・親からの遺伝もあり僕は生まれつき心臓が悪く、年齢が行くに従い、病院通いが多くなってきました。
ここ数年は心臓の薬は欠かせない状態となりました。
・ボクが6歳の時我が家に赤ちゃんが誕生しました。それがお父さん・お母さんの孫、「ユー君」です。
最初は僕と同じくらいでしたが、食欲が旺盛ですぐに僕を追い越しました。
今、小学校4年生でH少年団サッカーチームのキーパーとして活躍しています。
僕のことをよく面倒見てくれました。ラムちゃんはユー君の大きな声が嫌いなようで、今でもそばになかなか
寄って行かないようです。
ユー君は散歩に行くのが好きなのか、お父さん・お母さんについてきて、僕のリードを持つことが多かったが、
やんちゃ坊主なのでいつもと勝手が違い(あっちへ行ったり・こっちへ来たり、急に走ったり)疲れだけが残る
状態でした。それでも一緒に遊びたいとの気持ちが伝わってくるので、大人の僕としては我慢していました。
・ユー君は優しかったです。僕の最後の前夜、10時頃、お風呂から上がったユー君はいつもの裸で「マーブルに
ご飯を食べさせてやる」と言って、お母さんが作った美味しい夕飯を今日も一口も食べずに残っていたものを
抱っこして食べさせようとしていました。
僕はその行為がすごく嬉しかったのですが、どうすることもできませんでした。
「大好きなユー君が食べさせてもだめか、今日は遅いので早く寝なさい」とお母さんの声が聞こえました。
・ユー君も諦めてお母さんの膝に僕をのせて2階の自分の部屋に行ってしまいました。
僕も11時過ぎにニュース番組を見終えたお父さんがお風呂から上がって「明朝も早いので寝るよ」とお母さんに
声掛けし、「マーブルも連れて休んでください」と言われ、お父さんと眠ることになりました。
今夜は心配なのでおむつをしてくれました。
お父さんの枕のそばに寝ましたが、両手をかなり動かしたので、お父さんが、「食事もしないのに随分元気だな」と
つぶやいてました。
そのうちお父さんはスヤスヤ眠りにつき、僕も眠ってしまいました。
朝の3時頃僕は無意識に両手をバタバタさせたので、お父さんがすぐ起きて「おしっこだな」と言って
外に連れて行きました。
いつものようにおしっこをさせようとしましたが、おむつに気づき、中を確認して、「ちゃんとしているよ、さすが
マーブルだ」と言って頬ずりをして喜んでいました。
洗面所で綺麗にして貰い、寝返りができないからと反対向きに寝かせてくれました。
それからお父さんはすぐ寝てしまいました。僕はなかなか寝付かれず、
「お父さん・お母さん・ユー君・ラムちゃん」・・・・・と声を出しました。
・それから気持ちよくなり眠ってしまいました。5時半頃、何時ものようにお父さんが起きて出勤の準備をしてましたが、
お母さんはいつもより早く目が覚めたようで、僕に寄り添ってきました。
そして僕の急変に気付き、「マーブルが…マーブルが」と大きな声で騒いでました。
「どうしたっ」とお父さんがネクタイを締めながら近づいてきました。
「マーブルが息してないよ…」と泣き叫んでいます。お父さんは「そんなことはない、3時頃おしっこもしたし、綺麗に
ふき取ったし・・・・・」と僕の心臓を触ってから泣き崩れました。
4時頃に1回「吠えた」のが聞こえたので安心して再眠りについてしまった。
それが最後のあいさつとは・・・・・
・若い時「ちょん髷結」をして貰いました。
お母さんは「そんなことをして」と怒っていましたが、僕は自慢だったよ。
特にお父さんが一番喜んでました。そんな時にお母さんが友達から「可愛いのでモデル犬にしたらどうですか」と言われ、
随分とお母さんの入れ込み方が伝わり、僕自身もその気になっていました。
しかしながら最終的には自然消滅してしまいました。
もし「モデル犬」になっていたら、お金を稼いで病院の足しにしたりまた、
逆に美味しいものばかり食べて短命だったかも知れません。
・僕は躾ができていなかったせいか、家の中でも排泄で随分と迷惑をかけてしまいました。
ラムちゃんはシートにしっかり出来るのに僕は気の向くままに排泄していました。
だから家の中にはシートが所狭しと貼り付けられていました。ときにはシート以外に排泄してしまい、随分と
怒られましたが、反省しますが、すぐ忘れてしまいました。
だから最期は体の中から全部(大、小便)排泄して綺麗な体で飛び立つことにしました。
・散歩の場所確保にいろいろ苦労していました。名取市の那智が丘、利府の加瀬沼とかいっぱい連れて行かれて
思い切り走りました。特に嬉しかったのは海水浴です。
砂浜を走りました、気持ちよかったが砂は少し熱かったです。
町内散歩が一番でした。通算すると歩母さんとの散歩が多かったと思います。
知り合いの何軒かに寄り道が定番でした、僕とラムは歩くのが好きだったのですが、お母さんの話好きで、
なかなか前へ進まないことが多かったように思います。
僕は犬より人間が好きだったので頭を撫でられたり話しかけられたりすると興奮していました。
散歩の最後はIさん家となっています。お父さんとの散歩は、僕の性格を知っているので、途中から「リード」を
外してくれました。ラムちゃんとさっさと前に歩いて行き僕の行動を観察しています。ときには近くの家に隠れ、
僕に姿を見せないようにします。僕はお父さんとラムちゃんの姿が見えないと猛スピードで追いかけ、見つけて
安心して又寄り道を繰り返していました。(ラムちゃんもそうしたいのですが、以前坂を上りきって走って行ってしまい、
お父さんが必死で追いかけやっとの思いで捕まえたそうです)。猪突猛進出前しか見ません。
僕と性格が反対です。
ラムちゃんとは最初から僕のわがままで随分ときつく当たってしまいました。
本当は気になってたのですが頑固なところがあり言えずにこういう状態になりました。でもラムちゃんは
そういう僕でも最後までよりそってくれ感謝の言葉もないです…「ラムちゃん」
・思い出がたくさんありすぎて思い出せないくらいです。15歳の誕生日を過ぎたあたりから今までとは違う感覚を
感じてきました。早く走れない・障害物をうまく飛べないなど。それから徐々に体力が落ちてきました。
勝手知ったる自宅の中でも歩くのに時間がかかったり、平衡感覚がおかしくなりあちこちにぶつかる事は多くなりました。
お父さんとお母さんが心配し怪我をしないように座布団でカバーしてくれました。また、狭い所に入っては随分と
心配かけていました。
・今年の7月26日の那須旅行はこういう状態ではありましたが、楽しく記念に残った旅行でした。
東京の方と知り合い、朝の散歩で随分と声をかけられ、また撫でられ元気をもらった気がしました。
・最期の時はお世話になった「おとうさん」「おかあさん」「ラムちゃん」「ユー君」「他のみんな」に最大限の声で
お礼を言いました。その声をお父さんは聞いていたようでした。
本当はもっともっと生きたかったです。もっともっとラムちゃんと一緒にお留守番をしたかったです。
もっともっとお母さんの美味しい食事を食べたかったです。
本当にもっともっといろいろしたかったです。
・僕のためにお母さんの友人からたくさんのお花を戴き、嬉しかったです。
出棺時に散歩コースや生まれたK家・小学校をゆっくり見せていただきありがとうございました。
また、火葬後の時間帯にお母さんが見た雲は確かに僕です、友達と一緒に走ったからです。
いつでも空の上から見ていますので悲しまないでください。
でもやっぱり…我が家の方が・・・・・
ここまで書いてきましたが、私もこれを書いてて涙が止まりません。
パパさん、とっても愛情たっぷりで私の知らなかったことをマーブルと体験してたんですね。
マーブルはきっと幸せだったと思います。
虹の橋を渡って明るく元気に駈けっこしてるよね。
でもラムちゃんのこともこれからよろしくね、元気ないのが気になるけど、でもきっと大丈夫。
大事に育てていくからね。頑張ろうね、ラムちゃん。
今年の締めくくりにこんな文章をアップしてごめんなさい、時間がある方のみ読んでくださいね。