泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

考えは変えられる

2007-02-09 04:49:47 | どろな話
何もやる気がしない…

こんな経験は誰もあるはず。私は週に何度も「やる気がしない」が発生し、必要なことを先延ばしする癖がある。

毎年1月は仕事も閑散で、正月休みがずっと続いているようなもの。今年もそんな感じで1月を過ごしていたが、2月控え、どうしても終わらせておかねばならないまとまった作業を目の前にして、体が動かなくなった。

こたつに入ったまま、頭の中では「しなくては…でも動けない」がぐるぐる回る。そんな日が三日も続く。朝起きて「今日こそは」と思いつつ、こたつでぐだー。このような状態に陥るのは、初めてではなく何度もある。小学生の頃からあったように思う。

いよいよ2月に入り、仕事の締め切りが近づく。せっぱ詰まった中で、

「これを鬱というのだろうか…」

ふと頭をよぎる。横を向くと、妻が読んでいた鬱関連の本があった。私も仕事の関係で、その手の本はそれこそごっそり所蔵して読んでいるけれど、自分が…という視点で読むことはなかった。手にとって読んでみる。

そうか…なんだ、私はうつだったんだ。今まで仕事だとか酒だとか遊びすぎだとか、いろんな刺激にのめり込んでいて気づかなかったけれども、それらへの強迫行動をやめたら鮮明になった。

私はうつです。

認めたら、なんだか安心したのか、そのまま寝入ってしまい、目が覚めたのは夕方。ぼんやりした頭の中で思う。

「なんとかするのは得意技だろ? 他人には施せて自分に施せないのはヘンだろ?お前ならなんとかすすよ」

と自分に投げかけ、行動の足をひっぱる原因を心の中に探索する。

「恐いからできない」
「無気力だからできない」

こんな感覚をいくつかみつけ、まず「できない」を「しない」に変える。

「恐いからしない」
「無気力だからしない」

よしよし。次は逆にしてみる。

「しなければ未知の恐さはずっとつきまとう」
「しないままでいる無気力から逃げだそう」

そうだ…「できない」のではない「しない」を選んでいる。私は奴隷ではない。選択の上で「しない」のだ。と、よく言ったり書いたりする割には、自分に十分に適うだけ用いてはいなかったのだね。

飛び起きて、部屋を掃除し、急ぎでもない仕事まで片付け、必要な作業を終わらせた。精神力なんていらない。頑張りも必要ない。自分の足を引っ張る「考え方」を変えるだけ。

どんなに素晴らしい内容の書物を読んでも、どんなに素晴らしい人の言葉を聞いても、それを何万回読んでも聞いても、たった1度だけ、自分の考えを変えることにはるかに及ばない。いいこと読んだり聞いたりしたら、率直にやってみる。そこにつながらないとしたら、きっと自分をこき下ろす思考がある。

自由とは心の中に作り上げた牢獄から抜け出すこと。作ったならば壊せる。来た道ならば、必ず帰り道も思い出せるさ。なーんてこと、うちの犬や猫や鳥やカメたちは悩みもしないで、ただただ率直に生きているのだろうね。


考えすぎるとハゲるよ?

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