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言葉の奥

2023-02-28 06:44:00 | 日記

 私はあまりテレビを真剣に見ない。というか、真剣に聞かない。

 全力で勉強していた30年ほど前の「頭に入れる時は活字」の癖が抜けないままだ。


 先日、テレビからだったかな?何からだったかは思い出せないが、ふと聞こえてきた。

 映画の紹介のような流れだったが、いつもは気にも留めなずに聞き流す。の、だ、が、芦田愛菜さんのこの言葉は、私の中の私が

 聞き逃しちゃダメだよ!きちんと聞くべきだよ!そう、言うから活字で探した。

それが下の文。



「この作品を見て私が一番強く感じたことは、信じるって何だろうということでした。その人のことを信じようという言葉をよく使うと思うのですが、それってどういう意味なんだろうと考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、自分の思う理想像を期待してしまっているのではないかと感じました。だから、『期待していたのに』とか『裏切られた』というような言葉が出てきてしまう。でも、普段見えなかった側面が見えただけで、裏切られたわけではないのかなと思います。知らなかった側面が見えたときに、それもその人なんだって受け止めて決断できる揺るがない自分がいる。それが信じるっていうことなんだと思いました」


 私も「信じてるから」と、普段よく使う。でも、使うたびに違和感があって、私はあの子の何を信じて信じてるからって言っているのだろう?と自問自答していた。

 ただの社交辞令になっていたのではないだろうか。だから、違和感があったのだと、芦田愛菜さんのこの言葉を聞いて霧が晴れた気がした。


 「信じてる」と言う言葉は、社交辞令で使っていい言葉ではなかった。

 「信じてる」という言葉は、誰にでも使っていい言葉ではなかった。

 「信じてる」と言う言葉は、とても重く覚悟が必要な言葉だったのだ。




    忘れないようにしよう

 信じてるという言葉は、裏切られないための布石にしてはいけない言葉だということを。

 信じていたのに。は、いい大人が使ってはいけない言葉だということを。