互いの心が離れた関係にさせたかを思い出しました。その後、私と妻の関係を改善するために、「あなたの男友達は、手足同様、あなたの一部です。しかし、女性はファッション以上のものではありません。彼女を押さえ込んでいれば、大丈夫です。」と言う友人の“親切な助言”を求めました。彼の「彼女を押さえ込め」と言う言葉は、偏執的優越心を衝撃的な形で表現したものに過ぎませんでした。それは、効果がなかったばかりか、それにより状況は悪化しました。私は、これらのサタンの見方により物事を解決しようとしたため、家族生活はバラバラになる瀬戸際で、私は肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまいました。私は言い尽くせないほど辛い状態にあり、自殺さえ考えるようになりました。しかし、今の私にははっきりと分かります。サタンはこれらの方法で私を罠にかけ、堕落させ、私の結婚と家族を破綻させ、私に邪悪で悲惨な人生を送らせていました。サタンの邪悪な目的は私を食い尽くすことでした。サタンは本当に欺瞞と悪意の塊です!

一度サタンの策略を見破ると、邪悪なサタンの考えを完全に断ち、神の言葉に従って行動することを決意しました。また、妻も神の救済を受けられるよう、できるだけ早く妻に福音を伝えたいとも思いました。

リー・クアン


「救い」

2019-08-27 23:48:21 | キリスト教映画

救いとは何でしょうか?主イエスを信じる者は、誠実に主に祈って罪を告白し悔い改めれば、罪は赦され、救われ、主が再臨するとすぐに天国へ引き上げられると信じています。 しかし、救いとは本当にそんな簡単なものなのでしょうか?
この映画の主人公であるシュウ ジチァンは、長年神を信じ、熱心に神のために努力し、本分を尽くすために、あらゆることを犠牲にしてきました。そのため中国共産党に逮捕され、拷問されます。刑務所から釈放された後は、本分を尽くすことを続け、実践的な経験を積み、その説教や働きは兄弟姉妹の実際の問題を解決します。その後、妻も逮捕されますが、不平を言ったり諦めたりくじけることはありません。このことで兄弟姉妹から賛辞を受け賞賛されます。シュウ ジチァンは真理の現実を知っているので間違いなく神の国に入れると信じています。しかしすぐに予期せぬ試練が起こります。中国共産党の警察による拷問を受け、妻が亡くなるのです。シュウジチァンはひどく取り乱し、神についての観念や誤解、不満をもつようになり、神への反抗や裏切りさえ考えるようになります…。しかし後になって、神を裏切っていることに気付くと、反省し、自分のように試練を受け、不平を言ったり神を誤解したり裏切ったりする人々が、真に救われるのだろうかと考えるようになります。このような者は本当に神の国に入る資格があるのでしょうか?

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「私は善人!」

2019-08-26 23:12:36 | キリスト教映画

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キリスト教徒ヤン・フイシンは幼い頃から善人であることを好み、人の機嫌を損ねるとを嫌い、自分は人に親切で優しいから善人だと信じている。しかし、神の終わりの日の福音を受け入れ、神様の言葉の裁きと刑罰を経て初めて覚醒し、自分は本当は善人ではないと悟る。むしろサタン的な哲学に基づいて生きている非常に利己的で狡猾な「八方美人」なのだ、と。真理を求めて正直で高潔な善人になろうと決心するヤン・フイシンだがどのような経験を通してそのような変化を遂げるのだろうか?

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