マーブルの小部屋

マーブルとは犬の名前です。
2013年の12月に虹の橋を渡り、
ラムも2017年8月虹の橋り今はサボがいます。

あの日から7年…忘れられない日

2018-03-11 20:00:00 | 東日本大震災

3月11日前にテレビなどであの時の放送が特集で組まれ、

わが社の次男さん、消防隊のレスキュー部にいるのですが、

テレビに出ていたり、新聞に出ていたりしています。

先週私がインフルエンザで休んでいるとき、地元のテレビを見ていたら、

偶然その次男さんがテレビに出ていました。

レスキュー隊で、あの津波の時ヘリコプターに乗り、救助に向かったそうですが、

救えなかった方がいて今でも目に映って残念な思いをしているとのこと。

今海はほとんど見えません、かさ上げ工事で海岸はもう見えません。

昨夜は新潟に行った姪夫婦、それから秋田に行った甥夫婦たちと

閖上にあったお店が、今別の所でやってるので、そこで食事会をしました。

昨日は仕事でお墓参りができなかったけど、夜だけ私は参加しました。

7年も経つとみんな生活がこんなにも変わるものかと思います。

弟夫妻が津波で亡くなって子供たち3人のは住むところがなくて、

夫の知り合いのアパートに住んで、3人は暮らしてましたが、

今長女は結婚し新潟に行き、長男も昨年結婚し秋田に転勤で暮らしていて、

末っ子の弟も保育士として今働いています。

7年の歳月ってあっという間なんですね。

みんな元気で暮らせて頑張っています、なんとたくましいことか。

秋田に行った長男のお土産です、生もろこし、これ柔らかくてとっても美味しいのです。

こんな気の使いもできるようになったのね、奥さんも可愛くて若い人はいいですね。

こちらは姪夫婦、しっかり者の姪です。

旦那さんはやさしい人で、しっかり姪の尻に敷かれてるようです。

そういえば弟夫妻もそうだったな~。

姪が指さしてるのはモッキリというお酒、器になみなみと注いでもらい、

受け皿までお酒が表面張力って言うのですか、なみなみですよ。

おかみさんの注ぎ方の上手なこと、おかみさんも強調していましたよ。

これを見てほしかったと。

姪の旦那さんは普通の会社員だったのですが、夫婦で新潟の新発田市に移住し、

農家を手伝っています、町おこしの市役所の職員に応募し、普通の民家を借りて

住んでいるのですが、田んぼのあぜ道の草取りや、今年は雪が多くて大変だったでしょう。

その雪かき、若い人の手ってずいぶん助かったでしょうね。

こんな生活も若いうちですね、どんどんいろんな体験をしてほしいものです。

年に何回会えるかわからないけど、来るのを楽しみにしているね。

今日は孫たちと映画を観てその後、14時46分になったら海のほうに向かって黙とうをしました。

いつまでも忘れられない出来事ですね。

しっかりと心に刻んでこれからも生活していこうと思います。

 

 

 

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あの日から6年目

2017-03-11 16:20:00 | 東日本大震災

夕べはみぞれが降りとっても寒かったです。

ちょうど6年前もそんな天気でしたが、今の季節ってこんなに寒いのでしょうか。

津波が来た時様子が昨日からテレビでやっており、車がそのまま流されたり、

屋上に避難したりととても寒い晩を過ごされた方の多かったのですね。

あの日は私は仕事だったので、地震が来たのにしかも信号も付いていないのに、

仕事に出かけたんですよね、夕方。

利用者さんは近くの小学校に避難されていて、家にはいなかったので

会社に行ったのですが、途中でブロック塀が余震でゆらゆら揺れていたんです。

早くそこを通りたいと思っても交差点でなかなか前に進むことができなかった。

会社に行ったら、「よくここまでこれたこと」って会社の専務に言われたんですが、

そんなにひどいとは思わなくて、でもあたりが暗くなってきたら家に帰れるか、渋滞にあったらどうしようかと

そのころから不安になり、なんて無謀なことをしたと今では思います。

あの津波で夫の弟夫妻が津波に合い、車で逃げる途中に亡くなったと知ったのは2日後のことでした。

夫が義弟に最後に会ったのは前年の12月、義妹の還暦祝いの席でした。

それもその時ちょっとしたことで夫と義弟がもめたんです、本当にちょっとしたことでです。

夫は何となく後味が悪く思ってたんでしょう。

今でも「あれが弟と会ったのが最後になってしまった」というのです。

夫と弟は仙台に最初就職で夫が来ていて、その後弟も仙台に来て

二人で一緒に部屋を借りて住んでたので、仲が良かったんです。

でもその時のことは仕方のないことで、こんなことになるなんて誰も思わなかったのですから。

ここ、閖上が夫の弟たちが住んでいたところです。

ここの場所を「君の名は」の作者、新海誠さんがこの年に訪れて絵を描いたんですね。

昨日のテレビで映ってましたが、その絵は探しても見つかりませんでした。

この時は電線もなかったけど、今では電線もあり、復興も少しずつしているのです。

かさ上げをして、ショッピングセンターや小中学校一貫校もできるのです。

復興住宅がどんどんでき、賑やかになることでしょう。

義弟夫妻のお墓も子供たちが建てたんです、立派に育ったと思います。

みんな独立して立派に仕事をしています、もう安心です。

あの教訓をしっかっりと覚えておいて災害に備えたいですね。

 

ところでうちにサボ君ですが、カラーも外し明日抜糸します。

最初はこんな感じで身動きができずに、階段を思いっきり上ってこけてました。

2階にユー君がいるので行こうとしたんですよね。

後ろで見てて私は笑ってしまいましたが、本人は必死だったようです。

今朝、カラーを外してあげたら身軽になったので、喜んで動き回ってます。

珍しく2わんこ一緒の写真です。

サボ君は体重が減って7,5キロになりましたが、凄く筋肉質です。

朝晩の夫との散歩がいいのだと思います、もう楽しみにしてるんですよ。

結局息子が連れてきたワンコですが、ご飯は私、散歩は夫。

だからなかなか2階には行かなくて、夫のそばが大好きなようです。

ユー君が寝る時は無理やり連れていかれますが、振り向いた時の顔がまた可笑しいですよ。

癒しでしょうかね、ラムもサボも。

 

 

 

 

 

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まもなく東日本大震災から・・・3年が過ぎ

2014-03-09 22:12:10 | 東日本大震災

この頃又寒さがぶり返してきて、寒い日が続いてますね。

今日は朝から晴れていい天気だったので、

11日はお墓参りに行けないので、今日行って来ました。

ここは義弟夫妻が住んでいた場所です、閖上。

お墓参りの後に行ってきました、お墓もお寺も無くなって

仮のお寺に居候してる義弟夫妻。

日和山っていうんですが、義弟の家のすぐそばでした。

今は石碑が立って、桜の木も植えられ、松の木が残ってますが、

この松の木は残ったんですね、津波の後、色んな物が木に引っかかってましたが、

今は慰霊の場所として、今日は観光バスで秋田県の学生さん達が来ていました。

手前あたりが弟たちが住んでた場所、すぐ後ろの方には海が見え、

大型クレーンが忙しく動いてます。

佐々直、笹かまぼこ屋さんのあった場所です。

建物はそのままです、ここにはよく母ときました。

工場があったので焼きたてのアツアツの笹かまをご馳走してくれました。

黄色い建物は「浦安」と言って、老人施設があった場所です。

ここも建物はそのままです、たくさんの入居者が亡くなりました。

奥に見えるのは蔵王連峰です、まだまだ雪が残ってます。

こちらはもっと北の方、泉ヶ岳です。

ここ閖上は名取市と言うところにありますが、閖上はもう若い人たちは

住みたくないという意見が多いんですが、意見が分かれてて、

かさ上げして住みたいという市長さん達の意見とでなかなか決まらないのです。

弟たちの子供たちは、長女が4月から千葉県松戸市に行きます。

看護師として就職が決まりました。

長男は旅行会社、次男の末っ子は専門学校生。

もう伯父伯母の手を離れましたが、時々電話をくれて食事をしたりしてます。

立派に成長してくれて弟夫妻もきっと見守ってくれてたからでしょうね。

こんな灯篭が道の片側に並んでいました。

11日に灯篭流しをするんでしょうか。

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新相馬節・・・哀愁のある唄

2013-03-11 08:35:00 | 東日本大震災

夕べ強風でいつまでも吹き荒れてた日でしたが、今朝起きてみたら…やはり

こんな景色になってました、どおりで寒かったと思ったら、2年前と同じです。

うっすらと雪が積もってました、さっそくパパさん、雪を掃いてましたよ。

仕事に行く前に車のエンジンをかけて雪かきを始めました。

そして初雪かずらにも雪が

寒いわけですよね。

ところで先週の新聞にこんな記事が・・・・・朝日新聞の『bee』という第2朝刊みたいなものですが、

故郷の空に哀愁の調べ…という見出し。

『歌の旅人』 というところに 『新相馬節』 をうたってる方がいるんだそうです。

民謡歌手ならだれでも唄うと思いますが、この方、カンツォーネも唄ってる方で、

まず聞いてみてくださいね。

 

 

名前が出てるからお解りと思いますが布施明さんです。

じっくり聞かないと分からないような声ですよね、哀愁を帯びて、

なんとも山の遠くからでも聞こえてくるような、やまびこみたいな感じです。

布施さん、アカペラも得意ですが、やはりこの新聞を見てYUTUBEを見た方が

多いそうで、1万回以上も聞かれてるようです。

布施さん、震災の後訪ねた相馬市で、何かできることはと思ってたそうです。

布施さん、コンサートで主催者側から「上を向いて歩こうは歌わないで」って言われてたそうです。

「ひとりぼっちの夜」のセリフは本当にひとりぼっちになった方がいるからって。

この歌を歌うようになったきっかけは「せっかく福島に行くのだから何か地元の曲はないか、民謡でもいいから」

と言えば、あまりにも有名ですよね「新相馬節」。

私は子供のころから民謡はよく聞いてた環境にありました。

亘理の叔母が民謡を習ってて、今でも大会があると東北あちこち行って賞を取ってきます。

NHKの日曜日にやってる「のど自慢」という番組にも出て、鐘を鳴らしてますよ。

父も母も民謡を習ってたので…でも自分は歌いませんが。

相馬や松川浦、磐城はよく行ってました、ドライブコースで海岸線を走るので、景色もよく、

温泉旅館もあり、海を眺めながら露天風呂に入ってきたりもしてましたが、

今は立ち入り禁止区域になってるのでしょうね、あの温泉は海のすぐそばでしたから。

お魚の美味しいレストランもあり、魚市場もあり、上の写真は『松川浦』という潮干狩りが有名な海ですが、

松林もなくなり、景色がすっかり変わってしまいました(新聞に写真なので、折り目がついてますが)。

でも遠くの空にお日様があるのは2年前と同じです。

今ますます怖いですよ、原発が海に漏れてるかもしれないと報道されてました。

一番怖いことで、これからもますます心配なことですね。

こちらも閖上の義弟たちがなくなって、3月3日に3回忌の法要をしました、ひそやかに。

子供たちもあれから随分成長して、お姉ちゃんは仕事を一年や寝て外国に行くそうです。

そこでボランティアの仕事をして、そのあと結婚するそうです。

結婚相手がいたんですね、でも1年くらいなら待ってあげると言ってくれたそうです。

「その間に好きなことをしてもいいよ」と言ってくれて理解のある方でよかったなと思います。

今度の土曜に顔合わせをします、楽しみですよ。

お兄ちゃんの方も独立して一人暮らしをしたいといってます。

末っ子はどうするんだろう、でもしっかりしてるから大丈夫ですね、きっと。

この前会いましたが、茶髪になってました、一度通る道かな。

わが息子も茶髪にしましたね、そういえば・・・今はちゃんとパパですから・・・・・

マーブル君、今朝も元気です、寝起きですよ。

ラムちゃんはこの時まだ布団の中です。

もう少しするとご飯の催促がありそうです。

 

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地震…怖かった~

2012-12-07 21:11:00 | 東日本大震災

先ほど大きな地震がありました、震源地は宮城県沖。

またあの東日本大震災を思い出してしまいました。

テレビでも高台に逃げて下さいと随分言ってました。

我が家の上空にもヘリコプターが飛んでます、被害状況を見てるんだと思います。

我が家は山方面なので、岩盤なので丈夫なのですが、

それでも強い揺れがあり、おろおろしてしまいました。

私はちょうど仕事も終わり、家にいて、ユー君は炬燵に潜って寝ていました。

家にいたからよかったものの、出かけてたらラッシュで帰ってこれなかったかもです。

その後、シーちゃんたちが心配になり、電話をしても通じなくて、メールを入れました。

津波が来るというので、車で西の方に移動するようにと言いましたら、

近くのヨークベニマルの屋上に避難したとメールが来ました。

そのまま我が家においでといっても渋滞で、しかもお腹が大きいのに、事故でもあったら大変だから、

津波の解除が出てから家に戻ったそうです。

アメリカン・ブルーさんも大丈夫とメールが来て安心しています。

近くにユー君ママが務めてる保育所があるんですが、ユー君のことを心配して電話くれました。

ママの方が海に近いし、どうなのって聞いたら、園児たちをみんな2階にあげて、避難してるそうです。

私たち家族は大丈夫です、とりあえず無事のお知らせまで・・・・・

わんこ達も今はご飯も食べて横になってます。

宮城県は大きな地震って今迄も何度かあるので、

これからも注意をしないといけないと改めて思いました。

 

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あの日を振り返って

2012-03-11 19:15:09 | 東日本大震災

今日であの震災からちょうど一年になります。

今日は朝から一年前のあの日の様に寒い日でしした。

あの日は夕方16時半から仕事でしたが、息子も仕事が休みで2階にいて、

私はワンコ達とリビングにいました。

14時46分、我が家は地震には強いので揺れてもそう慌てはしないんですが、

でもあの揺れだけは違うんですね。

ゴーッと地面の底から唸り声のような音が聞こえ、不気味でした。

長~い揺れで気持ち悪くなり、まるで酔ってるような気がしました。

すぐ隣の空き地にワンコ達を抱っこして外に出ました。

息子は学校に行ってるユー君を車で迎えに行きました。

ユー君達は学校の校庭にはだしで出たそうです。

夕御飯をあるもので間に合わせて作り、仕事に出かけたんですね、私。

国道に出たら信号がついてないんです。

でも何とか行ったんですが、どうしても横断できない道路があり、左折して、次を右折して

裏道を行ったら初めて通る道なのに、何とか着いたんです。

でも仕事先のお宅に行ったらケアマネージャーさんが地震の時にちょうどいて、

避難所に利用者さんを連れて行ったあとで、張り紙がしてありましたが、

そこへケアマネさんちょうど毛布を取りに戻ってきて、

「中を見ますか?」と言われ、「はい見たいです」って答えて見せて貰ったんですが、

もうそこはパソコンは倒れ、台所の大きな食器棚は倒れ、物が散乱してて足の踏みがもないほどでした。

その様子を知らせに会社に向かったんですけど(携帯が通じないから)

家々のブロック塀が揺れてるんですよ、道路に倒れてきたら大変です、車にあたっても。

ブロック塀は倒れていましたし、屋根瓦も随分落ちていました。

会社に行ったら社長に「よく来た事~」って言われたんですよ。

で、その言葉で我に返ったというか、自分の家が心配になったんですね、また無事家に帰れるかとも。

そして次に家を建てたばかりの次男の事も。

仕事に行かなくちゃという使命感で他は何も考えられなかったのに、

落ち着いて考えたら色々気になって来るもんですね。

電気が通じないという事はテレビも見れないので、全国の方々の方が

テレビでこの惨状をいち早く知ってた訳で、私の事を心配して戴いてたのも知らなかったんです。

メールも通じないし、でも義妹に家にお風呂を戴きに行ったときに、メールが見れて

アメリカン・ブルーさんからのメールを見る事が出来て、携帯で、ブログを書いたんですよね。

次の日、公衆電話からブロ友のとん子さんに電話をして、無事をお知らせして、

それでとん子さんが私のコメント欄にお知らせしてくれたんですよね。

あの時は本当にご心配をおかけしました、とん子さん有難う。

今こうして無事でいれて本当に良かったと思います。

あの日の行動は訳が解りませんが、今も心に深く残っています。

津波が来たなんて全然知らずにいたんです。

義弟たちが無くなってた事も。

3日してから初めて知り、甥が怪我したことや保健センターで子供たち3人片寄せてた事も。

今は就職も決まり、末っ子も専門学校に入学も決まり、落ち着いて来ています。

みなさんのおかげで何とか私達も落ち着いて来ています。

でもあの時の教訓を忘れずにこれからも生活していきますね。

今日は長々と最後まで読んでくださり有難うございます。

 

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あと一日で一年に・・・

2012-03-10 19:12:01 | 東日本大震災

今日は朝から寒い日で、雪も降ってました。

あの東日本大震災から早一年になろうとしています。

今日はユーくん朝からお出かけです。

ママの叔母さんの法事です。

ママの叔母さんはあの日、仕事が終わって家に帰ろうとして津波に巻き込まれ、

亡くなってしまったのです。

家は閖上という所で、夫の弟一家もここに住んでて、逃げる途中に亡くなった訳ですが、

家に帰ってきて巻き込まれると言うケースも随分あって、本当に痛ましい事です。

家族全員は助かったのに、叔母さんだけが亡くなってしまいました。

その叔母さんの子(ママの従妹)はその当時お腹が大きくって、

叔母さんは孫の顔を見ずに亡くなってしまわれました。

又悲しみがこみ上げて来るんですが。

まだまだ復興もままならないままで、仮設住宅に住んでる方が本当に多いんです。

見つかっていない方もまだ三千人以上いるとの事です。

心をこめて供養をしたいと思います。

私達はとかく過ぎ去った事は忘れてしまいがちですが、備えあればで、5年持つ水や缶パンなど、

一応取り揃えておきました。

そしてガソリンや水、電気、大事に使ってるつもりですが、あのガソリンを買うのに並んだ事や、

スーパーに並んだ事を忘れないように日々気を付けたいと思います。

所でマーブル君、そんな所でなにしてるの?

何か良いものでもあるのかな?

あ~、おやつか、お母さんにいじわるされてました・・・・・

取って~と言ってるんですね。

ラムちゃんは下で大人しく待ってるんだよね~。

今日、今頃もう始まってるかな・・・・・

鎮魂の花火をあげるってことなんですが、仙台の北の方の泉が岳で。

誰も行けないんですけど、天国に一番近い場所だからここから届く様にだそうです。

先日記事にアップしたスコップ団の方達も参加してるんですね。

鎮魂の祈りが天国に届くと良いね~。

明日はお墓参りに行って来ます、命日だからね。

 

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