大学での私の専攻は経済学だったのですが、ゼミは人口学でした。卒業論文は人口爆発の悲観論は神話であることと人口調整政策の間違いを指摘する内容でした。
当時の私のゼミの教授は人口学の権威で、60年代から数十年間、国連で人口政策の役職に就いておられた方でした。
実はしばしばゼミの中で私は教授と対立(議論)しておりました。今思えば若気の至りだった部分もありますけど(笑)
中国の一人っ子政策は国連が経済援助を人参にして押しつけたこと。以前の定説を覆して初期の胎児は基本的に人間としてみないことを定着させたこと。さらにアフリカで人口がこれ以上増えないように、避妊具の配布はもちろん、栄養剤と偽って子供が出来ないような体にする注射を打ったり、中絶を推奨したりすることです。これが人権を擁護するという国連のやり口なのです。
国連の人口会議の多くは反生命のメンバーによって牛耳られていました。避妊と中絶に反対したのは主にカトリック系とイスラム系だったそうで、当時は人口爆発によって地球環境は悪化し、飢饉によって多くの人が絶命するという理論が一般的になっていました。その中で公会議後のローマ教皇であるパウロ六世の「フマネ・ヴィテ」は時代に逆行したかのように迎えられました。
国連の会議の中カトリックの科学者の中には地球は200億人でも食料は維持出来ると発言した人もいました。
そこで私は論文に、人口爆発理論の中には、科学の発展が無視されていると書きました。なぜなら農業が発展すれば多くの問題は解決していきます。彼らの多くは2000年には多くの人が餓死で死ぬはずでした。現代社会を見てください。先進国の多くでは大量消費された食料が毎日のように捨てられています。分配もされずに捨てられているのです。
そして餓死で死ぬはずだった命は、この間違った理論の結果人工中絶に形を変えて胎児が死ぬことになりました。実に多くの赤ちゃんが死んでいます。宗教の無い日本では昭和23年7月13日(7月13日は聖母マリア様がファチマで地獄のビジョンを示された日でもあります)の優性保護法により多くの胎児が殺されました。これによりしばらくは年間100万人以上の胎児が殺され続けました。現代では20万人の胎児が殺されていますが、これはあくまでも厚生省に届けられた数であり、ある人口学者がいうには、昔も今も少なくとも見積もって常に3倍はあるのでは無いかということです。
世界中をみてもそうです。最近アイルランドがそうです。多くの人が命を粗末にしています。もし命の尊さを説くならばまずは、胎児から語るべきです。胎児は最も小さく弱い存在です。多くの人は胎児が人間ではないようにみなして中絶を正当化しようとしていますが、中絶する多くの女性が精神的に苦しむのは理性の光がいくらかの真理を照らすからです。中絶される胎児は子宮で最後の力を振り絞って逃げています。
私たちカトリック教会は最も小さな魂を大切にします。命の観点から人工中絶を認めません。どんなことがあっても小さな命に罪は無いからです。
人工中絶が殺人であることを理解すれば多くの赤ちゃんは救われます。そして胎児が無事に産まれてくること、産まれてきた社会に希望があることをまず考える必要があるのです。
来月の海の日にマリア様と築地教会から祈りながら行進しましょう!小さな命のために!
枢機卿様と教皇大使の良きすすめにも耳を傾けましょう。
聖ペトロと聖パウロ、私たちに聖なる司祭を与え給え。
当時の私のゼミの教授は人口学の権威で、60年代から数十年間、国連で人口政策の役職に就いておられた方でした。
実はしばしばゼミの中で私は教授と対立(議論)しておりました。今思えば若気の至りだった部分もありますけど(笑)
中国の一人っ子政策は国連が経済援助を人参にして押しつけたこと。以前の定説を覆して初期の胎児は基本的に人間としてみないことを定着させたこと。さらにアフリカで人口がこれ以上増えないように、避妊具の配布はもちろん、栄養剤と偽って子供が出来ないような体にする注射を打ったり、中絶を推奨したりすることです。これが人権を擁護するという国連のやり口なのです。
国連の人口会議の多くは反生命のメンバーによって牛耳られていました。避妊と中絶に反対したのは主にカトリック系とイスラム系だったそうで、当時は人口爆発によって地球環境は悪化し、飢饉によって多くの人が絶命するという理論が一般的になっていました。その中で公会議後のローマ教皇であるパウロ六世の「フマネ・ヴィテ」は時代に逆行したかのように迎えられました。
国連の会議の中カトリックの科学者の中には地球は200億人でも食料は維持出来ると発言した人もいました。
そこで私は論文に、人口爆発理論の中には、科学の発展が無視されていると書きました。なぜなら農業が発展すれば多くの問題は解決していきます。彼らの多くは2000年には多くの人が餓死で死ぬはずでした。現代社会を見てください。先進国の多くでは大量消費された食料が毎日のように捨てられています。分配もされずに捨てられているのです。
そして餓死で死ぬはずだった命は、この間違った理論の結果人工中絶に形を変えて胎児が死ぬことになりました。実に多くの赤ちゃんが死んでいます。宗教の無い日本では昭和23年7月13日(7月13日は聖母マリア様がファチマで地獄のビジョンを示された日でもあります)の優性保護法により多くの胎児が殺されました。これによりしばらくは年間100万人以上の胎児が殺され続けました。現代では20万人の胎児が殺されていますが、これはあくまでも厚生省に届けられた数であり、ある人口学者がいうには、昔も今も少なくとも見積もって常に3倍はあるのでは無いかということです。
世界中をみてもそうです。最近アイルランドがそうです。多くの人が命を粗末にしています。もし命の尊さを説くならばまずは、胎児から語るべきです。胎児は最も小さく弱い存在です。多くの人は胎児が人間ではないようにみなして中絶を正当化しようとしていますが、中絶する多くの女性が精神的に苦しむのは理性の光がいくらかの真理を照らすからです。中絶される胎児は子宮で最後の力を振り絞って逃げています。
私たちカトリック教会は最も小さな魂を大切にします。命の観点から人工中絶を認めません。どんなことがあっても小さな命に罪は無いからです。
人工中絶が殺人であることを理解すれば多くの赤ちゃんは救われます。そして胎児が無事に産まれてくること、産まれてきた社会に希望があることをまず考える必要があるのです。
来月の海の日にマリア様と築地教会から祈りながら行進しましょう!小さな命のために!
枢機卿様と教皇大使の良きすすめにも耳を傾けましょう。
聖ペトロと聖パウロ、私たちに聖なる司祭を与え給え。