神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

神の性情は義なるものであり、それ以上に愛なのです

2020-03-24 21:49:35 | 福音を証しするシリーズ

神の性情は義なるものであり、それ以上に愛なのです
2017-11-18


2007年に世の終わりの全能の神の働きを受け入れて以降、私は表面的には自分の本分を尽くして忙しくしているように見えてはいましたが、自分の心を神に委ねることは出来ておらず、同時に自分は家族のささいな問題に息苦しくなるほど拘束されていると頻繁に感じていました。私は、30歳にもなる自分の娘が未だに適切なお相手を見つけられていないことを考える度に、神に不平をこぼしてしまいます。一方私の息子は遊ぶことしか頭になく、収入がないくせに無駄遣いばかりするので、私はこれにも不平をこぼしてしまいます。しかも、私の年老いた旦那は仕事に行きはしますが、監督は給料を払ってくれないので、これについても不平を言ってしまいます…私はあれやこれやと不平を言って、神のこともよく誤解してしまいます。神は私に対してひどく不公平であるようにも見えてしまうのです。この結果、私は暗闇と苦しみの中を生きています。しかし、私は、神を求めるべきであることを知らないだけでなく、自分がどれだけ危険な状態にあるかも全く知らないのです。私は頼るものもなく、苦しみの中でただ単に悪戦苦闘しているだけなのです。それでもなお、神は私のことを知り尽くしておられるのです。神はユニークな方法を用いて私を呼び止めになられ、私を御救い下さり、私が夢から目覚めてサタンによる害と苦しみから逃げらえるようにして下さるのです。

2012年8月1日は雨が特に強く降りました。水位は素早く上昇し、水は既に橋を超えて流れ出ていました。波が次から次へと前方に押し寄せ、非常に深刻な状況となっていました。私が電動スクーターで水に浸った橋を渡ろうとして、前輪が橋に乗りかかり、ペダルを思い切り踏んで前に突き進もうと思ったその時、意外にも水位が深くなり過ぎており、波も高くなりすぎていたのです。私がそれに反応する前に、私はスクーターに乗ったまま水流に流されてしまったのです。私は、「全能の神様!」と叫ぼうとしましたが、その言葉を発する前に水が口の中に入り込み、次から次へと口に入る大量の水にあえぎ苦しみました。その時、私は、これが自分の終着点なのだと心の中で理解し、頭の中でもはっきりと分かっていました。私はここで死ぬところだったのです。水は私の口の中に入り続け、私は何とか神に呼び掛けようとしましたが、それは出来ませんでした。しかし突然、私はチャンスを得ました。私が上を向いて自分の顔が水の表面から上に突き出た瞬間、私はやっとの思いで、しわがれた声で叫ぶことが出来たのです、「全能の神様、どうか私を御助け下さい!」その後すぐ、私はまるで水流に浮かぶ葉っぱのように、大きな木に対して体が浮かび上がっていくのを感じたのです。私は即座に両腕を伸ばして木に抱きついて立ち上がることが出来たのです。この時、私はとても興奮し、神に祈りを捧げずにはいられませんでした。「神様!あなたは私を御救い下さりました。あなたは、私の腐敗と堕落に背を向けず、死ぬ間際にあった私のいのちを引き抜いて下さり、私を引き戻して下さりました。私はあなたに感謝して、あなたを讃えます。」

そして、私が木にしがみつきながら川の方を見つめていた時、驚いたことに、波の高さと水流の強さにかかわらず、神は私を反対側に押し流すように水を動かされ、私を水に浸った橋から100メートルほど離れた場所に移動させて下さったのです。神は不思議な業で満ちておられるのです!私は一息ついて気を落ち着かせてから陸地の方に向かって水中を歩き、土手によじ登りました。そして私は自分の電動スクーターがどこに行ったのかを見ようして川の方に目を向けましたが見つかりませんでした。大きくうねる黒い波が勢いよく横切っていく様子しか見えませんでした。

家に帰って自分のベッドに横たわると、私の頭の中では自分が巨大な水流によって下流に流されていくシーンが恐怖感あふれる形で何度もリプレーされていました。私は神が私をこの危機から御救い下さったことを感謝して、それ以外はあまり考えませんでした。ある日、私は『いのちの入りについての説きと交流』の中にこう書かれているのを読みました。「もしあなたが、『あなたを取り巻く環境および人々、出来事や物体は全て、神の御座によって許されているものである』と言われる神の御言葉を信じるのであれば、あなたは神を信じるでしょう。もしあなたが、『どのような事柄であれ、私は神に服従して、神を満足させ、神の証言をする。そしてこれは何よりも優先することである』という信念を抱いているのなら、それを検討する必要はないのです。あなたはただ神の証言を直接行い、神を直接満足させ、真理を実践するべきなのです。あなたは神に背くことは出来ないのです。」私は突然、あの日の災害が私に起こったのは神の善良な御意図であったのだと気が付きました。神は、私が洪水の中で神の全能の御行為を体験し、それに気が付けるようにするためだけでなく、私を清め、私を変える目的のためにもこの災害をご利用なさったのです。私は自分が神に自分の子供達と旦那の文句を言いながら生活し、受け身的に神に抵抗していたことについて考えました。もしあの時、洪水に流されていたら、私は自分の子供達と旦那、そして自分の所有物の全てを完全に「手放す」ことになっていたでしょう。こういったものは、災害に直面した状況では全く価値が無かったのではないでしょうか?神は、私が自分の家族全員を神に委ねること、そして真理と神の御救いを求めるために最善を尽くす時間をもっと費やすようになることを期待されてこの災害を用いて私を目覚めさせて下さったのです。これが神から私への愛だったのです。あの災害が起こっていなければ、私は自ら乗り出して神の前に行くこともなく、神の元へ戻る可能性はさらに低くなっていたことでしょう。これについて神はこう仰っておられます。「人間の生活の状態について、人間は、まだ真の人生を見出しておらず、世界の不公平、荒廃、惨めな状態を見通しておらず、そのため災いが降りかかることがなければ、大抵の人は、まだ母なる自然を信奉し、「人生」の味わいに夢中になっていることだろう。これが世界の現実ではないのか。これが、わたしが人間に語っている救いの声ではないのか。なぜ、人間の誰一人、真にわたしを愛さないのか。なぜ、人間は刑罰と試練の中でだけわたしを愛し、わたしの守りを受けている時には、誰もわたしを愛さないのか。わたしは何度も人間に刑罰を「与えた」。人間はそれを見るが、無視し、その時でそれを「調べ、考える」ことをしない。そのため、人間には無慈悲な裁きだけが下ることになる。これは、わたしの働きの方法の一つにすぎないが、これも、人間を変え、わたしを愛するようにさせるためなのだ。」(『言葉は肉において現れる』の「二十九番目の言葉」より)神の性情は義なるものであり、それ以上に、愛なのです。神が何を成されようとも、それは私を救うため、私が神を理解出来るようにするため、神に服従するため、そして神を愛するためのものなのです。神の働きを体験し、神の御慈善を授かった今、私が抱く唯一の願いは、神の愛にお応えし、神の御心に御満足していただき、そして神の御国に関する福音の伝導活動に貢献するために、神の創造物としての自分の本分を精一杯に尽くすことです。

方心(北京)

2012年8月15日

 


「ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乗る 日本語

2020-03-23 19:18:10 | 福音を証しするシリーズ

「ノアの日々が来た」終わりの日の箱舟に乗る  日本語 
ノアの時代の人類を振り返りましょう。悔い改めることを考えずに、人はあらゆる種類の邪悪な活動を行いました。誰も神の言葉を聞きませんでした。人々の頑固さと悪は神の怒りを呼び起こし、ついに大洪水の災いに人々は飲み込まれました。ノアと彼の八人の家族だけが神の言葉に耳を傾け、生き延びられました。今日、世の終わりはすでに到来しました。人類の堕落はさらに深刻になってきています。誰もが悪をあがめます。宗教界全体は世界の潮流に従います。人々は真理を少しも愛しません。ノアの時代はすでに到来しました。人類を救うために、人類の中で世の終わりの裁きの働きを行おうと、神はもう一度再来しました。これは神が人を救う最後の時です。人類は何を選べばよいのでしょうか。
これは実話です。四川省の清平镇の住民たちは全能神の国の福音を受け入れることを繰り返し拒否したため、二度の災いを経験しました。汶川大地震の間、全能神を信じる多くの兄弟姉妹たちは神によって奇跡的に保護され、生き残りました。これらの事実は証しを立てられました。神を受け入れ従う人々と神を否定し抵抗する人々です。これらの二種類の人々には、ふたつの非常に異なる結末があります。

東方閃電]全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。


第二十九章

2020-03-21 11:27:48 | 福音を証しするシリーズ

第二十九章


すべてのものがよみがえりを受けた日、わたしは人間の中に来て、すばらしい日と夜を過ごした。そのとき初めて、人間は、わたしの親しみやすさを少し感じるのである。交流が頻繁になり、わたしの所有しているもの、わたしであるものの幾分かを知るようになった結果、人間はわたしについて、何らかの認識を得る。すべての人々の中で、わたしは頭を上げて見守り、彼らみなにわたしが見える。しかし、世界に災いが降りかかると、彼らはすぐさま不安になり、彼らの心からわたしの姿が消える。災いのために恐怖に駆られた彼らは、わたしの言いつけを聞こうとしない。わたしは何年も人間の間で過ごしたが、人間はいつでもわたしに気づかず、けっしてわたしを知らなかった。今日、わたしは人間に対して自分の口で話し、すべての人がわたしの前に来て、何かをわたしから得るようにさせるが、それでも彼らはわたしに近づこうとしないので、彼らはわたしを知らないのだ。わたしの足音が宇宙の果てをゆくとき、人間は自らを省みるようになり、すべての人はわたしのもとに来て、ひれ伏してわたしを崇める。これこそ、わたしが栄光を得る日、わたしが再来する日、そしてまた、わたしが立ち去る日でもある。今、わたしはすべての人々の間でわたしの働きにとりかかり、全宇宙で正式にわたしの経営(救いの)計画の仕上げを開始している。この瞬間から後、不注意な者は、いつ無慈悲な刑罰を受けることになるか知れない。これは、わたしが無情なのではなく、わたしの経営計画の手順の一つなのだ。すべてはわたしの計画の手順に沿って進められる。そして、誰一人、これを変えることができない。わたしが正式に働きを始めると、すべての人はわたしの動きにつれて動く。そのようにして、全宇宙の人々はわたしと共に働く。全宇宙に「歓呼の声」が響き、人間はわたしと共に勢いよく前進する。その結果、赤い大きな竜はうろたえ、狂乱し、わたしの働きに仕え、望まずとも、自分のしたいことができず、わたしの支配に従うしかなくなる。わたしの計画すべてにおいて、赤い大きな竜はわたしの引き立て役、わたしの敵、そしてまた、わたしのしもべである。したがって、わたしはけっして竜の「要求」を緩めたことがない。だから、受肉におけるわたしの働きの最終段階は、その家の中で完了するのである。このようにすれば、赤い大きな竜はよりよくわたしに仕えることができ、それによって、わたしはこれに打ち勝ち、計画を完了するのである。わたしが働く時、すべての天使が、最終段階のわたしの意思を実現すべく決意して、わたしとともに決戦に臨み、地上の人々が天使たち同様にわたしに従い、わたしに逆らおうという気持ちをいっさい持たず、わたしに逆らう行為を何もしないようにする。それがわたしの全宇宙での働きの動態なのだ。

わたしが人間たちのもとに来る目的と意味は、すべての人間を救い、すべての人間をわたしの家に連れ帰り、天と地とを再び一つにし、天と地の間で人間に「合図」を伝えさせることだ。それが、人間本来の役目なのだ。わたしが人間を創った時、わたしは人間のためにすべてを準備しており、後に、わたしの要求に応じて、わたしの与える富を受けられるようにした。だから、わたしの導きのもと、すべての人間が今日に至ったのだと言える。そして、これはすべてわたしの計画である。すべての人間の中で、無数の人々がわたしの愛の守りの下で存在し、無数の人々がわたしの憎しみの刑罰を受けている。人々はみなわたしに祈るが、それでも、彼らは現在の状況を変えることができない。一度希望を失うと、自然のなすがままとなり、わたしに逆らうことをしなくなる。それが人間にできるすべてだからだ。人間の生活の状態について、人間は、まだ真の人生を見出しておらず、世界の不公平、荒廃、惨めな状態を見通しておらず、そのため災いが降りかかることがなければ、大抵の人は、まだ母なる自然を信奉し、「人生」の味わいに夢中になっていることだろう。これが世界の現実ではないのか。これが、わたしが人間に語っている救いの声ではないのか。なぜ、人間の誰一人、真にわたしを愛さないのか。なぜ、人間は刑罰と試練の中でだけわたしを愛し、わたしの守りを受けている時には、誰もわたしを愛さないのか。わたしは何度も人間に刑罰を与えた。人間はそれを見るが、無視し、その時でそれを調べ、考えることをしない。そのため、人間には無慈悲な裁きだけが下ることになる。これは、わたしの働きの方法の一つにすぎないが、これも、人間を変え、わたしを愛するようにさせるためなのだ。

わたしは神の国を支配し、さらに、全宇宙を支配している。わたしは神の国の王であるとともに、全宇宙の主でもある。今から後、わたしは選民でない人々をすべて集め、異邦人の間で働きを始める。そして、わたしの行政を全宇宙に告げ、わたしの働きの次の段階を開始できるようにする。わたしは異邦人の間にわたしの働きを広めるために刑罰を与える。つまり、異邦人である者たちには力を用いるということだ。当然、この働きは、選民たちの間でのわたしの働きと同時に進められる。わたしの民が支配し、地上で力を振るう時はまた、地上のすべての人が征服される日であり、そして、さらに、わたしが憩うときでもある。そして、その時初めて、わたしは征服した人々みなの前に姿を現す。わたしは聖なる国では姿を現し、汚れの地では姿を隠す。征服されわたしに従順となった者はみな、その目でわたしを見ることができ、その耳でわたしの声を聞くことができる。これが終わりの日に生まれた者の恵み、これがわたしの定めた恵みであり、これはどの人間にも変えることができないのだ。今日、わたしは将来の働きのために、このように働きを行っている。わたしの働きはすべて関連していて、その全体は呼びかけとそれへの応えである。どの段階も突然止まることはない。そして、どの段階も他のものと独立して実行されたことがない。そうではないか。過去の働きは、今日の働きの基礎なのではないか。過去の言葉は、今日の言葉の先触れなのではないか。過去の手順は今日の手順の元なのではないか。わたしが正式に巻物を広げる時、全宇宙の人々は罰され、世界中の人々は試練を受ける。それがわたしの働きのクライマックスなのだ。すべての人々は光のない場所に住み、すべての人々は、環境の脅威にさらされながら生きる。つまり、これは、創造の時以来、現在に至るまで、人間が経験したことのない生活であり、全ての時代を通じて、誰一人こうした生活を「享受」した者はいないのだ。だから、わたしは、かつて行われたことのない働きをすると言うのである。これが実際的な状況なのであり、これが内なる意味なのだ。わたしの日がすべての人類に近づいており、それは天の果てにあるのではなく人間の目の前にあるのだから、誰が恐れずにいられよう。そして、誰がこれを喜ばずにいられよう。汚れたバビロンはついに終わりを迎える。人間はま新しい世界を見て、天と地は変わり、新たになった。

わたしがすべての国々とすべての人々の前に現れるとき、白い雲が激しく空に動き、わたしを護る。また、地の鳥たちはわたしを喜んで歌い踊り、地上の空気を生き生きさせる。そうして、地上のすべてのものに活気を与え、もはや「沈鬱に沈む」ことなく、代わりに活力のある雰囲気の中で生きられるようにする。わたしが雲の中にいると、人間はぼんやりとわたしの顔と目を認め、そうした時、少しの恐怖を感じる。昔、人間は伝説でわたしに関する歴史的記録を聞いたことがあるが、その結果、わたしについて半信半疑である。人間には、わたしがどこにいるか、わたしの顔がどれほど大きいか、わからない。それは海ほど広いのか、それとも、緑の野のように際限がないのか。誰一人、そうしたことを知らない。人間が今日、雲の中にわたしの顔を見たときはじめて、伝説のわたしは実在すると感じ、そこで、もう少し、わたしに好感を持つようになる。わたしの行ないがあればこそ、人間のわたしへの崇敬は少しだけ増す。しかし、人間はまだわたしを知らず、雲の中にわたしの一部を見ているだけである。その後、わたしは両腕を伸ばし、人間に見せる。人間は驚き、わたしの手で打ち倒されるのではないかと深く恐れて、口を手で塞ぐ。そこで、わたしへの尊崇の念にすこしばかりの畏れが加わる。人間はわたしのあらゆる動きをじっと見ている。よそ見をしている時にわたしに打ち倒されるのではないかと、深く恐れている。しかし、人間に見られているからといって、わたしは気にせず、手を動かして働きを続ける。わたしの行いすべてによってはじめて、人間はわたしを好意的に見、そうして徐々にわたしの前に来て、わたしと交流するようになる。わたしのすべてが人間に明かされると、人間はわたしの顔を見、それ以後、わたしはもはや自分を隠したり、ぼんやりと見せたりすることをしない。全宇宙で、わたしは公然とすべての人の前に現れ、肉なる者はみな、わたしの行いをすべて見る。霊に属する者は、必ずわたしの家に安らかに住まい、必ずわたしとともにすばらしい恵みを享受する。わたしが大事にする者たちは、必ず刑罰を免れ、霊の痛みと肉の苦しみを免れる。わたしはすべての人の前に公然と現れ、支配し、力を振るう。そうして、死体の臭いがもはや全宇宙に満ちることがなく、代わりに、わたしのさわやかな香気が全世界に広まる。わたしの日が近づいたので、人間は目覚めつつある。地上のすべてが秩序立てられ、地の生き残りの日が終わったのだ。わたしが到着したのだから。

1992年4月6日


一瞬にして起こる破壊

2020-03-20 20:33:04 | 福音を証しするシリーズ

一瞬にして起こる破壊

 

——世の終わりの全能神の福音に反抗した四川省の清平郷はその姿が2度も消えてしまいました

敬畏(四川省)


2008年5月12日に大地震が発生した時、町は完全にその姿を消してしまいました。その消えた町とは四川省綿竹県管轄区域の清平郷です。政府による情報管制により、この事はあまり多くの人には知られていません。

清平郷は綿竹県管轄区域で被害の大きかった漢旺町の北西部に位置していました。地震に襲われる前、山奥にあるその場所は空気がきれいで、透き通った水が流れ、青空が広がり、山はキウイフルーツと銀杏に富んでいました。神はそこの人々にこの豊かさを与えてになり、彼らが生活に必要なもの全てをお備え下さっておられました。しかし、そこで暮らす人々は神を知らず、また神に感謝の意を持つべきであることも知らず、大金ばかりを渇望していたのです。この町は山奥に位置していたため、その景色はとても美しく、空気が新鮮で快適でした。夏の間もエアコンを使用する必要がありませんでした。その町自体が自然の酸素バーであり、それ以上に、気晴らしとリラックスが出来る場所でした。山の住人たちはじみちに田舎のホームステイを立ち上げ、地元の観光産業を築き上げるために沢山の努力を注ぎ込んでいました。そこはまた、職位に問わず政府の官僚たちにとってのレクリエーションと娯楽の場にもなりました。多くの官僚たちは清平郷で官職に就くことを希望し、省のリーダーの多くも頻繁にこの町を訪れていました。皆が知っている通り、政府の官僚たちはどこに行っても、現地のホテル、カラオケバー、ヘルススパ、足マッサージスパ、ヘアサロンの経済成長を促進します。こうして、清平郷は山奥にあったにもかかわらず、そこは保守的な場所というわけでは決してなく、ネオンサインが明るく光り、夜には音楽と歌声が響くといった宴会をするため場所であったのです。中国共産党の官僚たちはこの天国のように美しい場所を現代のソドムへと変えてしまったのです。

全能神が中国本土で世の終わりの働きに着手されて以降、教会の兄弟姉妹たちは福音の伝導活動のために何度もこの山間の町を訪れました。しかし、山の住人たちは裕福な生活を送っており、食べ物や服の心配がなかったので、神を必要と思わず、兄弟姉妹たちが訪れる度に福音を受け入れることを拒否し、兄弟姉妹たちをこう言って叱ることまでありました。「今の生活はすごくいいし、共産党の政策も順調だ。あんたたちはこんな事ばっかり言っているけど、私達はあなたの言うことは信じないよ。私達が信じるのはお金だけだからね!」兄弟姉妹たちは毎回長い道のりを歩いてこの人たちに福音を伝導しようとしましたが、その度に門前払いを受けていたのです。兄弟姉妹たちは、これは世の終わりにおける神の福音であり、御救いいただける唯一のチャンスなのだと伝えましたが、彼らは聞く耳を持ってくれませんでした。兄弟姉妹たちは全能神を信じていない人は全員が災害時に神の御加護を受けることが出来なくなるとも伝えましたが、それさえも無視されてしまいました。清竹郷の住人は全能神の御言葉と御救いを拒否したのです。あの町に全能神を信じる人は1人たりともいなかったのです!

2008年5月12日の午後2時28分に地震が起こったのです。突然、地面が震え、山々が揺れ動き、巨大な岩が山からゴロゴロと音をたてながら転がり落ち、空気は一瞬にして大きな砂ぼこりで充満し、空は薄暗くなり大地は暗くなり、山々があっと言う間に崩壊し消え去ってしまったのです。地方政府庁の所在地が2つの山の谷間のふもとにあったのですが、地震が発生した時にこの2つの山の間の溝が塞がり始めてしまい、瞬く間に清平郷はこのたたみ込んできた山の下で押し潰されてしまったのです。町の住人は全員が埋もれてしまい、2つの山は一瞬にして一体化して1つの山と化したのです!この状況では、町の住人がどれだけお金を持っていようとも、何の役にも立たなかったのです。お金は彼らを救うことが出来ず、中国共産党の官僚たちが彼らを救うことなどなおさら出来なかったのです!神を敬わなかったこの町は一瞬にして破壊されてしまったのです!私はこの壊滅的な災害について考えると、神ヤ―ウェがソドムの町を破壊することを御望みになられた時のことを考えてしまいます。アブラハムは神ヤ―ウェにこう訴えました。「町にもし義なる人が10人いたとしても、あなたはこの街を破壊されるのですか?」神ヤ―ウェは答えました。「私は町は破壊しません。結局、ロトと彼の家族のみが天使の導きの下で脱出することができ、残された人々は全員が天からの大火によって滅びていきました!」(創世記18:20-32および19:1-25参照)神を敬わなかったこの悔悟のない放蕩な町はあの日以来、地球上から消え去りましたが、清平郷に起こったのはこれだけではありませんでした。清平郷が消滅した後、陸軍は救助作業に当っていた将校と兵士たちに、これに関する情報を外部に暴露することを禁止する、彼らの携帯電話の使用は完全に制御される、彼らは自分達の家族に電話をしてはならない、そして情報を漏らす者は軍法に従い罰せられるという通知を即座に発行したのでした。

清平郷の住人で無神論のとりこになっていた人達はこの大震災の後も自分達を見つめ直すことはなく、ましては天の怒りについて考えることなどはありませんでした。彼らは自らの手で美しい家を建て続け、天にでも打ち勝つことが出来るという邪悪な信念を持って天と争い続けたのです!彼らに悔悟は見られませんでした。

震災後は、町全体の全地域において地勢が変形してしまい(多くの山が崩壊、移動または一体化)、町の姿は変わり果てていました。更には、山から流れ出た洪水が全ての道路をふさいでしまいました。こういった理由により、地方政府の上層部は清平郷行政区を地図から削除する決断をしたのです。それにもかかわらず、省の党内委員会のリーダーたちは又しても中身の無いプロジェクト政策のために新たな社会主義の地方予備計画を立ち上げようとし、町を地図から削除することに反対したのです。こうして、躊躇することもなく、政府はこの地域に重点を置いた投資を始め、敵地考察、立地選択、設計および復興に取り掛かかるため、橋梁工学の上級技師と、ProvincialPlanningandDesignInstitute「省開発計画・設計研究所」からも上級技師を呼び寄せました。そして必要な支援施設が全て揃った新しい清平郷が又しても山の中に創立されたのです。町には郷の官庁、病院、学校、住宅街等がありました。全てが一気に施行され、完全に現代化されていました。郷の官僚が個人宅に木を1本植えるのに最大で5万元も支払う必要がありました皆が共産党の政策に感謝して、快適な場所に引っ越せた喜びに浸っていた2009年8月15日のことでした。突然、集中豪雨が降り出し、その激しさが増していったことにより山から地滑りが発生したのです。泥と岩が激しい洪水に飲まれて素早く山を流れ落ち、新しい清平郷の方向に真っすぐ向かって行ったのです。又しても、一瞬にして、新しく創設されたばかりの清平郷の政庁は泥と岩の流れの中で完全に埋もれてしまい、町は又しても壊滅的な災害の被害を受けたのです!又しても、この町は地上から消えてしまったのです。

この出来事は全能神のこの御言葉を正確に現実のものとしていたのです。「或る国や或る民族の人々が神の救いや配慮を得ることができなければ、そうした国や民族は暗黒に向かって、破滅への道を突き進み、神によって滅ぼされるであろう。」「あなたが真のクリスチャンならば、あらゆる国または民族の興亡は、神の意図によって起こるということを必ず信じるであろう。神のみが国または民族の運命を知っており、神のみがこの人類の進むべき道を制御する。人類が良い運命を望むなら、また国家が良い運命を願うなら、人間はひれ伏して神を礼拝し、神の前で悔い改め、罪を告白しなければならない。さもなければ人間の運命と終着点は災難となることは避けられない。」「私たちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている。神の働きを妨害し、神の言葉に抵抗し、神の計画をかき乱し、阻害する者たちは最終的には神に罰せられる。神の働きに逆らう者は地獄に送られる。神の働きに反抗する国家は滅ぼされる。神の働きに反対するために立ち上がる民族は地上から一掃され、消滅する。」(『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より)

この大きな災害は私達に神の義なる御性情を知らせてくれているのです!今回神が肉となられたのは、人々を可能な限り救うためであり、神は災害発生の際には神を誠実に愛する人々、神に助けを請う人々に対して慈悲深くなって下さりますが、神に反抗し悔悟のない人々には神の御怒りを被ることになるでしょう!神はこれに関してこう仰っておられます。「災いはわたしによりもたらされ、もちろんわたしが采配を振るものである。もしあなたがたがわたしの目に良いと映らなければ、災いの苦しみから免れることはないだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より)

次に、四川省綿竹や什邡といった大きな被害を受けた地域出身で、全能神を信仰する兄弟姉妹がどのようにして、「5.12」地震の際に神に御救い頂いたか、およびそれぞれの驚くべき脱出体験と証言を、事実を用いて「神の御言葉は永遠に不変の真実である」ということの証言をしながら紹介していきたいと思います。

1.5月12日、圓滿教会の姉妹小江さんは(被害の大きかった)レイグ山で一人で菜種を叩いていました。地震が起こった時、彼女は地面が動いたのと、山が揺れたのだけを感じたため目眩がしてしまいました。地震が最初に起った時、彼女は熱中症になったのかと思っていました。少しすると、彼女は自分の回りで山々が崩れ、地面が割れ、山が揺れて分かれていったり、またくっついたりしている様子を目にしたのです。すると幅が数メートルもある亀裂ができて、山から岩が彼女に真っすぐ向かって降りかかってきたのです。その時初めて彼女は地震が起きていることに気が付き、次から次へと岩をかわしていきました。彼女は繰り返し神に祈りを捧げて助けを請いました。「ああ神様!今日こそ、あなたが大きな赤い竜を罰される日なのですね。私も内に大きな赤い竜の毒を植え付けられております。私は普段自分の本分を上手く尽くすことが出来ません…もしあなたの御怒りを鎮めて下さるのであれば、私はあなたからどのような罰を受けようとも、あなたに従って行きます。もし私もあの250人のリーダーたちと同じように大地に飲み込まれてしまっても、それにはあなたの善良なる御心が込められているのでしょう…」彼女はこのようにして続けて従順に祈りを捧げ、後に「神が人に対して成さる最後の働き」と題した神の御言葉を歌った讃美歌について考えていると心が穏やかになったのです。すると、シャオジャンは自らの目で神の驚くべき御業を目の当たりにしました。彼女が立っていた山が崩れ、その半分がまるでナイフできれいにスライスされたかのように彼女のちょうど隣に滑り落ちたのです。それに、半分となったシャオジャンが立っていた山は崩れることはなく、彼女は何の怪我も負っていなかったのです。彼女の家族はシャオジャンが働いていた山が崩れたのを遠くから見ており、皆が彼女は死んだと思っていたのです。彼らは彼女は生きて無事に戻ってくるとは思っておらず、無信仰者たちはこう言いました。「あなたは本当にラッキーな人だ!」姉妹小江は泣きじゃくりながら山の上での体験を兄弟姉妹たちに詳しく話しました。多くの人達がこれに感動して、神はとても全能であられ、とても素晴らしいお方であられると感じたのです。

2.自宅を集会場所とする安県教会の兄弟。彼は2007年10月に世の終わりの全能神の働きを受け入れるまでは無信仰者であり、教会では新参者でした。彼は神の働きを受け入れて以来、熱心に真理を求め、受け入れ業務に就いていました。震災時、彼の住む村の建物はほとんどが倒壊し、倒壊しなかったものは危険な状態にあるという状況でしたが、彼の自宅は無事でした。彼の生産チームリーダーはこれをとても不思議に思い、彼にこう聞きました。「あなたの家は倒壊してないけど、この秘密は何なのかね?」この兄弟はこれをとても嬉しく思い、これは神による御気遣いであり、御加護なのだと理解したのです。彼の信仰はさらに強くなり、これからも自分の本分を尽くし、福音を広め続けていくことを願っています。

3.茶坪教会の兄弟赵さん、60歳.5月12日、彼はチャピンから桑枣までバスで移動しました。あの日、バスの中には合計10から20人の乗客がいました。午後2時28分、地震が始まった時、バスは道路がちょうど高山の下を通っていました。いっせいに、地面が震え、山が揺れ動き、岩が雨滴のように山から降ってきたのです。落ちて来る岩が道路の前後を塞ぎ、バスの屋根は上から打ち壊されてしまいました。バスの中は乗客全員が必死になってバスから脱出しようとしたり、走り回りながら天地に助けを求めたりと完全な大混乱となり、その中には天に助けを求める人がいたり、仏陀に助けを求める人もいました…その時、兄弟赵はこう言いました、「あなたたちは間違ったものに助けを求めています。全能神に助けを請わないといけません!」しかし、乗客はバスから脱出して自分の命を助けることしか頭になく、彼の言うことを聞く人は1人もいませんでした。少し経った後、バスの乗客は全員走って逃げて行き、兄弟赵だけがバスの中に残って全能神に助けを求めていました。バスから脱出した人の中には落ちて来た岩によって命を落とす人や、怪我を負う人がいました。怪我を負った人達は全員が兄弟赵は間違いなく命を落としただろうと思っていました。やっと地震が収まった後、兄弟赵はかすり傷を1つも負わずにバスから歩いて出てきたのです。無信仰者たちは皆がびっくり仰天していました。彼らは兄弟赵があの状況からかすり傷を1つも負わずに脱出してきたのは正に奇跡だと思いました。彼らは兄弟赵に奇跡的な脱出が出来た理由について尋ねた後、全員が全能神に従うようになったのです。その数日後、兄弟赵と10~20人の無信仰者は高山のふもとまで歩いて行きました。余震があったため、大きな石が山頂から降り続けてきましたが、道路が長かったため誰もそれ以上先に進もうとはしませんでした。皆が混乱状態に陥り、何をするのが一番最適なのかが誰も分からない中、兄弟赵が大声でこう叫んだのです。「私の言う通りにしてください。天に助けを求めてはいけません。仏陀に助けを求めるのはなおさらいけません。皆さん全能神に助けを請うのです!」そして、ついに全員が兄弟赵の言うとおりに全能神に助けを求め、無事に道路を先に進むことが出来たのです。

4.九龙教会の兄弟譚、37歳。彼と彼の妻は共に信仰者でありましたが、震災当時はさほど熱心に真理を求めていませんでした。5月10日、兄弟譚は塗装工として務めていた(被害の大きかった)漢旺にある東方タービン工場に行きました。彼は一日半しか働いていませんでしたが、ラインの責任者から仕事の内容が基準を満たしていないため帰宅するように言われてしまったのです。兄弟譚はこれにとても腹を立て、5月11日の午後に家に帰りました(震災後、彼は東方タービン工場はひどく倒壊して、死者と負傷者が多く出たことを知りました)。震災は5月12日起こりました。地震発生時、兄弟譚は地元の神殿で働いていたのですが、地震発生の1分前に突然空から飛行機の音がしたので、様子を見に外に飛び出しました。彼が神殿の外に出たとたんに建物が完全に倒壊し、中にいた人達はがれきの下敷きとなり、彼だけが無事で済みました。彼はこの地震を生き残り、神が彼を御救い下さっていたこと、そして彼は神の愛を授かっていたことを知りました。彼は神に心から感謝しており、現在は真理を熱心に求めるようにもなりました。彼には当時5歳の息子がおり、震災当日、この息子は学校にいました。地震が発生した時、彼の息子は階段の下に身を隠し、おでこに軽い怪我を負っただけで済んだのです。兄弟譚の妻も神の御加護と愛を目の当たりにし、真理を求め始めたのです。現在、彼女は教会の集会で新しい信者達の指導をしています。

5.漢旺町の兄弟呉と姉妹蔡(体の片側が麻痺)は共に60歳を超える夫婦で信仰者です。当時、二人は2か月前に神の働きを受け入れたばかりでした。5月12日に地震が発生した時、彼らの住む建物は強く揺れ動き(彼らは5階に住んでいました)、まっすぐ立っていることが出来ませんでした。彼らのベッドはひっくり返って、姉妹蔡は床に落ちてしまいました。動くことが出来なった彼女は床に倒れながら神の御助けを請うことしか出来ませんでした。続いて屋根が崩落してベッドが潰れてしまったのですが、他の床材が1つ落下し、そこにあった椅子に引っかかったので姉妹蔡の頭部の回りにはスペースが出来ました。無傷だった姉妹蔡は、「逃げ道を見つけられるか試してみよう」と考えたのです。そして彼女は床をはって前進し、手でレンガを動かすと、光が見えたので助けを求め始めました。彼女の長男が彼女の声を聞いて物をどかし始め、3時間後に彼女は救助されました。一方の兄弟呉は、地震発生時にはトイレにいました。姉妹蔡が床に落ちて助けを呼ぶ声を聞いた時、彼は彼女の元に駆けつけようとしましたが、トイレのドアに2回も突き当たって後ろに倒れてしまいました。ちょうどその時、天井が崩落し、上から竹のかごが落ちてきたのです。兄弟呉はかごの下に座って30時間もそこに閉じ込められていたのです。心配のあまり冷静さを失ってしまった彼に対して神は静かに待ち続ける信念をお与え下さりました。兄弟呉の息子は兵士たちに父親を救いに来て欲しいと外で声を上げ叫んでいましたが、兵士たちはそれを危険とみなし救助に当ろうとしなかったのです。しかし兄弟呉の息子は父親を助けてくれるよう嘆願し続けた結果、兵士たちは穴を掘って兄弟呉を救出してくれました。彼は足に軽い怪我を負っていただけで済みました。兄弟呉の長男は(被害の大きかった地域にある)東方タービン工場で働いており、ちょうどその日は他の作業員とシフト交換をしたばかりでした。彼はその日は出勤しなかったので災害を免れることが出来たのでした。彼の7歳になる息子は当時、東汽小学校にいて、震災発生後はかすり傷1つ負わずに穴の中をはって抜け出ることが出来ました。神の驚くべき御加護によって、彼らの家族は3世代全員が無事に生き残ったのです。

6.兄弟魏、50歳。彼と彼の妻は共に信仰者でした。兄弟魏は目が不自由で、彼らの自宅はいつも集会の場として使用していました。彼らの自宅はとても古く、2007年7月には州によって住むには危険な家として分類されていました。彼らは改修工事を行うように要請されましたが、貧乏だったため工事を行うことが出来ませんでした。5月12日、兄弟姉妹たちは集会のために彼らの自宅に集まりました。地震が起った時、全員怪我なく外に駆け出し、家も無事でした。これを全く理解出来なかった近所の人達はこう言いました。「頑丈にできている家とアパートが全部倒壊しているのに、何で住むのに危険な彼らの家が倒壊していないんだ?まったく不思議なもんだ!」

7.灌滩教会の兄弟姉妹たち数人は山のふもとに住んでいました。震災が起こった時、山が崩壊し、地面も割れてしまいました。反対側にある山も崩壊してそこにあった家々も倒壊していまいました。これが起きた時、彼らは跪いて神に祈りを捧げ、更には無信仰者たちにも一緒に跪いて祈りを捧げるように頼んだところ、彼らが住んでいた山は崩れませんでした。

8.九龙町の九村村には71歳と68歳になる年配の姉妹が2人います。地震が襲った時、71歳の姉妹李は家で午後の昼寝中でした。彼女の家は倒壊しましたが、彼女のベッドに落ちて来た屋根梁によって溝ができたおかげで、彼女は無傷で助かりました。後に、近所の人たちは彼女を引き出すことが出来ました。一方、68歳の姉妹李は鉱山である人の家の手入れを手伝っていました。地震が発生し彼女の家が倒壊した時、彼女はちょうど家を出たばかりでした。この2人の年配の姉妹たちは山から出るまで無信仰者たちと一緒に2日も歩き続けました。現在、2人とも真理を熱心に求めながら、それぞれの本分を尽くしています。

9.年齢60代の兄弟楊。5月12日の昼食後、兄弟楊の妻と義理の娘は菜種を叩きに出かけました。普段なら、兄弟楊はこの時間帯に昼寝をするのですが、この日、彼はふとあることを思い付いたのです。「皆出かけて行ったのに、自分だけ家にいてもしょうがないか。」こうして彼は急いで畜牛たちに牧草を食べさせに行きました。地震は彼が家を出てすぐに起きましたが、兄弟楊は無事でした。

10.漢旺教会の姉妹韓、39歳。地震が発生した時、姉妹韓は工場の7階で勤務中でした。彼女が床の掃除をしていた時、突然建物が左右に揺れ始め、彼女は地震が起きているのだと冷静に気が付きました。彼女はほうきを投げ捨て、走って階段を下りながら全能神に助けを求めました。彼女と一緒に階段を駆け下りていた女性の無信仰者がいたのですが、彼女は恐怖のあまり階段の途中で命を落としてしまいました。姉妹韓は無傷で助かりました。

11.兄弟譚、85歳、真理を求め集会にも頻繁に参加。震災発生時、彼の自宅は倒壊し、彼はがれきの下敷きになりました。後に、彼は近所の人に救い出され、足に浅い傷を負った以外は無事でした。

12.漢旺教会の姉妹李、年齢60代。地震の起こった日、数人の兄弟姉妹たちは建物の1階にある彼女の自宅で集会を行っていました。建物が揺れだした時、全員はそれを地震だと分かり、部屋の中で跪いて神に祈りを捧げました。しばらくして、家の揺れが収まった後、彼らは走って家の外に出ました。彼らが外に出て見ると、彼女の自宅のある建物と反対側にある建物1軒だけが無事に立っていたのですが、周辺のその他の建物は全て倒壊していたのです。姉妹李はこう言いました。「これは全て神の御気遣いと御加護のおかげです。もし反対側にある建物が倒壊していたら、この2つの建物の間にはたった5メートルの間隔しかないから私達は潰されて死んでいたことでしょう。」

13.綿竹市で世の終わりの神の働きを受け入れたばかりの年配の姉妹。地震が起きた時、彼女は午後の昼寝中でした。他の人の家の壁が崩れ、彼女はびっくりして目を覚まし、枕をすかさず頭の上に当てて走りながらこう叫びました。「全能の神様、私にはあなた以外に頼れるお方はいません。全能の神様、どうか私を御救い下さい!」彼女が家を出たとたんに家の壁が内側に崩壊し、彼女のベッドは潰されてしまいました。

14.東北町教会の兄弟王、70歳、妻の姉妹王、68歳。普段なら、二人は午後の昼寝をしているところでしたが、地震が起きた日の午後は、外から誰かに呼び掛けられているような気がして、心の中でずっと不安と動揺を感じていました。後に、二人は畑仕事に出かけて幸いにも災害を免れましたが、家に帰った時、二人は自分達の家が完全に倒壊しているのを目にしました。

15.七天教会の姉妹酥、60歳。地震が発生した日、彼女の自宅は倒壊しました。これが起った時、彼女は外に逃げ出す時間がなく、がれきの下敷きになってしまいました。しかし、彼女は人のいのちは神の手中にあることを知っていたため、心の中で全能神に助けを求め続けました。数時間後、彼女は怪我を1つなく残骸の中からはい出ることが出来ました。

16.斉天教会のリーダー、兄弟劉、55歳と妻の姉妹周。普段二人は毎日午後に昼寝をして、午後3時が過ぎるまでは起きません。しかし、5月12日、姉妹周は全く眠ることが出来ず、二人は午後1時50分に起きて畑仕事に出掛けました。地震が発生した時、二人の自宅は倒壊してしまいましたが、二人は災害を免れました。

17.斉天教会の兄弟張、70歳。彼と彼の妻は共に信仰者です。地震が発生した時、二人は走って外に出ましたが、庭から外に出る門が固く閉まっていて開けることが出来なかったため、二人は庭の中に留まることを余儀なくされました。地面の揺れや振動により、二人はまっすぐ立っていられずお互いにしがみつきながら全能神に助けを求め続けました。二人の家と周辺を囲む壁は倒壊してしまいましたが、無事に残っていた壁は驚くことに彼らが立っていた場所を囲んでいたのです。

18.七天教会の姉妹厳。彼女の自宅は集会場所となっていました。5月12日、兄弟姉妹たちは彼女の自宅で集会に参加していました。地震が発生した時、全員が全能神に助けを求めながら走って外に出ました。5人いた内、死傷者は一人もいませんでした。

19.名字が3人とも楊という永楽教会の兄弟3人は年齢が3人とも50代、兄と一緒に中庭の回りで暮らしていました。3人の兄弟たちは全能神を信仰していましたが、彼らの兄は未だに3つの贖いの分派を信じていました。地震当日、兄弟3人の家は無傷で、3人の中から死傷者も出ませんでした。ところが、彼らの兄の家は倒壊して、彼自身も重傷を負ってしまいました。

20.永楽教会の兄弟肖59歳と義理の娘の姉妹羅30歳。普段、この家族は全員が午後に昼寝をする習慣がありました。しかし、5月12日の午後、兄弟肖は眠ることが出来なかったので畑に出て殺虫剤を散布する準備をし、姉妹羅も畑に出て雑草を抜く準備をしました。二人が畑に着いた時、ちょうど地震が発生し、彼らの家は倒壊してしまいました。兄弟肖の孫娘は当時10歳で、あの日は学校にいました。彼女がいた校舎は完全に倒壊し、彼女のクラスにいた生徒も全員が押し潰されてしまいました。生き残った生徒は4人のみでした。この内3人は重傷を負い、彼女だけが無事に脱出することが出来ました。全能神がこの家族の3世代全員を御守り下さったのです。

21.尊道教会の兄弟肖、62歳。彼と彼の妻は共に信仰者です。5月12日に地震が発生した時、兄弟肖とその妻は屋敷の壁の隣で働いており、その時突然、南の方向から大きな轟音を聞こえてきました。黄色の煙が真っすぐに舞い上がりましたが、彼らの家は白い煙霧に完全に取り囲まれていました。そして、地面が動き、山々が揺れ、大小の岩が山から続けて彼らの家の両側をめがけて転がり落ち始めたのです。この時、姉妹は、「全能の神様、どうか私を御救い下さい!」と神に助けを求め続けました。兄弟肖もとても心配して、「家の中には教会の書籍がある。私はどうするべきか?もし傷でもついたら、神様にどう説明したらよいだろう?」と考えていました。驚いたことに、岩が次から次へと転がり落ちてきたにもかかわらず、彼らの家には全く傷ができていなかったのです。その翌日、彼らの息子とその嫁が急いで駆けつけて、そこにいるのは危険過ぎるからと言って彼らに家を出ることを薦めました。しかし、兄弟肖はどうしても家を出ようとしませんでした。彼らの息子は他の親戚たちを呼び寄せて彼に家を出るように薦めてもらいましたが、それでも彼は家を出ようとはしませんでした。彼は心の中で「俺は神の不思議な御業と御力をこの目で見たんだ。ここから出て行ったら教会と連絡が取れなくなることも心配だ」と考えていたのです。ついに、彼は息子に、「もう1回ここから出ろと言ったら、自殺するぞ!」、と言った後、続けて「今日神は俺の家を御救い下さったんだ。これは神の御心であるに違いない。俺は兄弟姉妹たちが来るのをここで待つ。ここから出て行ったら兄弟姉妹たちと連絡が取れなくなるんだよ」と言いました。これをうけて彼の息子は、「そうしたらお父さんの様子を毎日教えてくださいよ」と言うこと以外に何も出来ませんでした。そして兄弟肖は、「それなら出来るよ」と返事をしたのでした。

22.尊道教会の名字がそれぞれ謝、陳、李という人たちを含めた合計4人、平均年齢は70歳。5月12日、彼らが集会を開いている最中に地震が発生し、彼らの家が倒壊したため全員が残骸の下に生き埋めになってしまいました。すぐに、2人の姉妹ががれきの中からはい出て来てがれきを見た時にこう言いました、「2人は死んでしまったに違いないわ。」その瞬間、がれきの中から声がしました、「私たちは生きてるわ。全能神に助けを求めているのよ!」2人の姉妹は慌ててレンガをどかして穴を掘り、がれきの中からこの2人を救い出したのです。この4人の内、1人の兄弟のみが目の角に小さく浅い怪我を負いましたが、残りの3人は無傷で済みました。

23.尊道教会の82歳の姉妹。普段彼女は午後2時に昼食をとっていたのですが、5月12日だけは義理の娘の家に行きたかったので午前11時に昼食をとっていました。義理の娘の家に着いたとたん、彼女は何かを感じ取り、心の中でパニックになったのです。彼女は外に出なくてはいけないと感じ続け、心の中でこう考えました。「少し早めにここから出て、息子の菜種の収穫を手伝おうかしら。」彼女が家を出てすぐ、山を途中まで上がっていた時に地震が起き始めたのです。地面が動き、山が揺れ、彼女はすぐさま地面に座りこんで神に助けを求めました、「全能の神様、どうか私を御救い下さい!」大きな岩が山から続けて転がり落ちてきましたが、彼女はかすり傷すら負いませんでした。ところが、彼女の無信仰者である義理の娘は自宅で生き埋めになり命を落としました。

24.城关教会の姉妹張72歳は建物の5階に住んでいました。あの日の地震は急な出来事すぎたため、彼女は外に逃げる時間がないと思い、跪いて全能神にこう祈りを捧げました。「ああ、全能の神様。あなたは私に息といのちをお与え下さりました。私は今になってあなたの義なる御性情が分かりました!」後に、姉妹張は、周辺の建物全てが一瞬にして倒壊していき、自分の住んでいた建物のみが空地の中で立ち残こり揺れている様子をその目で目撃したのです。祈りを捧げてからすぐ、彼女は建物の揺れがおさまったのを感じ、急いで外に駆けだしました。彼女が外に出たとたんに、彼女の住んでいた建物全体が崩れ落ちたのです。姉妹張は元々彼女の孫息子は間違いなく学校で生き埋めになって死んでいるものと思っていましたが、彼はあの日学校には行っておらず、災難も免れていたことを後に知ったのでした。彼女が彼らの家の着くと、皆が抱き合って涙を流し、全能神に御救いいただいたことを感謝しました。

25.兄弟張は馬尾教会のリーダーでした。5月12日の午後2時25分、彼の無信仰者である祖父が兄弟張の家で兄弟姉妹たちが会話をしているのを見て腹を立て、それを受け入れられなかった彼は自分のひ孫を兄弟張に手渡し、自分の部屋に昼寝をしに行ってしまいました。地震が起こった時、彼はその場で圧死してしまいましたが、兄弟張、その妻、そして彼らの子供達は全能神に助けを求め、無事に脱出することが出来ました。その時、姉妹ビーと姉妹周は家の中で全能神に助けを求め続けた結果、神の御加護を授かりました。家はとても激しく揺れていたため、この姉妹の内1人が転んで足をぶつけてしまい、そこが腫れてしまいましたが、4日後には完治していました。

26.方泉教会の姉妹方、45歳。5月12日、彼女は家が倒壊した時、がれきの下に埋もれてしまいました。彼女はがれきの下にいる間、神にこう祈りを捧げました。「ああ、全能の神様。私が何を手にするかはあなた次第であり、あなたの御計画通りなのですね!」この時、彼女の旦那は自宅にはいませんでした。その後、彼は帰宅して自分の家が倒壊しているのを見て、妻の名前を呼び始めました。彼女は残骸の中から返事をして、旦那に救助されました。彼女はかすり傷すら負っていませんでした。

27.東北町教会の姉妹徐、38歳。彼女は集会で新しい信仰者たちを指導する本分を尽くしていました。5月12日、彼女は集会に呼ばれていましたが、集会には行かずにこう考えました。「今日は田植えをしに行こう。でも明日は集会に行って新しい教会のメンバーたちを指導しないといけないわ。」地震が起きた時、彼女は寝ていたので揺られて目を覚ましました。彼女は最初、地震が起っていると同時に神の日が到来したのだと思い、外に駆けだして神の助けを請いました。彼女がリビングに走り込んだとたんに寝室が倒壊しました。彼女が前に走って行くにつれて後ろの部屋と壁が倒壊していき、正門から走り出たとたんに、彼女の家と中庭の壁が全て倒壊していったのです。彼女の自宅にあった物は全て粉々になってしまいましたが、彼女自身は無事でした。

28.姉妹陳、65歳、東北町教会のリーダー。5月12日、彼女と彼女の次男は一緒にレストランで昼食を食べていました。彼女の息子は食べ終えた後、家に昼寝をしようと家に帰りました。地震が起きた時、家の大梁が2本落下してきて、偶然にも彼のベッドの両サイドに倒れ込み、ベッドの各側がそれぞれ梁を1つずつ支え上げた状態となり、上から落下してくる物を受け止めていたのです。更に、中庭の壁同様、家の壁が2つ外側に倒れてしまいましたが、彼女の息子は怪我をしませんでした。後に、姉妹陳の息子はこう言いました。「お母さん、お母さんが熱心に神の信仰をしているおかげで、僕は神の御恵みと御加護を受けることが出来たよ。」彼女の息子にも4歳になる娘がいました。地震の起きた日の午後、彼女は突然泣き出して学校に行こうとせず、お母さんと一緒にいたいと言いました。地震発生中、この子の通う学校(五福小学校)は倒壊してしまいましたが、彼の娘だけが無傷で済んだのです。これを機に、姉妹陳の義理の娘も神の信仰を始めました。

29.東北町教会の姉妹赵、73歳。5月12日の午後2時過ぎ、姉妹赵は昼食を終えて食器を洗っていました。洗う食器があと3つ残っていた時、彼女はどういう訳かとても疲れて凄く睡眠をとりたくなったのです。(普段彼女は午後に昼寝をする習慣はありませんでした。)彼女はこう考えました。「外に行って孫息子に昼寝をするって伝えてこなきゃいけないわね。じゃないとあの子は私の居場所が分からなくなるわ。」偶然にも、姉妹赵が外に出たとたんに彼女の家は倒壊したのです。

30.土門教会の兄弟朱。彼は5月12日に集会へと足を運びました。集会後、彼は自宅に戻り、家の入口を押し開けようとしていたその時、目の前から誰かに全力で押し戻されたような感じを受けました。彼は後方に何歩もよろめき、ちょうど後ろに下がった時に入口が崩れ、コンクリートの石板と彼の冷蔵庫がその上に落下してきたのです(これは2階建ての家で起きました)。彼は、もし家の中にいれば命を落としていたか重傷を負っていたと思い、これは神の御加護であったということを知ったのです。あの日集会に参加していた人たちの中で死傷者は一人も出ませんでした。

31.土門教会の兄弟王。地震が発生する前、彼はCDを取りに行ったのですが、彼がCDを手に取ってすぐに地震が彼の家を破壊して彼を中に生き埋めにしたのです。ある姉妹が彼の名前を呼ぶと、彼はこう返事をしました。「私は全能の神様に祈りを捧げています!」姉妹と他の人たちは彼をそこから救い出し、彼は耳の浅い怪我と右手の軽い骨折を負っただけで済みました。1か月後、彼は元どりに回復していました。

32.土門教会の兄弟古、70歳。彼と彼の妻は共に信仰者です。普段、彼らは自分達の業務を終えて午後2時が過ぎてから昼食を取っていました。5月12日、彼らが菜種のずだ袋を運び終えた後、兄弟古は妻に少し早めに昼食を作るように頼みました。昼食を食べ終えた後、二人は畑作業をしに出かけたため、地震が起きた時は二人共無事でした。現在、彼らは共に強い信仰心を持って彼らの本分を尽くしています。

33.姉妹劉は綿竹市にあるビルの6階に住んでいました。彼女の自宅は集会の場として使用されており、震災の起こった日に彼女のビルは倒壊してしまいましたが、彼女は怪我を負わず、家に置いてあった書籍も全く無傷な状態で済みました。

34.尊道教会の姉妹李、46歳。彼女の自宅は4つ教会の書籍、小型のCDプレーヤーとCDを保管する場所として使用されていました。普段、姉妹李は毎日午後に昼寝をしていました。しかし、5月12日の午後、彼女は心の中でこう考えていました。「今日から送られてきた書籍を教会別に分けておく必要があるわね。そうしたら姉妹たちが取りに来た時に時間がかからなくて済むわ。」こうして、あの日の午後、彼女は午後の昼寝はせず、地震が起こった時に彼女は外に駆け出し、そしてその時に彼女の自宅は倒壊したのでした。教会の書籍が入った箱1つだけが無傷で、その他に彼女の家にあった箱は1つ残らず潰れていました。彼女はこの箱をがれきの下から掘り出して見ると、4つのCDプレーヤー、CDそして書籍にはほこり1つ付いておらず、全てが完璧な状態で残されていたのです。

35.興隆教会の姉妹叶、46歳。地震が発生した時、彼女は孫娘を抱えながら外に掛け出ました。外に出た後、彼女は自分の家と中庭の壁が全て倒壊するのを目の当たりにしました。しかし驚いたことに、彼女の家族が持っていた豚小屋はいつも壊れかけの状態にあったにもかかわらず、彼女が聖書をそこに保管しており、全能神に聖書を御守り下さるようにと絶えず祈りを捧げていたため、豚小屋は期待通りに倒壊を免れたのです。

36.地震発生時、教会のリーダーである兄弟李は集会に参加しに行きましたが、怪我を負うことはなく、自宅が倒壊しただけで済みました。驚いたことに、彼が教会の書籍とCDプレーヤーを保管していた部屋の壁は全て外側に倒れたため、部屋の中にあった物は全てそのままの状態で傷がつくこともありませんでした。

37.姉妹劉、60歳。彼女の自宅は教会の書籍を保管する場所として使用されていました。震災後、彼女の自宅はほとんど倒壊してしまい、水浸しとなってしまいました。書籍が入れられていた食器戸棚の上部の屋根瓦だけが落ちずに済み、書籍は完全に乾いた状態で保たれていました。

38.無信仰者である李という名字の女性40歳は以前姉妹呉から福音を聞かされていましたが、それを受け入れてはいませんでした。5月12日、李さんは母親宅で田植えをしていました。地震が発生した時、彼女は足が押し潰されてしまい、開放損傷を負ってしまいました。しかし奇妙なことに、彼女は傷口からの出血がなく、後ほど薬の助け無しに自力で回復を遂げたのです。その後、彼女は積極的に姉妹呉を探して自分も神を信じられるようになるかと尋ねたのです。彼女は後に、自分の母親、弟とその妻に福音を伝導し、その全員がそれを受け入れてくれたのです。彼女は神を心から信じたくなったと口にしていました。

39.尊道教会の袁という名字の姉妹40歳。彼女は普段真理を求めずにレストランで働いていました。彼女を含めた4人がレストランで働いており、残りの3人は無信仰者でした。ユアンは毎日午後に昼寝をしていましたが、5月12日は3人の無信仰者たちに食器を洗いに行くように頼まれました。ユアンが食器を洗い終わった時は既に午後の2時で、昼寝をする時間はもうありませんでした。ユアンが腰を下ろしたとたんに地震が発生し、彼女は走って外に逃げ出しましたが、残りの3人の従業員は全員が押し潰されて命を落としてしまいました。

上述したのは神の素晴らしい御加護を受けて大震災を生き延びた人たちの実例です。しかし、神の働きを受け入れた後に神の元を離れて神の御気を害してしまった人もおり、この人たちは皆、神の御気遣いと御加護を失ってしまいました。

1.睢水教会の名字がデンという女性54歳。震災が起る前、彼女はもう2週間も集会に参加していませんでした。彼女の兄弟と姉妹が彼女を探しにきた時、彼女はこう言いました。「お金を十分稼げるようになったら心から神を信じますよ。」5月12日、彼女は依然として集会に顔を出していませんでした。地震が発生した時、彼女は山でまきを割っていましたが、押し潰されて命を落としてしまいました。

2.城关教会の名字がヂャオという女性60歳、名字がチェンという男性60歳とその妻で名字がチョウという女性59歳。彼らは世俗的なものに強くこだわっていたため、去年の4月に教会を止めてしまい、全能神を信仰し続けることは望んでいませんでした。彼らの兄弟姉妹たちは幾度に渡って彼らを支持しようとしましたが、彼らはそれでも教会に戻ろうとはしませんでした。震災が起こった時、彼らの自宅は倒壊し、彼らは押し潰されて命を落としてしまいました。

3.城关教会の名字がレンという女性60歳。彼女は新しい働きを受け入れた後、いつも疑問を抱き、不安定な状態にありました。その後、世俗的な物を手放したくなかった彼女は集会に全く参加しなくなってしまいました。2008年4月、彼女は山の上で仕事を見つけましたが、5月12日に地震が起こった際に押し潰されて命を落としてしまいました。

4.尊道教会の名字がディンという女性。彼女は彼女の旦那と同様に信仰者でしたが、神を完全には信じることは出来ずにいました。地震が起こる前、彼女は足を骨折し、旦那にこう言いました。「私達は共に神を信じているのに、なんで私が足を骨折するはめになるの?すると旦那はこう言いました。「お前は神のことを本当には信じていないじゃないか。」その後、彼女は自己認識を出来ていなかっただけでなく、それどころか神に対する観念が悪化していったのです。震災の起きた5月12日、彼女の自宅は倒壊し、彼女は押し潰されて死んでしまったのですが、彼女の旦那は無傷だったのです。彼女の旦那は自分の妻の死に関して不平をこぼさずにこう言いました。「彼女は神を本当には信じていなかったんだから、神が成されたことが間違いであるはずがない。」

5.ダヤン教会の福音助祭で名字がヂャオという男性54歳。彼は2005年12月に新しい働きを受け入れました。彼は福音助祭として務めた間、何の結果を上げることも出来ませんでした。教会のリーダーが彼に出掛けて福音の伝導をするように要請すると、彼はいつも言い訳ばかりして、自分の肉を考慮し協力することを渋りました。地震が発生した5月12日、山から転がり落ちてきた岩がオートバイに衝突しました。オートバイ内部のバネが飛び出してきて偶然にもヂャオの目に当たり、彼は失明してしまったのです。これを見た兄弟姉妹たちは怖くなって自分たちの肉を考慮することを止めました。その代わりに、彼らは福音の伝導活動に精を出していくことを望んだのでした。

6.ユアンメン教会の50代の信仰者は2006年に新しい働きを受け入れましたが、彼女は名目だけの信仰者でした。彼女は真理を求めることも、神の御言葉を読むことも、自分の本分を尽くすことも決してありませんでした。彼女の旦那は彼女にこう言いました。「俺たちはもう長い間神を信仰してきているけど、何の本分も尽くせていないなあ。教会に500元寄付したらどうだろう?」すると彼女はこう言いました。「私が苦労して稼いだお金を寄付するですって?そんなの絶対嫌よ!」彼女の旦那は彼女に耳を傾けずにお金を寄付しました。これを知った彼女は旦那をきつく叱りました。震災は彼女の家を粉々にしてしまい、彼女は壁から降ってきたレンガがまともに当たり失明してしまいました。

7.ユアンメン教会の名字がジャオという60歳の男性。彼は2007年に新しい働きを受け入れましたが、彼は名目だけの信仰者でした。彼は性格がとても悪く、神に反抗もし、彼の妻が本分を尽くすのを邪魔して彼女のCDプレーヤーを潰し壊してしまったのです。震災が起こった時、彼の自宅は倒壊し、彼は押し潰されて命を落としてしまいました。

今現在、真の道を探っている兄弟姉妹の皆さん、これらの事実を受けても、私たちが歩むべき道を選択する方法は依然として不明なのでしょうか?「災いはわたしによりもたらされ、もちろんわたしが采配を振るものである。もしあなたがたがわたしの目に良いと映らなければ、災いの苦しみから免れることはないだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より)これが神の御性質なのです!

2012年の末、中国共産党は又しても全能神の教会に対する抑圧と非情な迫害を強化しました。彼らは野蛮なまでに全能神の働きに反抗し、福音を伝導する兄弟姉妹たちをあちこちで逮捕したのです。彼らが兄弟姉妹たちを拘束した後、彼らはこう言って脅したのです。「神を信じる者がいたら、その者の子供たちは次の3世代に渡ってこれに巻き込まれることになるんだ。子供たちが学校に通うこと、党員になること、軍隊に参加すること、仕事に就くことに悪影響を及ぼすことになるんだぞ!」しかしながら、私たちは災害発生時には全能神を信仰する兄弟姉妹たち自身が神に御加護を受けられるだけでなく、彼らの家族までもが(神に抵抗せずに、それぞれの家族の信念を支持してさえいれば)災害の中で神の御加護を受けられるということを目の当たりにしてきた上に、家族全員が3世代に渡って神に御救い頂いている実例も数多く存在しているのです!その一方で、共産党員や官僚たちは震災発生時に自分自身を救うことすら出来ないのです。その者たちが一体誰を救えると言うのでしょうか?私は、これらの決定的かつ反論し得ない事実は、あなたが慎重に検討し、考慮する理由となるともの信じています。どうぞ正しい道をお選びください!


神の愛は最も真なるものであります

2020-03-15 23:49:25 | 福音を証しするシリーズ

神の愛は最も真なるものであります

2017-11-18700

2012年7月21日の夜、珍しことにここで大きな洪水が発生しました。私は神のことを知りたがっている皆さんに対して自分がその時実際に体験し、目撃したことを話したいと思います。

あの日、私と私の旦那は私の姉のために飼料の製作場で作業をしました。夜になると、激しい雨が降り続け、私達はかなり早い時間帯に床に就きました。午前3時45分、私の義理の兄が電話をかけてきてこう言いました。「貯水池が開かれるぞ!何もかもが水浸しになってしまう!早く起きるんだ!」 これを聞いて私はびっくりしてしまい、心の中では、「ああ、神様!ああ、神様!」としか神に向って叫ぶことしか出来ませんでした。私は電動スクーターに加え、讃美歌と説教を聞くのに使うMP5プレーヤーとTFカードを守ることしか考えられませんでした。私は大きな心配を胸に抱えながら物置に行って、電動スクーターをそこから押し出し、家に帰って自分の聖書の無事を確認するために、そして義理の母親と自分の子供達のことを心配しながら運転し始めました。高速道路まで乗り付けると、私は豪雨の中で視界が悪かったため、激流に流されてきたアスファルトの断片にぶつかってしまい、スクーターごと水の中に転がり落ちてしまいました。私は心の中で祈りました、「ああ、神様、今日私が押し流されてしまうのであれば、それはあなたの義なる御行為でございますが、御救いいただけるのであれば、今後は誠心誠意をもって自分の本分を尽くします!」この時点で、私の片方の靴は流されてしまっていたので、私は高速道路を使うことにしました。しかし、私は前に進んで見てびっくりしました。道路の端がフェンスで塞がれていて、通ることが出来なかったのです。私は又しても水の中に入ってしまい、もう片方の靴も流されてしまいました。この時、水は私の太ももの高さまで上がってきており、結局私は3回も引き返すことを余儀なくされましたが、心の中ではこの間ずっと祈り続けていました。この瞬間、他の養豚場の1つから3人家族が現れ、私はそれを心から神に感謝しました。私が彼らと合流して、また高速道路に乗る準備をしていた時、私の旦那がそこに姿を現したのです。旦那がドリルシャンクを使って金網に穴を開けてくれた後、私は他の人よりも先に裸足でその中を飛びぬけて高速道路に足を踏み入れました。南側は川が曲がってそこから北に向って流れており、北側は主要道路が南に向かって流れる水で覆われていたので、その丁度その真ん中にいた私達は高速道路を使う以外に選択肢がありませんでした。

高速道路に乗り出して下に目をやったとたん、私の足から力が抜けてしまいました。私達の住んでいた場所からすぐ近くには製鉄所があり、私達の家と製鉄所を囲む壁は幅が2メートルかそれ以上の小道で仕切られていたのです。壁の内側の水は深さが1メートル以上になっており、製鉄所内にある色付きの鉄製タイルを施した建物も水に浮かんでいたのです。私は又、神に祈りを捧げました。「ああ神様、私を御救い下さってありがとうございます。私は富を手にしようと欲張っていたがために、神の御言葉を聞かずに頑固に振る舞っていました。私は過ちを犯してしまいました!」もし水が北側から噴き出していたら、午前2時過ぎ頃には私達を押し流していたことでしょう。しかし、水は南側にある壁の下部から噴き出したのでその下にある養豚場を沈没させていたのです。今回、私は神の全能さを間違いなく目の当たりにしたのです。神を信じていれば、災害ですら脇へ退くのです。

私達は高速道路上のトンネルの中で3時間ほど過ごしてから家路につきました。家に帰ってから食品袋を開けてみると、奇跡的にMP5プレーヤーもTFカードも濡れていなかったのです。私の電動スクーターが水の中に入っていった時にはこれらも一緒に水の中に漬かっていたのです。スクーターの電源も他の物と一緒に濡れていたのですが、私のMP5プレーヤーとTFカードだけが無事だったのです。私は神の奇跡的な御業を目の当たりにしたのです。

私は飼料の製作場に戻った時、そこで目にしたものに驚きました。その中は昨晩降った雨だけが残っており、水はそれほど入り込んでいなかったのです。前方にあったトウモロコシと奥の方にあったトウモロコシに水がかかっていただけで、地面は大して濡れていなかったのです。神が飼料の製作場を御守り下さったのです。

この洪水を通じて、私の心はとても穏やかになり、私は最も重要なことに気が付きました。人はよくお金が全てだとは言いますが、災害に襲われた時にお金は助けてくれないのです。神こそが私の真の主なる方であられるのです。私はこれ以上お金を追い求めるのはやめ、飼料の製作を手放して伝導業務に打ち込むことにしました。あの日、私は自分の叔母、母、そして義理の姉に福音と説きに行きました。彼らは私の実体験を耳にして受け入れてくれたのです。以前私は、神を信仰していたことを理由に母と義理の姉からひどい扱いを受けていました。4年間福音を説き続けても信じようとしてくれなかったのです。この瞬間、私はより明確に神の全能さを目にすることが出来たのです。以前、私は旦那からも酷い扱いを受けていましたが、彼はもうそんなことはしなくなり、私は彼に福音を説いています。以前、私は福音を説こうとしていませんでした。それについて喋ろうともしていませんでした。しかしこの体験を踏まえて、尻込みをすることはもう止めました。私は精一杯努力して自分体験をもとに神の証言をしていきます。災害の試練の中で神の御救いと神の最も真なる本当の愛を目の当たりにし、それを授かった今、私は神の証言をせずにはいられなくなったのです。

穏重(北京)

2012年8月11日