神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

信者はどのように神の声を区別し、それが真理の道であると確認するべきか。

2019-11-18 11:26:48 | 讃美歌

信者はどのように神の声を区別し、それが真理の道であると確認するべきか。

2017-11-17 

神の御言葉による答え:

人の姿になった神の言葉は新しい時代を開始し、人類全体を導き、奥義を明らかにし、人に新しい時代に向かう方向を示す。人が獲得する啓示は単純な実践、あるいは認識にすぎず、人類全体を新しい時代に導くことはできないし、神自身の奥義を明らかにすることもできない。神は結局神であり、人は人である。神は神の本質を持っており、人は人の本質を持っている。

『言葉は肉において現れる』の「序文」より

恵みの時代、イエスもまた多くを語り、多くの業を為した。イエスはイザヤとはどう違っていたのだろうか。イエスはダニエルとどこが違っていたのか。イエスは預言者だったのだろうか?何故彼はキリストだと言われるのだろう。彼らの間の違いとは何であろう。彼らは皆言葉を語ったが、彼らの言葉は、人間にはだいたい同じもののように思われた。彼らは皆語り、働きを行った。旧約の預言者は預言し、同様にイエスもそれができた。なぜそうなのか。ここでの違いは、働きの性質による。このことを識別するには、肉の性質を考慮することはできない。また、語られた言葉の表面的な深さ浅さを考察すべきではない。いつもまず、イエスの働きと、その働きが人間の内にもたらした成果を第一に考えなければいけない。当時イザヤによって告げられた預言は、人間にいのちを与えなかった。また、ダニエルのような人々の受け取った言葉は単なる預言であって、いのちの道ではなかった。ヤーウェの直接の啓示がなければ、誰一人その仕事ができなかっただろう。何故ならそれはただの人間には不可能なことだからだ。イエスもまた、多くを語ったが、その言葉はいのちの道で、そこから人間は実践の道を見出すことができた。つまり、第一に、イエスは人間にいのちを与えることができた。何故ならイエスはいのちだからだ。第二に、イエスは人間の逸脱したところを正常に戻すことができた。第三に、イエスの業はヤーウェの業をひき継ぎ、その時代を進めるものだった。第四に、イエスは人間の内なる必要を把握し、何が人間に欠けているのかを理解できた。最後に、イエスは古い時代を終わらせて、新しい時代を招き入れることができた。だから、彼は神、そしてキリストと呼ばれたのだ。イエスはイザヤだけではなく、他のすべての預言者とも異なっていた。比較のため、イザヤを例に預言者たちの働きをみてみよう。第一に、イザヤは人間にいのちを与えることができなかった。第二に、彼には新たな時代の先駆けとなることができなかった。イザヤはヤーウェに導かれて働いたのであって、新たな時代の到来を告げるためではなかった。第三に、彼の語ったことは、彼自身にも理解できないことだった。彼は神の霊から直接啓示を受けていたのだが、他の人々はそれを聞いても理解できなかった。これらの点をみただけでも、イザヤの言葉は預言にすぎなかったこと、ヤーウェのために行った働きの要素の一つでしかなかったことがわかる。しかしながら、イザヤは完全にヤーウェの代理となることはできなかった。彼はヤーウェのしもべで、ヤーウェの働きの道具であった。イザヤはただ律法の時代にヤーウェの働きの範囲内で働いていただけだ。イザヤは律法の時代以外では働かなかった。それに対して、イエスの働きは異なっていた。イエスはヤーウェの働きの範囲を超えていた。イエスは受肉した神として働き、すべての人間を贖うために十字架につけられた。つまり、イエスはヤーウェの行った働きの範囲外で新たな働きを行ったのだ。それが新たな時代を招き入れたということだ。もう一つの点は、イエスは人間には達成することが不可能なことについて語ることができた。イエスの働きは神の救いの働きの計画に属するもので、全人類に関わるものだった。イエスはほんの数人のために働きかけたのではないし、その働きは限られた数の人間を導くものでもなかった。神がどのように受肉して人間になったか、聖霊が当時どのように啓示を与え、聖霊が働きを為すためにどのように人間の上に降臨したのか。こうしたことは人間には見ることも触れることもできないことだった。これらの事実が、イエスが受肉した神であるという証拠になることは、まったくありえない。だから、人間にも具体的に理解できる神の言葉と働きにおいてのみ、判断できるのだ。これだけが現実的だ。何故なら、霊のことはあなたの目には見えず、神自身にだけはっきり知られているものだからであり、受肉した神でさえ、すべてを知っているわけではないのだ。イエスが神であるかどうかは、その働きによって確かめられるだけだ。その働きを見ると、まず、イエスは新たな時代を開いた。第二に、イエスは人間にいのちを与え、行くべき道を示すことができた。イエス自身が神であることを証拠立てるにはこれで充分なのだ。少なくとも、イエスの行う業は神の霊を完全に表している。そうした働きから、神の霊がイエスの内にいることがわかるのだ。受肉した神の行った業は、主に新たな時代の到来を告げ、新たな働きを先導し、新たな状況を開くことであったが、これらのいくつかの条件だけでも、イエス自身が神であることを実証するのに充分である。つまり、これがイエスがイザヤやダニエル、他の偉大な預言者たちとの違いである。

『言葉は肉において現れる』の「受肉した神の職分と人間の本分の違い」より

あなた方は神の働きと人の働きの区別の仕方を知らなければならない。あなたは人の働きから何を見ることができるか。人の働きの中には人の経験による要素がたくさんある。人が表すものは現在のその人そのものである。神自身の働きも現在の神そのものを表すが、現在の神は現在の人とは異なる。現在の人は人の経験や人生を表し(人生やその人が持つ人生哲学において人が経験したり、遭遇したりするもの)、異なる環境に住む人々は異なる存在を表す。あなたに社会的経験があるか否か、あなたが家族の中で実際どのように生活し、経験しているかはあなたが表すものの中に見ることができるが、あなたは肉となった神の働きから神に社会的経験があるか否か見ることはできない。神は人の本質を十分承知しており、あらゆる種類の人々に関連するあらゆる種類の行為を明らかにすることができる。神は人間の堕落した性質や反抗的行動を明らかにするのはなおさら得意である。神は世俗的な人々の中には住まわないが、人間の本性や世俗的人々の堕落のすべてを承知している。これこそが神である。神は世間を取り扱わないが、世間を取り扱う規則は知っている。なぜなら人間の本性を十分に理解しているからである。神は人の目では見ることのできず、人の耳では聞くことのできない聖霊の働きについて、現在のものも、過去のものも知っている。これには、人生哲学ではない知恵や、人々が推測するのは難しいと思う奇跡も含まれている。これが、人々に明らかにされており、また隠されてもいる神そのものである。神が表すものは、特別な人のことではなく、聖霊に本来備わっている特質と存在である。神は世界中を巡回しないが世界のすべてを知っている。神は知識も洞察力もない「類人猿」と接触するが、知識よりも高く、偉人を超えた言葉を述べる。神は、人間性を持たず、人間の慣習や生活を理解しない鈍感で頭の鈍い人々の集団の中で暮らすが、人類に通常の人間性のままに生きるよう要求し、同時に人類の卑劣で粗野な人間性を明らかにする。このすべてが、どの生身の人間そのものよりも高い神そのものである。神は、なさなければならない仕事をし、堕落した人間の本質を完全に明らかにするために、複雑で、扱いにくく、浅ましい社会生活を経験する必要はない。浅ましい社会生活は、神の肉を啓発しない。神の働きと言葉は人の不従順を明らかにするだけで、人に世界と取り組むための経験や教訓を与えはしない。神が人にいのちを与えるとき、社会や人の家族を調べる必要はない。人を暴き、裁くことは神の肉の経験の表現ではない。それは人の不従順を長いこと知り、人類の堕落を忌み嫌ったあと、人の不義を明らかにすることである。神が行う働きはすべて、神の性質を人に明らかにし、神の存在を表すことである。この働きができるのは神のみであり、生身の人が達成できることではない。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人の働き」より

 

朗読 神の言葉 「神の国の時代は言葉の時代」(抜粋)その1

2019-11-17 11:21:50 | 讃美歌

朗読 神の言葉 「神の国の時代は言葉の時代」(抜粋)その1

全能神はいわれます。「神の国の時代に神は言葉を使い、新たな時代の到来を知らせ、神の働きの方法を変え、その時代全体の働きを行なう。これが言葉の時代において神が働く原則である。神は異なる視点から語るために肉となり、肉に現れる言葉である神、神の知恵と驚くべき素晴らしさを人間が本当に見ることができるようにした。このような働きは、人間を征服し、人間を完全にし、人間を淘汰する目的をよりよく達成するために行なわれる。これが言葉の時代において働くために言葉を使うことの真の意味である。言葉をとおして、神の働き、神の性質、人間の本質、人間が何に入っていくべきかを人間は知るようになる。言葉をとおして、言葉の時代に神が行ないたい働きはその全体が結実される。言葉をとおして、人間は明らかにされ、淘汰され、試される。人間は言葉を見、言葉を聞き、言葉の存在に気づいた。その結果、人間は神の存在、神の全能性と知恵、また神の人間への愛と人間を救う願望を信じる。『言葉』という語句は単純でごく普通であるが、受肉した神の口から出る言葉は宇宙全体を揺るがせる。それは人間の心、観念、古い性質、世界全体が以前にはどのように表れていたかを変革する。時代をとおして、今日の神だけがこのような働き方をし、今日の神だけがそのように語り、そのように人間を救いに来る。それ以降は、人間は言葉の導きの下に生き、言葉により牧され、施しを受ける。全人類は言葉の世界に、神の言葉の呪いと祝福の内に生きるようになった。そして言葉の裁きと刑罰との下に生きるようになったさらに多くの人間がいる。これらの言葉とこの働きはすべて人間の救いのため、神の旨を成就するため、過去の創造における世界の元来の状況を変えるためである。神は言葉をもって世界を創造し、宇宙の人間を言葉をもって導き、言葉をもって征服し救う。ついに、神は言葉を使って古い世界全体を終わらせる。そのときはじめて、経営(救いの)計画がくまなく完了する。神の国の時代をとおして神は言葉を使って働きを行ない、働きの成果を達成する。神は不思議や奇跡は行なわない。神はただ言葉をとおして働きを行なうにすぎない。言葉ゆえに人間は養われ、施しを受ける。言葉ゆえに人間は認識と真の経験を得る。言葉の時代の人間は真に格別の祝福を受けた。肉体的苦痛に苦しまず、ただ神の言葉の豊かな施しを享受する。探し求めたり、旅をしたりするために出かけていく必要もなく、安穏の只中にいるままで人間は神の出現を見、神がその口で話すのを聞き、神の施しを受け、神が自らその働きを行なうのを見る。これは過去の時代の人間には享受できなかったことであり、彼らが決して受けることができなかった祝福である。」

『言葉は肉において現れる』より

 

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ゴスペル音楽 ワーシップソング 「神の国での新しい生活のために賛美しよう」

2019-11-15 14:41:25 | 讃美歌

ゴスペル音楽 ワーシップソング 「神の国での新しい生活のために賛美しよう」
私たちは神様の御声を聞き
神の家に帰ってきた
私たちは集まって御言葉を食べ飲みし
祝宴に参加する
私たちは、悲しみや混乱に別れを告げ新しい人生を送る
日々御言葉が共にあり
それをいっぱいに浴びる
真理についての交わりで心を開き
私たちの心はとても明るくなる
私たちは御言葉を黙想して
聖霊が私たちを啓く
私たちの障壁や偏見は取り除かれ私たちは神様の愛の中に住む
私たちは真理を理解し自由にされ心は蜜のように甘い
私たちは愛し合い、互いに距離はない
私たちは神様の心を理解しもはや消極的ではない
御言葉の中に生き
私たちは神の麗しさを見る
私たちは人生で光の道を歩んだがこれはすべて神様の導き
私たちは神様への賛美を大声で歌い
踊りまた踊る
私たちは神の国での新しい生活を賛美し
心は真に幸せ
私たちを救ったのは神様で
私たちは神様の民になった
神様の御座の前に引き上げられることは
比類なき楽しさ
御言葉はとても貴く、そのすべてが真理
御言葉の裁きを受け入れて
私たちの堕落が完全に暴かれた
傲慢な性質により
私たちは実に理性に欠けている
御言葉が私たちを刈り込み取り扱い自己を知るようになった
私たち顧み、自己を理解し、真に悔い改める
裁きと刑罰を通して
私たちの堕落は清められる
私たちは堕落した性質を捨て去り
新しい人間になる
私たちは合格できるように本分を尽くし神様の愛に報いる
私たちはそれぞれなすべきことをして神様に忠誠を尽くす
証しに固く立ち、神様の御心を達成する
私たちはそれぞれ自分の光と熱を放ち
神様のために証しを広める
神様への純粋で誠実な愛は幸福で甘い
私たちは神様への賛美を大声で歌い
踊りまた踊る
私たちは神の国での新しい生活を賛美し
心は真に幸せ
私たちを救ったのは神様で
私たちは神様の民になった
神様の御座の前に引き上げられることは
比類なき楽しさ
私たちは、心と手をつなぎ神様を証しする
私たちは、御国の福音を広め
苦難や疲労を決して恐れない
患難や試練を通して
私たちは祈り、神様に頼る
その道は辛く険しいが
神様は道を開いてくださる
御言葉の真理を知ると
私たちの心は力を得る
御言葉は私たちを勇気づけ
私たちは前へと突き進む
私たちは肩を並べて手と手をとりあって
神様のために証し体と心を神様にささげる
苦しみがどんなに大きくても
私たちは心から喜ぶ
御言葉の導きで、私たちはサタンに勝利する
真に神様を愛し、それを決して悔やまない
私たちは赤い大きな竜を完全に見捨てた
私たちは勝利の兵士だ
私たちは、神様を愛する道において証しし
決して引き下がらない
私たちは神様への賛美を大声で歌い
踊りまた踊る
私たちは神の国での新しい生活を賛美し
心は真に幸せ
私たちを救ったのは神様で
私たちは神様の民になった
神様の御座の前に引き上げられることは
比類なき楽しさ
私たちは神様への賛美を大声で歌い
踊りまた踊る
私たちは神の国での新しい生活を賛美し
心は真に幸せ
私たちを救ったのは神様で
私たちは神様の民になった
神様の御座の前に引き上げられることは
比類なき楽しさ
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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礼拝賛美ダンス「教会生活の何という喜び」歌詞付き

2019-11-14 11:14:54 | 讃美歌

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礼拝賛美ダンス「教会生活の何という喜び」歌詞付き

兄弟姉妹よ、私たちは神の御前に来た
御言葉を飲み食いすることは何という喜び
神は、私たちがどれほど深く真理を理解するかは気にかけず
私たちの真の言葉を喜ばれる
私たちは経験と認識したことを分かち合い
互いに支え合い、手をつないで進む
私たちは真理を理解し、自分自身を顧み
私たちの堕落と欠点を見る
私たちの祈りは私たちが感じること
私たちは心から神に話す
御言葉について交わるほど
私たちは御言葉と真理をより理解する
私たちは神の愛を味わった
教会生活はこんなにも大きな喜びをもたらす
そして、私たちのいのちは少しずつ成長する
キリストの国は実に私たちの家
神を愛する者たちは神をとこしえに賛美する
全能神にすべての栄光があるように!

兄弟姉妹よ、私たちは神の御前に来た
御言葉を飲み食いすることは何という喜び
御言葉について交わるとき
体験し認識したことを分かち合い
聖霊から啓きを得る
神の光は私たちの上に輝く
教会生活はこんなにも大きな喜びをもたらす
そして、私たちのいのちは少しずつ成長する
キリストの国は実に私たちの家
神を愛する者たちは神をとこしえに賛美する
全能神にすべての栄光があるように!

神は私たちのためにすべてのことを采配し
それらは私たちが完全にされるのに役立つ
今、私たちは神の御旨と心を知る
それはすべて私たちが真理を得るため
神の真理と御言葉を実行することで
より真理と現実を得る
教会生活はこんなにも大きな喜びをもたらす
そして、私たちのいのちは少しずつ成長する
キリストの国は実に私たちの家
神を愛する者たちは神をとこしえに賛美する
全能神にすべての栄光があるように!
そして、私たちのいのちは少しずつ成長する
キリストの国は実に私たちの家
神を愛する者たちは神をとこしえに賛美する
全能神にすべての栄光があるように!
誠意をもって本分を尽くし
神の御心にかなうよう証しよう
『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

 

キリスト教映画「赤の家庭教育」抜粋シーン(5)キリスト教をどのように理解すべきでしょうか

2019-11-10 16:23:14 | キリスト教映画

キリスト教映画「赤の家庭教育」抜粋シーン(5)キリスト教をどのように理解すべきでしょうか
キリスト教、カトリック、東方正教会はすべて、主イエス・キリストを信じる宗教として知られています。全能神教会は、終わりの日におけるキリストの出現と働きによって誕生した、王国の時代のキリスト教会であり、キリスト教の一部です。ではどうして中国共産党は、全能神教会がキリスト教の教会であることを否定するのでしょうか?キリスト教とは一体何でしょう?

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