今日は朝から雨ふりです、せっかくの日曜日だけど、
コロナウイルス騒ぎでどこにも出かけられない方が多いでしょう。
わたしの平日は会社と時折食料品調達にスーパーに一日おきくらいに出かけるくらいです。
それと利用者さんの用事をするために利用者さん宅に出かけるくらいです。
今日は東日本大震災で亡くなった弟夫妻の墓参りに行ってきました。
雨の中でも何人かお墓参りの方がおられ、家族が亡くなられたんだな~と思い、
あれから9年、心の中に残ってる家族なんですものね。
弟たちの子供たちも来たようで、会えなかったけど、忙しく帰っていったようです。
きれいな花が手向けてあって、黄色で統一され、おしゃれな妹が好きな花だったんだな~と思いました。
多分姪が選んで手向けて行ったんだと思いました。
夫のお姉さん夫婦と一緒に行きましたが、帰り、足を延ばして閖上にも寄ってきました。
弟たちが住んでいた家の後は空き地になっていて慰霊塔があるそばだったので、
きっと何か慰霊するための公園か何かになるのかな~と思います。
閖上はずいぶん変わっていて、復興住宅、5階建ての棟が10棟くらいできたのでしょうか。
体育館もでき、小学校は小中一貫校になりました。
川のそばには「かわまちてらす」という商店街ができ、人出もそこそこにありました。
何年たっても忘れない、あの時の話、車の中で姉とも話したけど、
姉は三越デパートの地下にいたそうで、うちの次男が家を建てたので、
次の日家に訪れるため買い物に出かけたそうですが、
突然地震が起こり電気が消えて出口がわからなかったとのこと。
でも近くにいた方が非常口に連れて行ってくれて一階まで階段を駆け上がったとのこと。
そして車もあまり走ってなかったので普段なら車はすごい中心部なのに、
道路の真ん中まで行ってタクシーを止めたとのことです。
買い物もせずにすぐタクシーで帰ったとのことで、その判断がよかったんですね。
無事家に帰ってこられて、そうでなければ歩いて帰ってこなければならなかったでしょうね。
私は信号のついてない道路を仕事に行ったんだけど、利用者さんは小学校に避難したんです。
それで慌てて家のことが心配になって引き返してきました。
あの夜は雪が降って寒かったことを思い出します。
今思えば大変なことが起きたんだなと思います。
道路もかさ上げされ復興が著しいけど、福島はまだ仮設に入ってる方も多いとのこと。
今のコロナウイルスも発症した方が毎日いて、いつどうなるか、対岸の火事ではないですよね。
毎日ユー君が家にいて退屈してるけど、サボはユー君がいるのをわかっていて、
私が会社に行こうとすると2階に上がっていくんだよね。
今日はパパさんとまったりだったね。
あれから9年もたってしまいました。
早いものです。
弟たちが住んでいた閖上に行ってみましたが、
復興されてますね、商店街もできて、
雨の日でも人出がありました。
復興住宅も10棟くらいできて、街になっていました。
今日はかなり寒かったです。
暖かくなってくるのに、コロナウイルスも早く
去っていってほしいですね。
お久しぶりです。
もう9年になったんです、早いものですね。
弟の子供たちはみんな成長して、立派に生きています。
阪神淡路大震災も20年たったんですね、
前の年に神戸に行ってるので、他人事とは思えませんでした。
コロナウイルスもいつ終息するのか、
速く収まってほしいですね。
今でも忘れられませんね。
それでも前に進み生活していかなければ・・・
残された家族は強い気持ちを維持していくのも大変ですね。
まだ寒いのでお体に気を付けてお過ごしください。
またそちら方面に行きたいと思っております。
復興はまだまだこれからですね。
これからも見守っていきますね。
あれから9年、まだ9年。それとももう9年・・・
被災されたモナさまにとってどのように考えても辛い悲しい年月でしょうね。テレビでずっと涙を流しながら見ていました。阪神淡路大震災も20年過ぎた今でもあの恐ろしい経験は心の傷に残っています。コロナウイルスも兵庫は・・・・
それから桃ブログは古巣に戻りました。心機一転心をこめて更新したいと思います。よろしくお願いします
https://blog.goo.ne.jp/emerarud_2009
速いもので9年になるんですね。
風化しないように私たちもしっかりと
子供たちに伝えていかなければいけないと思います。
義弟たちの住んでいた閖上が復興が目覚ましいんですよ。
かわまちてらす、初めて行きましたが、
川のすぐそばにできた商店会ですが、素敵なんですよ。
元通りにはならないでしょうが、復興していく姿はうれしいものがあります。
コロナウイルスが今大変な不況を仰いでいますが、
自分たちだけでもしっかりと予防していかなくちゃですね。
お久しぶりです。
義弟の子供たちはもうすっかり社会人になり、
長女は宮城に戻ってきてるし、
長男は秋田に転勤で子供もできました。
末っ子は保育士として頑張っています。
みんなそれぞれ自分の生活があり、
義弟たちも安心していることと思います。
揺れはこちらだけではなかったのよね。
関東のほうも大変だったとか・・・
テレビが全然見れなかったから何もわかんなくてね。
パパさんの弟たちが亡くなったのも知らないでいて、
わたしの弟が連絡しても出ないって言われ、
初めて捜し始めたんだよね。
何か所避難所を捜し回ったことか…
コロナもいつまで続くかわかんなくて、怖いよね。
早く終息してほしいね。
東日本大震災から9年目ですね!
あの時間に黙祷いたしました。
私もあの日の出来事は忘れることなく心に深く焼きついています。
あの時のこと思うといま起きている新型コロナウイルスも広げないように努力すれば少しは違ったかもしれないですね!
私も県自体は今のところ出ていませんが人に迷惑かけないように努力をしています。
子供たちも可愛そうですね~
もう少し辛抱しなきゃですね!
東北の皆様は忍耐も素晴らしくて真似なんてできないですが頑張らないとと思います。
10年近くなりますがこれからも皆様頑張ってくださいね!
私もあと約一週間頑張ります(^_^;)
義弟さんのお子様どうされてますか?
親族皆さんの支えもあって立派に成長されていることと思います。
ママさんのブログで義弟さん家族が犠牲になられたことは
身近の人が亡くなったように悲しかったのを思い出します。
お墓参りに行かれてお喜びになっていることと思います。
ちょうどその日はお友達とランチの約束があって
デパートの6階にいたんだけどものすごい揺れで
怖かったのを今でも鮮明に覚えてる
桃やナナが気になってね
たまたまパパが早く帰っていたので安心した
ママちゃんはもっと怖い思いしたんだものね
そうそう寒かった 帰ってからテレビであの映像が・・
今はコロナ・・これも目に見えないから
怖いよね
関東のほうも揺れがすごかったんですね。
電車も止まって歩いた方も多かったんですよね。
こちらもバスや電車が止まりみんな歩いたようです。
わたしはマーブルトラムを両手に抱っこして、
空き地に逃げたんですよ。
息子が帰ってきてユー君を小学校に迎えに行きました。
ユー君、1年生だったんですね~。
コロナウイルスもなんだかいつ終息するのか、不安な日々ですね。
あれから9年、早いですね、あの時は雪が降って寒かったんです。
こちらは今朝から雨です、気温は高いんですがね。
阪神淡路大震災の前の年に神戸に行ったんです。
テレビを見てて、もうびっくりでした、20年なんですね。
土、日は休みだったので、サボはそばにくっつきっぱなしでした。
あの時は本当にお世話になりました。
電話もつながらず、パソコンなんて停電なので、
公衆電話も混み、行列を作ってました。
でも浮かんだのがとん子さんの電話番号でした。
皆さんに知らせてくださって今も思い出します。
本当に生きた心地がしなかったです。
母も一人で片付けしてたんです、気づいてあげられなくて今思うと親不孝だなって思いました。
次男の嫁さんも家を建てたばかりで、次男は
自衛隊に箱詰め状態、暗い夜を二人で不安を抱えて
いたんだなって思うと今更ながらふがいない私だと思ってます。
ガソリンさえあればね、どこでも行けたのにって思います。
ユー君のけが、だいぶ良くなりました。
若いって治りも早いんですね、時々友達が自転車で
遊びに来ています、気が合うんでしょうね。
ご心配ありがとうございます。
千葉でも相当揺れて家が壊れると
マジ思いましたもん。。。
あー、家屋の下敷きになって死ぬかもーって思ったなぁ
寝たきり老人二人抱えてたから。
宮城、福島、岩手ではもっともっと恐ろしかったですねぇ
閖上かぁ。。ずいぶん復興されたんですね。
今はコロナの脅威。。
早くおちついて欲しいですね
阪神淡路大震災はもう20年を過ぎました。
記憶が遠くになります。
雨の一昨日は皆でゆっくりしていました。
それとお人形くように神社に行ってきました。
サボちゃんもちゃんとわかるのね~
怖かったですね~~~・・
身内の方を失いさど辛い日日を過ごされてママさんから公衆電話からⅠ声聞こえて来た時はどんなに嬉しかったか
無事でよかった~~生きてて良かった~~と何回想ったことか・・
人生どんなに辛くても生きててこそですものね~~~??
お墓参りが出来て良かったです。
大きな慰霊の行事は出来ませんでしたが私もテレビに手を合わせていました。
生きてる方の義務・・亡くなられた方への慰霊・・そして復興・・
心からお祈りいたします。
サボちゃんもう何でも解ってるんですね・・ユー君の怪我はもう大丈夫ですか??
早く元気に学校へ行ける日が来ますように・・
ママさんもくれぐれもお体を大切になさってくださいね。
お忙しいのにコメントありがとうございました。